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「東京五輪がゴールじゃない」 W杯での葛藤を経て抱く、男子バレー主将・柳田将洋の覚悟

田中夕子スポーツライター、フリーライター
男子バレーボール日本代表キャプテンの柳田将洋(撮影:平野敬久)

「世界でトップになるためにW杯のメダルを目指した」

 劇的な結末で、過去最多の8勝を挙げたワールドカップバレーボール男子大会。(以下、W杯で表記)

 フルセットの末、西田有志の連続サービスエースで勝利を収めた最終日のカナダ戦を振り返り、柳田将洋が笑う。

「ほんとに全部、持って行きましたよね。1本、2本と入った時に、嘘でしょ、って(笑)。これ、最後まで西田のサーブで行く、と思ったから、アップをするのも止めたぐらい(笑)。それぐらいすごかった。勢いが違いましたね」

 11試合を8勝3敗。12か国中4位。男子バレーにとって4位は1991年以来、実に28年ぶりの快挙だ。

 とはいえ手放しで喜ぶわけにはいかない理由もある。本来ならばW杯は、上位2か国に翌年の五輪出場権が与えられる価値ある大会だ。だが今回は東京五輪開催国で行われ、開催国枠の日本が出場するため、五輪出場権はかからない。年明けには各大陸での最終予選を控えるため、五輪を見据え、若手強化に重きを置く出場国も少なくなかった。

 だが内容を見れば、堂々と胸を張ることのできる成績であるのは確かだ。なぜならセカンドチームとはいえ、戦い方はフル代表と変わらず、これまでは歯が立たなかったロシアに勝利したこと。そして、出場国の中でもベストに近い戦力で臨み、全勝優勝を飾ったブラジルから1セットを取り、落としたセットもジュースの末、どちらに転ぶかわからない僅差の戦いを繰り広げたこと。

 確かに目標としたメダルに手は届かなかった。だが、これまで歩んできた道のりが決して間違っていないことは証明されたはずだ。

今回のW杯でこれまでの道のりが間違っていないことは証明されたはず(撮影:平野敬久)
今回のW杯でこれまでの道のりが間違っていないことは証明されたはず(撮影:平野敬久)

 収穫も、課題も見えた二度目のW杯を振り返る、柳田の言葉にも力がみなぎっていた。

「石川(祐希)が『世界でトップに立つためにはW杯でメダルを獲らなければならない』と言い続けてきたように、僕らは、ただそこだけを見て臨んだ大会でした。以前と比べればいい成績かもしれないけれど、見る場所はそこじゃない。ファンの方々が今回の結果に盛り上がってくれるのは、すごく嬉しいけれど、目標はこれでよし、ではありません。選手全員がその先のことを見ているからこそ、ブラジルに負けた後も結果だけを見て『よく頑張った』じゃなく、ブラジルに勝つことをイメージしていたから『あの1球が』『あそこで点が取れれば』と思っていた。これから先を見た時、上位3か国に負けたことも含め、何を詰めていかなければならないか。自分自身ももちろん、今からの時間が重要だと、さらにはっきり示された結果だと思います」

越えられなかった福澤の存在

 チームとしての課題、そして自らに見えた課題。柳田はすべて、一言一言かみしめながら、なおかつ留まることなく流暢に話す。ただ時折、悔しさをのぞかせながら。

 10月1日。福岡でのイタリア戦から幕を開けたW杯。大会を通して、リザーブに回ることが多く、「福澤(達哉)さんと石川に差を見せつけられたシーズンだったので、自分がコートに立てないのは当たり前だと思っていた」と柳田は振り返るが、チームコンセプトとして、サーブで攻めることに重きを置く、と明言している以上、柳田のサーブはチームにとって大きな武器であるのは間違いない。攻撃力も申し分なく、主将としてのキャプテンシーや、コート内のリーダーシップ。柳田の存在はチームにとって必要なものであるのは言うまでもない。

 確かにシーズン序盤はケガの影響もあり、本来のパフォーマンスを取り戻すまでに時間がかかったのも否めない。だがW杯では万全であったにもかかわらず、出場機会が限られた。そしてその理由を、誰よりもわかっていたのは、他ならぬ柳田自身だった。

今年6月の試合で怪我から明け代表に復帰した柳田(右)とエースの石川(左) (写真は今年のネーションズリーグ)(Photo by YUTAKA/AFLO SPORT)
今年6月の試合で怪我から明け代表に復帰した柳田(右)とエースの石川(左) (写真は今年のネーションズリーグ)(Photo by YUTAKA/AFLO SPORT)

