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男子バレー福澤達哉、2021年も懸命に、自分にしか歩めない「道」を行く

田中夕子スポーツライター、フリーライター
仏リーグ2年目。福澤は葛藤を乗り越え21年への決意を抱く(写真はすべて本人提供)

「俺、限界にぶつかっているのか」

 2020年もあとわずか。

 昨年は華やかなイルミネーションで色づいていたパリの街は一変した。春に続く二度目のロックダウン。すべてがストップした当時と異なり、11月に発令されて以降、学校や仕事へ行くことは許されているものの、夜になればほぼすべての店が閉まり、昼も外出許可証を持たなければ出歩くことができない。

 今は完全に体育館と自宅の往復だけ。昨年に続いてフランスリーグのパリ・バレーでプレーする福澤達哉は、そう言う。

「フランスではクラブ内に3名コロナウイルスの陽性者が出れば、その週の試合は中止。実際11月はほぼ一か月試合ができなかったので、コンディションを整えるのも難しいし、試合が途切れるとチームづくりの面でも難しい面はありました。でも、自分自身に目を向けると、一番しんどいのは、オンとオフの切り替えがしづらいことですね。そういう状況もあるだろう、とある程度の覚悟は持て来ましたけど、思っていた以上にストレスはたまります」

 練習ができないわけではないし、どんな状況下に置かれようとすべては自分が望んで来たこと、とは思いながらも有り余る時間があれば、嫌でも考える機会が増える。

「とにかく余裕がありませんでした。壁にぶつかって、一瞬『俺、限界にぶつかっているのか』って思ったこともありましたから」

昨季に続いてフランス、パリ・バレーでプレー。ロックダウン下でも試合は開催されている
昨季に続いてフランス、パリ・バレーでプレー。ロックダウン下でも試合は開催されている

“こだわり”にこだわりすぎて、招いた悪循環

 昨季に続いてパリ・バレーでプレーすると発表したのは8月。19年のネーションズリーグ、ワールドカップと日本代表でも存在感を発揮し、「どこまでできるか挑戦したい」とフランスへ渡り、新たな環境で試合出場を重ね、新たな経験を積んだ。

 しかし新型コロナウイルスの世界的流行に伴い、今年3月にフランスリーグは中止。急遽、帰国を余儀なくされ、同月24日には東京五輪の延期が決定。16年のリオデジャネイロ五輪最終予選で五輪出場を逃して以後、「これがダメだったら終わり」と自らにプレッシャーをかけ続けて歩む先に描いた1つの目標が、また遠ざかった。

 それでも、中止になったわけではない。これまでと同じように一歩ずつ、歩みを止めず我が道を行けば、その先に目指す目標へとたどり着くチャンスは残されている。そう自らを鼓舞し、五輪延期も「自分がやるべきことをやるしかない」と常に前を向いた。

 昨季は考えもしなかった2年連続となるフランスリーグでの挑戦も、その延長線上に描く、自らが歩むべき道。何より「今の自分がどこまでできるのか、やり遂げてみたい」という新たな挑戦に対する純粋な欲望もあった。

 だがそこで、福澤が直面したのは新たな壁。

「“こうしたい”じゃなく“こうしなきゃいけない”と思うようになっていたんです。もっと余裕を持って、視野を広くやればいいのに『俺はこういうバレーがしたい』と前のめりになる。そこで結果がついてくればいいけれど、チームとしても自分自身もなかなか結果が伴わないから余計にぐちゃぐちゃ考えて、1つ1つのプレーに対してディテールにこだわりすぎたんです。そうなると1つミスをするとそれにいつまでも引っ張られてしまって、結果的に空回りする。自分のこだわりに、こだわりすぎて悪循環を招いていました」

純粋に「挑戦したい」と臨んだ1年目とは異なる壁。2年目は新たな課題を突き付けられた
純粋に「挑戦したい」と臨んだ1年目とは異なる壁。2年目は新たな課題を突き付けられた

速さから高さへ。苦しみながら得た「気づき」

 アテネ五輪で金メダルを獲得したブラジル代表のエース、ジルベルト・ゴドイフィヨに憧れ「ジバみたいな選手になりたい」と思い続けて来た。学生時代は誰よりも高く跳ぶことを武器としたが、それだけでは足りないと、こだわってきたのはスピード。セッターにもトス自体の速さを求め、相手のブロックが完成する前に攻撃を仕掛ける。それが自分の長所で、プレースタイルだと追い求め、昨年のW杯に代表されるように、近年は自らが求めた形が通用すると手応えもつかんできた。

 だが、フランスリーグ2年目の今季は違った。昨季とメンバーの大半が変わり、クラブ内でもアウトサイドヒッターの中では三番手。スペイン代表でもプレーした経験豊富なセッターのギレルモ・エルナンを中心にした攻撃の軸はアタッカーが最高打点で打ち分ける幅や高さを活かす展開を重視するため、福澤が求めるスピードにセッターも応じようと共にチャレンジを試みたがうまくいかない。同じポジションの選手が相次いでケガをしたこともあり、試合出場の機会は得たが、思い描く内容とは程遠かった。

