Yahoo!ニュース

ミハウ・クビアクが日本バレーにもたらしたもの。深津英臣、仲本賢優の「憧れ」を超えさせた「プロ意識」

田中夕子スポーツライター、フリーライター
セッターとして多くのことを得た、深津も7シーズンクビアクとプレーした1人だ(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

スマホ待ち受けの憧れの人「あのクビアクが来るのかよ」

 2015年のワールドカップ。

 ミハウ・クビアクはポーランド代表主将として出場し、後に同じパナソニックパンサーズでプレーした深津英臣は日本代表のセッターとしてコートを挟み、対峙した。前年の世界選手権を制し、世界のスーパースター揃いのポーランド代表でも、身長だけを見れば、クビアクは日本人選手とさほど差があるわけではない。だが見せる技術やセンスは圧倒的で、その1つ1つをテレビ越しに見ながら魅了されたのが、当時大学1年生の仲本賢優だった。

 まさか当時は、自分がその後クビアクと対角を組んで試合に出るなど想像もしない。今だから言えるが、実はスマートフォンの待ち受け画面をクビアクの写真にしていた、純粋にファンの1人だった、と笑う。

「100%、憧れしかありませんでした。だから、ワールドカップの後で日本(のVリーグ)に来ると聞いて、マジか、あのクビアクが来るのかよ、と。大学を卒業して自分の進路を決める時、パナソニックを選んだ理由も、実はクビさんと一緒にプレーをしたい、という思いが強くあったからでした」

世界のスーパースターであるクビアク、長年ポーランド代表主将としても活躍した
世界のスーパースターであるクビアク、長年ポーランド代表主将としても活躍した写真:ロイター/アフロ

「間違いなく日本のバレーを変えた人間」

 仲本とは異なり、深津とクビアクは互いにナショナルチームの試合ではすでに存在を認知していた。ポーランド代表で見た時から凄さは際立っていたが、チームメイトになってからはさらに驚かされることばかり。深津は「自分はもちろん、日本バレー界に全くなかった発想を植え付けられた」と振り返る。

「今でこそ、プッシュで決める技術はみんなが当たり前にありますけど、クビが来た当時は思い切り打つか、フェイントか。それぐらいしか選択肢を持っていませんでした。そもそも2本目で点を取りに行くのが当たり前のセレクトになったのもクビが来てからだし、どんな状況でも点を取る引き出しが多いんです。彼の選択するプレーは、普通ならばそんなことしないだろ、と思わされることばかりでした」

 対戦相手のデータは事前にあり、プラスして監督やコーチ陣の立てた戦術に基づいて選手は動くが、試合になれば情報は常に変わるのが当たり前。その都度相手の状況を見極めながら、攻撃の組み立てや展開の変化をセッターの深津にも促すのがクビアクだった。

「相手が一番嫌なことを誰よりも早く見つけて、仲間へ伝える。しかもその通り、変化していくことにもすべて対応するし、むしろそれ以上の引き出しを見せてくる。それが世界基準なのか、彼の凄さかわからないですけど、今ではセッターが1本目をレシーブした後にクビが離れた位置からBクイックを上げても、誰も驚かないじゃないですか。日本では考えもしなかった発想を持ち込み、浸透させたという意味では、間違いなく日本のバレーを変えた人間だと思います」

 受けた刺激はプレーだけに留まらない。

 どんな相手にも正面から向かっていく。戦に挑むごとく“戦い”の場へと闘志をむき出しに、言葉を選ばず言えば相手を潰す、とばかりの熱さを前面に打ち出すすのがクビアクだった。プロ選手である以上結果がすべてで、勝負師として必要な力ではあるが、過度に気持ちをぶつけすぎると余分な力が入る。深津は自らの経験と重ねる。

「気持ちばかり前面に出すと、身体も考え方も固くなる。実はいい面ばかりじゃないんです。でもクビはあれだけ熱くなりながらもプラスの発想を持っていて、いろんなアイディア、柔軟性があって視野も広い。でもその陰には、日頃の努力があるから、常に自分を保っていられるんです。目に見える凄さだけじゃなくて、一緒にいたからこそ知ることができた、見えない場所での凄さを僕もパンサーズも突き付けられました」