「石川はもちろんですが、福澤さんの果たす役割がチームにとってはかなり不可欠なものになっていました。対角に入る石川との関係も堅いし、存在感の分厚さ、チームからの信頼感が厚い。僕が福澤さんに代わってサーブで入る場面は多かったけれど、他の面の貢献度を比べたら、今シーズンの福澤さんはすさまじかった。同じアウトサイドとして、もちろんいつでも出られる準備はしていました。でも、あれだけ崩れずできたら抜けないだろうな、と思っていたし、出番はない。今大会に関して言えば数字には見えにくい面も含めて、日本のいい流れをつくっていたのが、間違いなく福澤さんの(1本目の)パスでした。あのスペースを福澤さんが動いて、カットしてくれるから石川に時間もできて、攻撃に入りやすくなる。その貢献度は大きかったし、自分も同じようにできれば、と何度も思いました」

 人それぞれ個性があり、長所や短所がある。だから自分は自分の勝負すべきポイントでやればいい。そうは思っていても、実際コートに入るたび、イメージと現実のギャップも突きつけられた。

「自分自身のポジショニングでバレーをしても、福澤さんのベースがコートにこびりついているんです。1つ1つは小さなことなんだけど、自分が返せばいい、という単純な話ではなく、見えない貢献度が高いとコートの中で感じたし、それぐらい福澤さんは身を挺してやっていた。コートに立つ2人、福澤さんと石川に対して、僕は歴然とした差を感じていました」

勝負すべきは、サーブ

 悲観的になるばかりでなく、ならば自分が勝負するものは何か。迷うことなく、見つけた答えはサーブだ。

 スターティングメンバーとして出場する試合はもちろん、初戦のイタリア戦のようにリリーフサーバーとして投入される試合もある。いつ、いかなる状況でもベストのサーブが打てるよう、万全の準備をして待ち、結果を出すだけ。

柳田が勝負するサーブ 今年6月のネーションズリーグ(Photo by YUTAKA/AFLO SPORT)
柳田が勝負するサーブ 今年6月のネーションズリーグ(Photo by YUTAKA/AFLO SPORT)

 常にコートの状況に目を配り、セッターや同じアウトサイドヒッターに相手の陣形を伝える傍ら、その場でジャンプをしたり、チューブトレーニングで体幹に刺激を入れたり、休みなく、アップゾーンで動き続けた。

「体が固まってしまうとジャンプなんてできないし、できることが限られる状況の中で思い切り打つコンディションをつくらないといけない。だって、流れを変えるために入れられているピンチサーバーが、何の準備もせずチャンスサーブを打ったら、どういうこと? ってなるでしょ(笑)。出ている選手の調子を見ながら『ここで自分の出番が来る』と目星をつけて、呼ばれる前に準備する。それが当たり前だと思っていたし、むしろ試合に出ている時よりも、いろいろなことをしていた分、出ていない時のほうが疲れました」

 その言葉通り、2セット目の途中から福澤に代わって入った10月4日のチュニジア戦での4連続サービスエースもさることながら、さすが、とうならせたのはブラジル戦だ。

 第1セットをブラジルに先取され、第2セットは日本の攻撃が絞られ、ブラジルの厚さを増したブロックを避けようと、ミスが続いた結果、24-24の同点。このままセットを取られたら、そのままブラジルに押し切られてもおかしくない状況で、リリーフサーバーとして柳田が投入された。

 柳田が思い切りよく放ったサーブはブラジルのリベロをもってしても返すことはできず、スパイクミスで25-24。2本目のサーブも同様にブラジルの守備を崩し、ミドルブロッカーのスパイクがネットにかかり26-24、日本が12年ぶりにブラジルから1セットを奪取した。柳田は「次のセットを取り切れなかったですけどいい場面をつくる仕事はできた」と言いながらも、「そこを取りきる仕事をしないといけない」と満足には至らなかったが、その1本にかける集中力、そして準備の賜物が発揮された瞬間でもあった。

一番嫌なのはキャプテンだからここにいられる、と思われること

 連日、試合後には記者からのリクエストを受け、数名の選手と監督が記者会見に出席する。会見には基本的に各国キャプテンは呼ばれるため、スターティングメンバーとして出る出ないに限らず、柳田は11試合すべて、試合後の記者会見に出席した。

