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自転車で台湾1周 「環島」が一気に浸透した背景

田中美帆台湾ルポライター
都市部の多い西側と違い、台湾の東側には海と山が広がる(写真提供:劉于華)

 台湾には「環島(ホアンダオ)」や「環台(ホアンタイ)」と言われ、走行距離1,000キロという途方もない距離を自転車で走破することに挑戦する人が大勢いる。今や、それは特別なことではなく、自らが暮らす台湾を知る1つの方法といっていい。だが、こうした文化が根づくまでには、さまざまな出来事があった。

ターニングポイントは2007年

 「2007年以前の自転車といえば、経済的な理由で『交通手段を持たない人が使う道具』という認識でした。それが2007年を境に、自転車は金銭的余裕のある人が持つもの、というイメージに変わりました」

 こう話すのは、世界的自転車メーカー、ジャイアントが100%出資で設立した旅行会社、ジャイアントアドベンチャーのマネージャーである蔡嘉津(ツァイ・ジアージン)さんだ。

もともとアウトドア派の蔡さん。サポートスタッフとして何度も台湾1周を支えてきた(写真提供:捷安特旅行社)
もともとアウトドア派の蔡さん。サポートスタッフとして何度も台湾1周を支えてきた(写真提供:捷安特旅行社)

 その大きな立役者となったのが、2007年4月に公開された1本の台湾映画だった。タイトルは『練習曲』。聴覚障害を持つ青年が、大学卒業を控えた時期にギターを抱えながら、自転車に乗って台湾を1周する7日間の物語だ。

 残念ながら日本では未公開だが、台湾の新聞では「台湾の東から西、南から北の美しい景色とヒューマニズムをカメラで捉え、観る人たちに、この台湾の美しさをより深く伝えている」(3月30日付聯合報)などと紹介されている。

 主人公の青年は、台湾南部の高雄市から出発し、東側の海岸を巡った後、西側の都市部を通って南下し、自宅に戻ってくる。カナダで生まれて台湾に帰ってきた若者、発電所と海洋博物館のオープンについて昼休みに噂する会社員、勤務先の工場ストの日にバス旅行するおばさんなど、主人公と多様な人との出会いを通じて、観客に台湾の姿を見せる。

 陳懷恩(チェン・ホァイエン)監督は、DVDに収録された特典映像で次のように話す。

 「台湾の東と西の景色の違いは、まるで人生のようです。西側の工場はいわば壮年期の仕事や事業です。壮年期以降は下り坂で、高血圧、痛風、糖尿病など、身体のあちこちが傷んできますよね。それと同じように、得たもの失ったものが西側には見えます」

 そして映画の冒頭、青年が自転車で台湾1周をしようと決心した気持ちが、ひと言で紹介されている。

 「今やらなかったら、一生できないことがある」

 この映画に触発された台湾の著名人が2人いる。世界の自転車メーカー、ジャイアントの創業者である劉金標(キング・リウ)氏と、当時、台湾総統選挙に名乗りをあげていた馬英九氏である。その上2人は、ほぼ同じ時期に、自転車で台湾を駆け巡った。まったくの偶然とはいえ、2人のビッグネームが同時期に自転車で台湾をめぐる姿は、強烈な影響を与えた。蔡さんは言う。

 「当時、台湾経済は不景気のまっただ中でした。それまで台湾経済を引っ張っていた科学技術系の分野が、相当落ち込んでいましたからね。何かやってみようと皆が手を出したのが自転車でした」

 翌年の新聞には「高級自転車の売れ行き6割増」(2008年3月15日付財経要聞)という記事が現れた。本文では、ジャイアントが2007年の国内販売は前年比6割増と大幅に成長し、各自治体で自転車専用道路の建設が進められている状況を伝えている。

時代によって変わる「台湾1周」のイメージ

 台湾の新聞を1950年から遡ってみると、台湾1周のイメージが時代によって変化していることが読み取れる。

 台湾1周を意味する「環島(ホアンダオ)」という語が50年代に使われたのは、台湾全島調査の記事内でのことだ。それが70年代に入ると台湾全土に走る鉄道計画を紹介する文脈に変わっていき、80年代にはバイクでの台湾1周が紹介され始める。在来線である台鐡が台湾をぐるりと回れるようになったのは91年だが、それ以降、鉄道での台湾1周やそのツアーの広告内で登場するようになる。

 つまり、台湾の交通建設にあわせて「環島」という語の文脈は変化してきたのだ。

 そして2007年から自転車での台湾1周記事が一気に増えたことについて、蔡さんはこんなふうに説明する。

 「特に2009年以降、自転車の拡大時期に入ります。どんなイベントにも自転車が駆り出され、それがメディアに乗って報道されました。それを受けてまた自転車が売れていく。逆に言えば、自転車を絡めたイベントであれば、どんな内容でもニュースになりました」

 そうした状況を受けて、自転車を取り巻く環境が変化していく。

 まずは、台湾東部の道路整備だ。車道と歩道しかなかった道路に自転車専用道路が増設され、縁石が新たに設けられ、舗装の修復工事も行われた。在来線の台鐡には、自転車専用の車両ができ、鉄道車両に自転車持参で乗ることが一般的になってきた。各地の警察署やコンビニエンスストアは、休憩所や貸し出し用の車輪の空気入れも常備され、台湾1周する人を応援する体制も整えられている。

