競泳界にようやく訪れた瞬間 スプリンター内田美希が動かした時間

大型スイマー・内田美希の成長

「ようやく、時が動き始めた」

 日本選手権で入江陵介(イトマン東進)が、2013年に苦しんだ経験を経て、新たなステージに入ったことを確信した200m背泳ぎのレース後、口にした言葉だ。2009年に幻の世界記録を樹立して以来、5年を経て成長を実感した入江だが、13年間も時が止まったままだった種目がある。それが女子50m自由形だ。

 2001年4月21日、横浜国際プールで行われた日本選手権で樹立した50m自由形の25秒14という日本記録は、2000年のシドニー五輪で女子4×100mメドレーリレーの銅メダリストとなった源純夏が打ち立てた記録である。

 源が引退後、永井奉子、萩原智子、山田香、山口美咲、松本弥生、上田春佳といった幾多のスプリンターがこの記録に挑んだのだが、跳ね返され続けてきた。気がつけば、日本最古の記録となってしまった(2014年9月時点)。

 そこに現れたのが、172cmの大型スプリンターの内田美希(現・東洋大学)だ。内田は2009年全国中学の50m自由形で優勝して頭角を現した。高校生となってからは2011年に高校記録を更新し、2012年には50mで短水路日本新記録を樹立。同年ロンドン五輪選考会の100m自由形で3位となり、高校生での五輪代表入りを果たす。

「まだ陸上トレーニングは、腹筋と背筋程度しかしていません」。ロンドン五輪選考会後にそう話していた高校生の内田には、計り知れないほどの伸びしろを感じた。

 大学1年生になった2013年。東洋大学に進学した内田の成長を期待していたが、同年4月の日本選手権直前に足首を捻挫し、50mと100mで初タイトルを獲得するもその顔に笑顔はなく、苦しいスタートとなってしまう。

 しかし、2014年の日本選手権(25m)で自らが持つ50m自由形の短水路日本記録を更新(24秒31)して、復調のきっかけをつかむ。勢いそのままに4月の日本選手権で50mを25秒49、100mを54秒78で優勝。2カ月後のジャパンオープン2014では、その記録を25秒23、54秒28まで縮め、50m、100mともに日本記録にあとわずかと迫る泳ぎを見せてくれていた。

 日本記録の更新を期待されて臨んだ、第12回パンパシフィック水泳選手権。開催地のオーストラリア・ゴールドコーストは冬でも比較的温暖な気候であるが、大会に合わせたかのような異常気象。気温は最高でも18度前後までしか上がらず、しかも屋外プールで冷たい雨と風に晒されながらのレースを余儀なくされた。

 日本の恵まれた環境ですくすくと育った内田にとっては、非常に厳しい環境だっただろう。そんななかでも、ベスト記録を狙っていたという100mの予選は54秒86、決勝は54秒91の7位、4×100mの第1泳者で54秒76と54秒台を連発。50mにおいても予選で25秒68、B決勝で25秒56と、タイムが安定し始めていた。

「日本では自分がペースメーカーになるけど、海外ではほかの選手がみんな前半から速いので、ついて行こうという気持ちになってしまった。雰囲気に飲まれました」

 内田は100mのレース後にこう話していたが、自力は確実についていることを証明するには十分だった。

待ちに待った日本新記録コール

 オーストラリアから帰国して11日後の9月5日。内田は、幾人もの選手が挑み、敗れていった壁を乗り越えることになる。場所は奇しくも、13年前に源氏が日本記録を樹立した横浜国際プール。日本で最も盛り上がる大学生の祭典、第90回日本学生選手権(通称インカレ)の初日に行われた50m自由形の決勝だった。

 スタートして浮き上がりまでは、水に引っかかることなくスムーズに泳ぎに移行する。50mという距離は、焦ってしまえば挽回する時間もなく終了してしまう競技だ。日本記録を出したい気持ちから、焦りで泳ぎが空回りしてしまってもおかしくない状況だったのだが、内田は落ち着いていた。大きな身体と長い手足を生かし、いつもよりも少しゆったり目に泳ぎ始める。スタートの勢いを殺さない、最高の浮き上がりだった。25mを過ぎてからも焦りは見えない。会場に少しずつどよめきが広がっていき、内田がタッチした瞬間、どよめきから歓声に変わった。

『25秒02』

 電光掲示板のタイムを確認し、満面の笑みを浮かべてチームメイトに向かって手を振った。「タッチした後、会場がどよめいていたので期待して電光掲示板を見ました。とにかくうれしいです」。内田にとっても、日本競泳界にとっても、待ちに待った瞬間が訪れたのだ。

 インカレは今日(9月6日)で2日目を迎え、大会最終日となる9月7日には100m自由形に出場する。こちらの日本記録は上田が2012年に出した54秒00。この調子であれば、こちらでも日本記録更新のコールが鳴り響く可能性は高い。

低迷する女子の起爆剤となれるか

 6月のジャパンオープン2014で、2000年シドニー五輪の400m個人メドレーで銀メダルを獲得した田島寧子の日本記録4分35秒96が、高橋美帆(日本体育大学)によって破られた(4分35秒69)。こちらは14年の歳月を経て、新たな一歩を踏み出した。

 田島がメダルを獲得した2000年前後は、日本競泳界といえば女子選手のほうが世界で活躍していた。シドニー五輪で獲得した4つのメダルも、すべて女子選手によるものだった。しかし、アテネ五輪で北島康介(アクエリアス)、山本貴司、森田智己ら男子選手がメダルを獲得すると、一気に流れは男子選手に傾き、女子選手は低迷を始める。特に自由形は、元々世界から遅れをとっていた種目であり、それがさらに加速してしまったのである。記録だけで言えば、1986年の世界記録が25秒28(タマラ・コスタケ、ルーマニア)にも及ばない状態だった。それをようやく、内田が動かしたのだ。

 男子自由形は、塩浦慎理(イトマン東進)が昨年のバルセロナ世界水泳選手権で10位と、決勝まであと少しのところまで成長し、今年は50mで21秒台に突入している。2001年福岡世界水泳選手権の50m自由形で山野井智広が銅メダルを獲得して以来、男子も決勝の舞台から遠ざかっていたが、少しずつ世界との差を詰めている。

 内田と塩浦、このふたりに共通するのは、世界に引けを取らない体格を存分に生かした泳ぎができていることだ。無理やりテンポを上げることなく、身体をフラットに浮かせたうえで落ち着いてしっかりと水をとらえることを重視した泳ぎ。物怖じしない性格も、スプリンター向き。

 来年にはロシア・カザンで世界水泳選手権世界が行われる。今年、長く、長く止まってしまっていた時間を動かすことができた内田が、世界最速を争う舞台に立ち、堂々と強豪たちと渡り合う姿が見られることを楽しみにしたい。