 当然ながらその試合で活躍した選手に質問が集中するのだが、時間も限られる。気を利かせて「柳田選手への質問があれば」と司会者が取材者に促すも、その言葉を苦笑いしながら「僕じゃなくていいです」と否定したのが柳田自身だった。

「気を遣っていただいているのはありがたいですけどね、僕じゃないでしょ、と。でもそれに対してどうとか、何も思わない。それもキャプテンの仕事だと思っていますから」

 自分が今、できることを果たす。そう思いながらも、歯がゆさがなかったわけではない。石川がコート内でリーダーシップを発揮する姿を見るたび「感謝しかなかった」と思いながらも、自分がそこにいられたら。もどかしさもあった。

石川の活躍に感謝する反面、キャプテンとしてはもどかしさもあった (撮影:平野敬久)
石川の活躍に感謝する反面、キャプテンとしてはもどかしさもあった (撮影:平野敬久)

「キャプテンの役割はコートに立つこと、スタメンで試合に勝ち続けることがすべてかと言われれば、もちろんそれがベストだけれどそれだけじゃない、と思ってやっていました。それぐらいの気持ちでやっていかないとダメだったし、たとえピンチサーバーでも、『俺の役割はこれだ』と思って出せた結果もあったと思います。でもそこにプラスして、キャプテンという立場に甘んじないように、というのも、ずっと思い続けていました。当たり前だけど、キャプテンというのが役割ではないし、最初の役割はプレーで、キャプテンというのはその後についてくるもの。一番嫌なのは、キャプテンだからここにいられる、と思われることだし、プレーで見せて、チームをコントロールして、自己犠牲をしながらでもチームを1つにもって行くのがキャプテンという立場ですから。そうあり続けないといけない中、今シーズンはそれができたか、といえばそうじゃなかったかもしれない。でもだからこそ、1人の選手として、プレーで必要とされて、東京オリンピックのメンバーとして、コートに立つ、という思いが強くなりました」

「この熱を下げないで」

 柳田がより自分を高めるために選んだ場所が、ドイツ、フランクフルト。3シーズン目を迎えた海外リーグでの日々は、スキルのレベルアップや、メンタル強化もさることながら、セルフマネジメント能力も求められ、自分の取り組み次第ですべてが伸びる場所だと思っている。

 自分のやるべきことは明確で、見るのは前だけ。だからこそ4年前、初めてW杯に出場した時とはまた違う、日本の男子バレーボールに対する期待や熱を感じる今、自らのレベルアップはもちろん、日本のバレー界に願うこともある。

「この上がった熱を冷まさず、どうか下げないで、って。自分も含め、祐希や福澤さん、古賀(太一郎)さん、海外でプレーする選手はもちろんですが、国内でプレーする選手も同じ思いだし、代表選手に限らずみんなが何とかして盛り上げよう、と頑張っています。哲学的な話になるかもしれないけれど、日本代表という組織がなくなることはないわけで、常に“ゴール”はない。東京五輪は1つの目標だけれど、着地点でも終着点でもない。もちろん代表でやっている選手は、自分たちが出す結果がバレー界を左右する、日の丸を背負うことはどれだけ重いものかを理解しているし、見に来て下さるファンの方の数、さまざまな場所での反響で感じさせられる機会がたくさんあります。でもだからこそ、みんなが同じようにこれから先を見て進んでいけるか。それが本当に大事で、重要だと僕自身も思っていますし、東京(五輪)が日本のスポーツ界やバレー界にとって大きな変化の時であるのは間違いないだろうけれど、それで終わりじゃないですから」

「みんなが同じようにこれから先を見て進んでいけるか。それが本当に大事」(撮影:平野敬久)
「みんなが同じようにこれから先を見て進んでいけるか。それが本当に大事」(撮影:平野敬久)

 葛藤も味わいながら戦い続けた代表でのシーズンを終え、次は自らを高めるべく、新たな地での挑戦が始まる。すべては、日本代表を、そこに立つ自分を、強く、逞しくするために。この過程こそが、代えがたい力になると信じて。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを一部負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

スポーツライター、フリーライター

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。共著に「海と、がれきと、ボールと、絆」(講談社)、「青春サプリ」(ポプラ社)。「SAORI」(日本文化出版)、「夢を泳ぐ」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した「当たり前の積み重ねが本物になる」(カンゼン)などで構成を担当。

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