 2011年には台湾全土7万人で自転車に乗る、というイベントが開催され、ギネスブックに認定された。15年には全長約1,000キロの自転車用道路「環島1号線」が完成した。

 こんなふうにして台湾では、交通インフラ整備とそれを利用した旅がニュースになった時期を過ぎ、自転車は、まぎれもない文化として位置づけられている。(参考記事:自転車で台湾1周 なぜ彼らは「環島」にチャレンジしたのか

映画がもたらした1周を支える仕組み

 時計の針を少し戻そう。

 蔡さんの働くジャイアントアドベンチャー(捷安特旅行社)ができたのは、2009年5月のことだ。蔡さんは、キング・リウが御歳73歳で自社製自転車に乗って台湾1周を果たした07年にジャイアントに入社した。当時を笑顔でこう振り返る。

 「社内では、誰一人としてキングの挑戦に賛成する人がいませんでした。そこでキングは社員には言わずに、こっそり出発した。『ゴールできなくても、途中で戻ればいい』と考えていたそうです。ところが、キングの挑戦を新聞社がキャッチし、大々的に報道されてしまいました。あくる日には、テレビ局の中継車が会社まできて大変でしたよ」

 そうまでしてキングを突き動かしたのは、あの「今やらなかったら、一生できないことがある」というフレーズだった。73歳で15日かけて自転車で台湾1周を遂げた記録は、台湾では書籍として出版されている。

 この1周こそが、キングに一つの確信をもたらした。それは、自転車で台湾1周するためには、それを支える団体が必要だ、ということだった。

 台湾1周は1日で終わらない。必然的に泊まる場所と食事の手配が欠かせなくなる。台湾の法律上、そういった手配が可能なのは開業許可を得た旅行社だけ。そこで新たに設立されたのがジャイアントアドベンチャーだった。

 同社では、公式サイトでツアー日程や応募状況などを公開し、随時、参加者を受け付けている。提供するのは、参加者の体のサイズにあわせた自転車1台と付属品、宿泊先と食事の手配、保険、そして故障時の対応を含めたサポートの体制だ。参加者は「着替えさえあれば大丈夫」と蔡さん。

 ツアーでは、先頭と最後尾には同社のサポートスタッフとサポートカーが走り、参加者のチャレンジを支えながら進んでいく。スタッフは皆、台湾1周の経験者だ。というのも、社員は入社して2〜3か月すると、台湾1周に行く。蔡さんも、サポートスタッフとして「数え切れないほど、台湾1周しました」と笑う。

専属カメラマンがツアーの様子をしっかり記録してくれる(写真提供:捷安特旅行社)
専属カメラマンがツアーの様子をしっかり記録してくれる(写真提供:捷安特旅行社)

2018年半ばに増える台湾旅の選択肢

 これまで、企業や学校、各種団体からの相談を受け、カスタマイズしたツアーも数多く手がけてきた。創業から10年となる2017年末、利用者は約6万人となった。男女比は半々だが、台湾人と外国人の利用率で見ると7対3。だが、日本人の利用率はわずか3%にすぎない。

 「大きな原因は、日本の会社員は長い休みが取りにくいことにあると考えています。というのも、我々が提供している台湾1周のツアーは8泊9日が基本です。台湾東部の短いツアーでも2泊3日ですからね。日本からの移動に前後1日ずつ加えると、1周の場合は11日、一部でも5日は必要です。この日程が大きなネックですね」

 実際、日本からツアーを利用した人は、大学卒業後の就職前、あるいは転職、退職といった人生の転機にある人が多かったという。

 公式サイトでは中国語と英語の2言語表示だが、現在、日本語を追加する準備を進めており「今、日本語ができる社員を募集しているところです」。さらに、日本人向けのツアーの準備が進められているというから、日本人の旅の選択肢がまた一つ、増えることになる。

 最後に、もし台湾1周するなら、どういうルートでいつ行くのがいいか、蔡さんに訊ねてみた。

 「おすすめは西回りです。理由は単純で、台湾は日本と違って右側走行ですから。それに、海側を走ることになるので、景色を十分に楽しむことができます。時期は春と秋がいちばんですね。4〜5月、10〜11月なら、暑すぎず、寒すぎない。ただ、最近は地球規模で気候が不安定になっていて、必ずしもこの時期とも言えなくなってきていますから、まあ、いつでもいいといえばいいんですけどね(笑)」 

 それにしても、台湾1周は1,000キロという距離である。日本なら、東京〜新大阪往復できるし、片道なら東京から新幹線に乗って九州の小倉まで行ける。蔡さんは「私の見立てですが、自転車で30キロ乗ったことがある方なら、台湾1周できますよ」ときっぱり言って、こう続けた。

 「自転車での旅は、普段の生活に比べると、ずっとゆったりした速度です。それに、自転車に乗っていると、悪いことなど考える余裕がなくなります。何しろ疲れますから(笑)。でもそうやって自分と向き合う時間を持つことで、自分の暮らしを振り返ることができます。その時間は、きっと大きな気づきをもたらしてくれるはずです」

台湾ルポライター

1973年愛媛県生まれ。大学卒業後、出版社で編集者として勤務。2013年に退職して台湾に語学留学へ。1年で帰国する予定が、翌年うっかり台湾人と国際結婚。上阪徹のブックライター塾3期修了。2017年からYahoo!ニュースエキスパートオーサー。雑誌『& Premium』でコラム「台湾ブックナビ」を連載。2021年台湾師範大学台湾史研究所(修士課程)修了。

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