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日本バレーを変えた男、ミハウ・クビアク。清水邦広にとって「対戦するのが一番楽しく、燃える相手だった」

田中夕子スポーツライター、フリーライター
共に7シーズンをパナソニックでプレーした清水とクビアク(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

「クビアクに視野と世界を広げてもらった」

 惜別の胴上げで、ミハウ・クビアクが三度宙に舞う。

 5月5日、黒鷲旗準決勝。これが現役引退ではないが、外国籍選手で最多となる7シーズンをプレーしたパナソニックパンサーズを今季限りで離れる。サントリーサンバーズに敗れたこの試合は、クビアクにとって日本で最後の公式戦となった。

 この時点でまだ正式発表はされていなかったが、その光景にこれが最後であることを悟り、会場からたくさんの拍手が送られる。

 多くのファンはもちろんだが、選手たちも憧れ、学び、数え切れないほどの刺激や知恵をもたらしたのはもちろんだが、何より、愛された。

 クビアクが来て、日本のバレーは変わった。

 それぞれの目で見てきたクビアクの凄さ。彼が残し、伝えたこと。相次ぐケガに苦しみながらも、パナソニックで7シーズンに渡ってクビアクとプレーした清水邦広も「クビアクに視野と世界を広げてもらった」感謝する1人だ。

 共に戦う最後の黒鷲旗。清水邦広の状態は決して万全ではなかった。

 黒鷲旗に限らず、Ⅴリーグもコンディションは芳しくなく、ファイナル進出がかかったファイナル4でウルフドッグス名古屋に敗れた後、コートで涙したクビアクを抱きしめ、清水は言った。

「今までありがとう。最後に万全の状態で戦えなくてごめん。クビと一緒にやってこられて本当によかった」

 心からの言葉を涙ながらに発した理由。清水にとって、クビアクは新たな見識を広げるきっかけを与えてくれた存在だった。

「常に全力」の発想を覆したプレー

 バレーボールを始めた頃から、清水は常に“エース”だった。

 どんな状況でも逃げずに攻めろ。ブロックが2枚いようと3枚並ぼうと弾き飛ばせ。ブロックを使うとか、いなすとか、その発想自体が頭になかった。

「極端な話、フェイントをするだけで『何で思いきり打たないんだ』と怒られてきました。僕自身ずっとそういう考えで、バレーは常に全力で攻めるもの、と思いながらやってきたので、クビのプレーを間近で見た時は本当に衝撃でした」

 特に驚かされ、影響を受けたというのがネット際のプレーだという。ブロックが複数枚ついてこようと、間が空いているならば100%で打つ必要はなく、60~70%、時には40%の力でもここに当てれば決まる、という技がある。言葉で聞かずとも、クビアクのプレーはこれ以上ないお手本だった。

「ただ省エネだというだけでなく、ブロックをよく見ていないとできないプレーだし、視野を広く持たないといけない。簡単に決まっているように見えるプレーだけれど奥が深くて、今までと逆の発想を持つようになったし、僕自身のプレーもすごく変わりました」

ネット際でのプレーなど、攻撃面でクビアクから多くの気づきを得た、と清水は語る
ネット際でのプレーなど、攻撃面でクビアクから多くの気づきを得た、と清水は語る写真:長田洋平/アフロスポーツ

「クビとの対戦が一番楽しかった」

 試合は戦いの場。勝利を求め、曖昧な判定や相手との衝突で激昂するシーンも多いクビアクだが、負けず嫌いは試合に限ったことではなく練習から本気でぶつかってくる。そんな彼とゲーム形式の練習で対戦するのが何より楽しかった、と清水は振り返る。

「パナソニックはAチームとBチームを完全に分けてAB戦をするのではなくて、全員がぐるぐる回って対戦する方式なので、クビとも何度も当たるんです。ブロックに跳ばれて、絶対に決めてやりたいと思うのがクビだったし、ブロックされると『くそー』と思うのもクビだった。競争意識が生まれるし、相手にクビがいると次は何をやってくるのか、とワクワクする。すごく白熱して、楽しくて。僕にとっては常に、そういう存在でした」

 36歳の清水と、35歳のクビアク。年齢も近く、コートを離れても食事をする機会も多くあった。バレーボールの話も多くしてきたが、クビアクの視野はもっと広い先へと向いていて、日本のバレーボールがどうすれば発展するか。Vリーグ全体のことや、次世代を担う若い選手のことも真剣に考えていた。

 そして何より、彼が日本の選手やファンから愛されたように、クビアクも日本を愛していた。

「住みやすくて、人もいい。日本が本当に好きだから自分にとって第二の故郷だと言っていたし、こんなにも長く1つのクラブでバレーができたのも人生初めてだから、自分もパナソニックのみんなに感謝している、って。めちゃくちゃいい奴だし、僕もこんなに長くクビと一緒にバレーができて幸せだし、楽しかったです」

チームを鼓舞し、自らも奮い立たせる。「クビとの勝負は何より楽しかった」と清水にも言わしめた存在だ
チームを鼓舞し、自らも奮い立たせる。「クビとの勝負は何より楽しかった」と清水にも言わしめた存在だ写真:西村尚己/アフロスポーツ

「自信と安定性、決意して挑むことが大切だと日本で学んだ」

 日本で最後の公式戦を終えた試合後、クビアクは報道陣の取材にも1つ1つ丁寧に応じた。

 7シーズンに及んだ日本での日々、パナソニックパンサーズというチームに対して「感謝しかない」と述べ、自らが日本のバレーボール界に大きな影響をもたらしたことを問われると「自分はバレーボールをしているだけで、毎回コートで100%の力を発揮するだけ」と謙遜する。

 それでも7シーズンに及ぶ日本での経験、勝った時もあれば勝てずに苦しんだ時期もあるが、いつでもクビアクのプレーを見ると何より楽しかった。特に国際大会でも多く対峙してきたドミトリー・ムセルスキーや、同じポーランド代表の盟友、クレク・バルトシュとのマッチアップには心からワクワクした。

 何をするかわからない。プレーの1つ1つはもちろんだが、常に真剣勝負の姿勢は最後の黒鷲旗でも変わらず、予選グループリーグで早稲田大を相手に放った本気のサーブも圧巻そのもの。クビアクがパナソニックにい続けてくれたことで日本は多くの学びを得たが、クビアクは日本で何を得たのか。

「自信と安定性、決意して何かに挑むことが大切だということを学びました。そしてそれはこれからも私にとって大切なものであり続けます」

 Vリーグのファイナル4で敗れた際に泣きすぎたから今日は笑顔で、と満面の笑みを浮かべながらも時折「話を続けていると泣いてしまうかもしれない」と笑い、7シーズンを振り返る。一番の思い出は、と問われるとクビアクは右膝にアイシングをした清水を指差し、こう言った。

「勝った、負けたが一番の思い出ではありません。あそこにいる彼、清水さんが脚が痛いのに最後まで文句1つ言わずに戦い続けたことが、何よりも印象的でした」

VOL.2 ミハウ・クビアクが日本バレーにもたらしたもの。深津英臣、仲本賢優が語る「憧れ」を超えた「プロ意識」 に続く

スポーツライター、フリーライター

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。共著に「海と、がれきと、ボールと、絆」(講談社)、「青春サプリ」(ポプラ社)。「SAORI」(日本文化出版)、「夢を泳ぐ」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した「当たり前の積み重ねが本物になる」(カンゼン)などで構成を担当。

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