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池江璃花子がなぜ屋外プールで日本記録を出せたのか?

田坂友暁スポーツライター・エディター

 誰も予想していなかった記録が、愛媛国体の競泳競技が行われた9月16日に樹立された。

 当初、9月15〜17日の3日間のスケジュールで行われる予定だった、愛媛国体の競泳競技。ところが、台風18号が愛媛国体の舞台となる屋外に設置されたアクアパレットまつやま特設プールを通過するということで、急遽15、16日の2日間にスケジュールが短縮されて開催された。

 3日間を使って行われる予定だった種目数を2日間に短縮するため、表彰式を行う時間はカット。さらに予選は全区分(国体の競泳は、少年男子・女子Bが中学3年生と高校1年生、少年男子・女子Aが高校2、3年生、成年男子・女子が大学生以上と区分が分かれている)をミックスさせて行うことに。そうなれば、当然だが種目間の時間も短くなる。

 今年7月の第17回世界水泳選手権(ハンガリー・ブダペスト)、第6回世界ジュニア水泳選手権(アメリカ・インディアナポリス)の代表であり、今大会は東京都代表として参加していた池江璃花子は、個人種目で50m、100m自由形、リレー種目は4×100mリレーと4×100mメドレーリレーに出場しており、種目の間は1時間もないようなスケジュールでレースをこなすこととなった。

 今回はそれだけではなく、台風の影響で風も強く、気温もかなり低い。30度を超える炎天下のなかでレースをするよりもましかもしれないが、気温低下に伴い、水温も下がっていた様子。「冷たいです」と、レースを終えた選手は例外なくそう話していた。

 常に室温、水温ともに管理され、いつ何時でも同じ環境で泳げる屋内プールとは違い、屋外プールの泳ぎやすさは外気の環境に大きく左右される。

 そのため、残念ではあるが、屋外で台風18号の影響も出始めた今大会では、さほど記録が出ないだろうというのが、多数の見方であった。

記録が出ないだろうという雰囲気がプラスに働いた

 ところが、それを覆す記録を出したのが、池江璃花子だった。愛媛国体2日目、少年女子A50m自由形の決勝。スタートで出遅れたように見えたが、浮き上がると一気にトップに立ち、後半になるとさらに加速したかのように見えるほど。タッチして電光掲示板に表示された記録は、24秒33。従来の記録を0秒15も更新する日本新記録が誕生したのだ。

 夏の連戦の疲れもある。普段全国大会が行われるような環境が整った屋内プールではなく、屋外プールであり、さらに悪天候。新記録が誕生する要素としては、マイナスな要素のほうが多かったはずだ。それでも、池江は新記録を樹立した。その理由は何だったのだろうか。

 ひとつは、連戦による練習不足が良い方向に向いたのではないか、ということ。試合が続くと、あまり距離を泳ぐ込む時間もなく、どちらかというとスピード練習が中心になっていく。もちろん、ある程度距離を泳ぐ時間も作るが、試合が1、2週間単位で続くと、そこまでしっかりと泳ぎ込むような時間はない。

 すると、100m以上の種目ではラスト25mの“伸び”がなくなる。反対に、なぜか50m種目になると自分が思っている以上のスピードが出ることがある。今回の池江の状態は、それに当たっている可能性が高い。

 もうひとつは、メンタルの問題だ。今大会を通して、池江は常に楽しそうにしていた。東京都というチームで試合に出場することが、心から楽しいと感じているように見えた。

 世界水泳選手権で楽しそうにしていなかったわけではないが、それでも今年に入り、2月に以降は自己ベストが出ず、苦しんでいる様子が見られていた。さらにメダル獲得のチャンスがあった、というプレッシャーもあった。

 8月の世界ジュニア水泳選手権では、7月の世界水泳選手権よりもレベルの高い記録で泳いでいた。世界水泳選手権よりも同年代の選手が多かった、ということもあり、プレッシャーを池江ひとりで抱えることが少なかったのだろう。

 泳ぐことが楽しい。自己ベストを出せることが楽しい。そういう『楽しい』という気持ちが池江の原動力だった。泳ぐこと自体が楽しくて、遠征に行くことが楽しくて、仲の良いチームメイトと一緒に試合に出ることが楽しい。レース後の取材では、いつも「レースで泳ぐのが楽しいし、自己ベストが出ると楽しい」と口にしていた。しかし、4月の日本選手権以降、夏の世界水泳選手権もそうだったが、池江の口から「楽しい」という言葉はほとんど聞かれなかった。

 だが、愛媛国体での池江は違った。自分の種目が終わっても、すぐにほかのレースに出場している東京都のチームメイトの応援をして、その結果に仲間と一緒に一喜一憂する。本当に「楽しそう」だった。

 泳ぐ度に記録を更新していたインパクトが強すぎて、今でも池江が泳ぐレースでは記録更新の期待が大きい。記録更新することが楽しかったはずなのに、いつしかそれがプレッシャーとなり、池江を苦しめ始めている。

 だが、悪天候で記録が期待されなかったからこそ、プレッシャーから解放され、池江本来の楽しいレースができたのではないだろうか。それが記録につながり、池江自身が驚きながらも、本人が誰よりも待ち望んでいた自己ベストを更新できたのだ。

 現在、リレーを含めると8種目で日本記録を保持する池江。自己ベスト=日本記録という状況は、単に「ベストを出したい」という言葉を発しただけで『日本記録を狙う池江』と世間に広まっていく。そのプレッシャーは、計り知れない。今後は『楽しい』と思えるレースは少なくなっていくだろう。プレッシャーがかかる試合、レースであっても、池江はどれだけ『楽しい』と心から思えるかどうか。それが今後の記録更新のキーポイントになるのかもしれない。

スポーツライター・エディター

1980年、兵庫県生まれ。バタフライの選手として全国大会で数々の入賞、優勝を経験し、現役最高成績は日本ランキング4位、世界ランキング47位。この経験を生かして『月刊SWIM』編集部に所属し、多くの特集や連載記事、大会リポート、インタビュー記事、ハウツーDVDの作成などを手がける。2013年からフリーランスのエディター・ライターとして活動を開始。水泳の知識とアスリート経験を生かして、水泳を中心に健康や栄養などの身体をテーマに、幅広く取材・執筆を行っている。

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