 トス自体のスピードを速め、ドンピシャで決まれば当然相手のディフェンスを上回ることもできるが、コンビを完成させるには一朝一夕ではならず、速さばかりを求めれば打点も限られる。プロが集まる場所で結果が伴わなければ、それぞれ翌年のキャリアにも直結する。トライ&エラーを何度も繰り返す中、まずは結果を出すために、とセッターからも「速いトスもはまればいいけど、今のようにうまく行っていない中では、速さよりもスパイカーが選択肢を持てるトスに切り替えたほうがいいんじゃないか」と助言を受けた。

 自身の長所をより磨くためのシーズンで、求められるのはこれまでとは異なる変化。これが自分の武器だと貫いてきたスタイルを変えることに抵抗があった、と福澤は言うが、前のめりばかりでなく一度引くことも大事なのではないかと考え直した。速さ一辺倒ではなく、高いトスに対しても自らの動きを速くすることで攻撃自体の速さは維持する。新たなスタイルへの挑戦が少しずつ実を結び、12月に入ると手応えを感じられるようになった。

「日本にいたらこうはならないですよね。僕も今までと同じように求めるし、それに対して誰も言わないと思います。でも海外にいる限り、結果を出すために最善の策を見つけないと残って行けない。自分自身もプレーのタイプもどんどん切り替えないといけないし、そのスイッチをいっぱい持っていないと適応できないんです。僕は前々から、海外へ行くことがすべてとは思っていないですけど、でもこういうことに関して自分で気づき、自分でやろうとする回数は海外にいるほうが圧倒的に多いのは確かです。オリンピックが延期になって、どうしようかと考えた時にコンディションを最優先に考えたらもっと別の選択もあったかもしれませんが、自分で決めて、こういう選択をした。これがこの先、オリンピックに向かってどう転がるかはわからないですけど、でも、苦しいながらも今この年齢で、一歩進んでいる感覚を得られるのはすごくありがたいことですよね」

ロックダウン前にチームメイトと。オン、オフの切り替えに苦労しながらも環境には適応している
ロックダウン前にチームメイトと。オン、オフの切り替えに苦労しながらも環境には適応している

迷った時にいつも指針となる松下幸之助の「道」

 気づきはそれだけではない。

 東京五輪の延期が決まってからも、変わらず目の前の1日1日が勝負だと変わらず挑む。そうすればその先にオリンピックがある、と信じていたが、いざフランスで新たなリーグが始まると、自分で考えていた以上に、“延期”を消化し切れていなかった自分がいた。

「今までは自分にストレスをかけながらも、自然な流れの中で進んでいけていたと思うんです。でも“1年延期”と定まったことで、その1年、そこにバーンと照準が当たってしまった。だから、やらなきゃいけない、もっとこういう1年を過ごさなきゃいけないと前のめりになっていたんです。実際、オリンピックもコロナも正直この先どうなるかわからない。でも、そうやって環境に流されているだけでは、いいことなんて1つもない。どんな状況でもどれだけ自分を見失わず、自分はこうやりたいんだ、だからここにいるんだ、と気付けるかどうか。積み上げて来たものだけに引っ張られるのではなく、純粋に物事を見られるか。だから僕、今、すごく試されていると思うんですよ」

 パナソニックに入社した09年、創業者でもある松下幸之助が書いた「道」という詩を目にして以降以降、自らの座右の銘として「道」と掲げ続けて来た。

“自分には自分に与えられた道がある 天与の尊い道がある”

から始まり、今立ち、歩むかけがえのないこの道を歩み続ける意味を説き、最後は

“それがたとえ遠い道のように思えても 休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる

深い喜びも生まれてくる”

で締めくくられる偉大なる師の言葉を、さまざまな場面で自らと重ねてきた。

「まさに今置かれている状況のすべてと言っていい。自分にしか歩めない道で、この道を歩み続けるしかないから、懸命に歩み続けるしかない。シンプルなことだけど、それしかないと思うんです」

 新たな年の始まりを、1人、フランスで迎える。

 想像もしなかった1年を過ごし、これからを考えても、未だ容易く想像すらできない日々は続くが、変わらず歩み続ける道――。

 周りと比べるのではなく、自分が目指すように。光る場所ばかりでなく、時に壁へ当たろうとも休まず前へ。その先に、描く未来があると信じて。

自分にしか歩めない道を歩み続ける。2021年も福澤の挑戦は続く
自分にしか歩めない道を歩み続ける。2021年も福澤の挑戦は続く

スポーツライター、フリーライター

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。共著に「海と、がれきと、ボールと、絆」(講談社)、「青春サプリ」(ポプラ社)。「SAORI」(日本文化出版)、「夢を泳ぐ」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した「当たり前の積み重ねが本物になる」(カンゼン)などで構成を担当。

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