「100%憧れ」だったクビアクと対人パートナーになった仲本。1つ1つの姿から多くのことを学んだ
「100%憧れ」だったクビアクと対人パートナーになった仲本。1つ1つの姿から多くのことを学んだ写真:西村尚己/アフロスポーツ

「怯えるのではなくいい準備をして戦いに臨む」

 プロとして戦う以上、身体が資本だ。そのために必要な強さを備えるべく、ウェイトトレーニングも周囲が1~1.5時間のところ、クビアクはメニューをプラスして2~2.5時間行うのも当たり前。直後には破壊した筋肉を回復させるべく、良質のたんぱく質をすぐに補充するために、とチームが用意した食事を摂る前にまず、自宅から持参した弁当箱に入れた鶏ささみやブロッコリーを食べる。必要なことは妥協せず、何よりの資本である身体づくりを怠らない。そんな何気ない日々の取り組みや、周囲に発する言葉。すべての行動はまさに世界のトッププレーヤーのあるべきそのものの姿だった、と深津は振り返る。

「彼が来てからも勝てないシーズンや、結果が出ない時がありました。でもその時、クビは僕らに『試合で戦う前から怯えている』と言ったんです。『順位など関係なく試合は来るのだから、怯えるのではなく、いい準備をして臨もう』と。当たり前のことなんですけど、でもそれを本当に一生懸命周りの選手に伝えて、自分がまず実践する。ただすごいだけじゃなく、誰よりも勝つことに貪欲な選手でした」

勝つことへ貪欲に準備を怠らない。クビアクの基準をこれからの正解に、と語る深津
勝つことへ貪欲に準備を怠らない。クビアクの基準をこれからの正解に、と語る深津写真:松尾/アフロスポーツ

「このレベルでプレーする常識をつくってくれた」

 深津のようにクビアクが来る以前から在籍した選手に多くの影響を与えた以上に、クビアクがいるパナソニックへ入ってきた選手に与えた影響、効果はより甚大だ。そしてその象徴が、学生時代は「100%憧れ」でしかなかった仲本だ。

 間近で見れば見るほど、確かな技術力に驚かされ、練習の最初から最後まで集中し続ける姿に圧倒される。1本のパス、1つのトレーニング。どれをとっても適当やいい加減に行う姿など見たことがなかった。

「常に自分の現時点でのベストパフォーマンスを出そうとしているんです。だから絶対にサボらない。自分がパナソニックというチームに入って、このレベルでプレーしていくための心構えや常識をつくってくれたのがクビさんで、あれぐらいの意識で臨まなければダメなんだ、と彼の姿を見ることで教えられました」

 練習時、1対1で行う対人レシーブで仲本はクビアクのパートナーだった。「クビさんとパートナーになるまで対人はアップ、という考えが強かった」という仲本の意識は、あっさりと覆された。

「Vリーグの選手の中で、僕の対人が一番きつい。これは自信を持って言えます。ほぼワンマン(レシーブ)なので、もしかしたら練習を見たら引くかもしれない(笑)。じゃあなぜそれだけ激しいのか。試合では来るボールに対して言い訳できないじゃないですか。強すぎるから無理、遠くへ行ったから無理、と試合で言えないように、1つの練習である対人レシーブも同じ。結果的に取れなくても取りに行く、常に自分の最高のプレーを目指すことが大事だ、というクビさんの常識が対人1つとっても伝わる。それぐらいしないと、自分が目指す最高には届かない、と教えてもらいました」

 1つ1つのプレーや振る舞い、言葉で「伝えた」クビアクから学んだ、数え切れないほど多くのこと。それは選手個々にとって財産であるだけでなく、これからのバレーボール界にとっても、かけがえのないものになるはずだ。

 深津が言った。

「彼がやってきたことが正解であると僕たちは知っています。だから、これからの若い世代に対して“こうやってやれ”“ここまで求めろ”と伝えることができる。これ以上の価値はないと思いますね」

VOL3 プロ選手として、代表として。柳田将洋が見てきたミハウ・クビアクの姿。「彼は世界でも稀有な存在」 に続く

スポーツライター、フリーライター

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。共著に「海と、がれきと、ボールと、絆」(講談社)、「青春サプリ」(ポプラ社)。「SAORI」(日本文化出版)、「夢を泳ぐ」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した「当たり前の積み重ねが本物になる」(カンゼン)などで構成を担当。

田中夕子の最近の記事