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ドラマ『ブギウギ』で注目、“日本ポップス界の父”・服部良一メロディを石丸幹二と望海風斗がセッション

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
写真提供/BS-TBS(全て)

ドラマ『ブギウギ』を彩る服部良一メロディを、石丸幹二と望海風斗が、5人のアレンジャーが手がけたこの日限りのアレンジで、スーパーバンドとセッション

シーンを代表するアレンジャーが手がけるこの日限りのアレンジを、凄腕ミュージシャンによる生演奏にこだわり、アーティストがオリジナル曲とカバー曲を披露するライヴ番組『Sound Inn S』(BS-TBS)。

戦前戦後を通じて、オリジナルのポップスを創り続けた大作曲家・服部良一

11月18日(土)放送回は服部良一スペシャル。今年没後30年を迎える昭和の大作曲家のメロディが今、日本の朝を彩っている。現在放送中のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』は、戦後を明るく照らしたスター歌手の物語。ヒロイン・福来鈴子(趣里)のモデルは戦後の大スター笠置シヅ子。彼女が歌う「東京ブギウギ」「買い物ブギ」など数々の名曲は服部が手がけ、ドラマにも服部がモデルとなっている羽鳥善一(草なぎ剛)が登場している。

服部良一SPでは石丸幹二と望海風斗が登場し、「銀座カンカン娘」望海風斗 (アレンジ河野伸)、「蘇州夜曲」石丸幹二(アレンジ斎藤ネコ)、「胸の振子」石丸幹二&望海風斗(アレンジ船山基紀)、「青い山脈」石丸幹二 (アレンジ本間昭光)、「東京ブギウギ」望海風斗(アレンジ服部隆之)を、この日限りのアレンジでパフォーマンス。

まずこの日アレンジを手がけた4人のアレンジャーに、同じ音楽家として改めて服部良一の凄さ、服部メロディの魅力を聞くと――。

「しゃかりきになって色々な音楽を作っていた。あのパワーにはかなわない」(服部)

良一の孫である服部隆之は「大変優しい祖父でしたが、作曲家としてはどうやっても手が届かない存在。数多くの歌謡曲をヒットさせ、それ以外に映画音楽やラジオドラマ、オペラも書いて、テレビの音楽もやり始めて、しゃかりきになって作っていました。しかもどの作品もクオリティの高いものを残しています。いかにそこにパワーが必要かというのは、今同じ音楽家として曲をクリエイトしていて、痛いほどわかります」と語っていた。

「いつの時代も歌われてきたその抒情詩なメロディは、普遍的で心を打つものが多い」(船山)

「いつの時代も歌われてきたその抒情的なメロディは、普遍的ですごく心を打つものが多いです。それが服部先生の音楽の最大の特徴だと思います。服部先生が活躍されていた時代の日本の音楽に洋楽のセンスを取り入れ、オシャレで魅力的な音楽を作り上げました。そのオシャレな感じは時代を経ても変わらない」(船山)

「“邦楽POPS”の元祖」(斎藤)

「今J-POPという言葉ありますが、服部先生は当時洋楽や中国とか大陸の音楽の要素を取り込んだオリジナルを作り、それが当時“邦楽POPS”と呼ばれていたものの元祖だったと思う。ブギウギはとてもポップで、一方で今回アレンジさせていただいた『蘇州夜曲』はとても大陸を感じさせてくれ、気持ちがスーっと穏やかになるような曲です」(斎藤)。

「メロディ、ハーモニーのセンス、キャッチーさは今も色褪せることがない、唯一無二の存在」(河野)

「クラシックの教育を受けてきた方が、ジャズやブギを取り込むセンスを持っていて、今回服部先生の直筆の譜面も見せていただいたのですが、クラシックのような譜面にそこにプラス、ポップスの編曲家のようにコード楽器やリズム楽器のパートも全部書かれていて、当時本当に抜きん出た存在だったと思います。そのメロディのセンス、ハーモニーのセンス、キャッチーさは今も決して色褪せることなく、改めて唯一無二の存在であると思います」(河野)。

「昭和20年代、終戦後の時期に多くの人に希望を与えるハイカラな音楽、マイナー調でも明るく元気になるような音楽を常に作り続けていた」(本間)

「日本のポップスの“パイオニア”です。どの曲もエバーグリーンなメロディがまず美しい。一度聴くと覚えられる、思わず口ずさんでしまう色褪せないメロディは、そう簡単に作れるものではありません。コード進行にはジャズに対する思いの深さを感じることができます。昭和20年代、終戦後の時期に多くの人に希望を与えるハイカラな音楽、マイナー調でも明るく元気になるような音楽を常に作り続けていたと思います」(本間)。

戦後、復興へと頑張る日本人の心の光となった、服部良一の音楽

服部良一は、著書『僕の音楽人生』(日本文芸社刊)の中で当時(昭和25年)の自身の雑誌での発言を紹介している。

「僕は改心したんですよ。前にはたいへん憂鬱な歌を書いていたんですね。たとえば『別れのブルース』『雨のブルース』『湖畔の宿』みんなそうです。日本の島国的な淡いセンチメンタリズムにあきたらなくなって、終戦後、方向をかえたんです。こと最近は、明るいもので流行するんなら、そのほうがよっぽど日本のためにもなるんじゃないかということを、まともに考え出してきましたね」。

同時に先輩作曲家・古賀政男から「僕が作曲している間は日本はよくならない。良ちゃんの時代になって明るい歌が流行れば世界の日本になる」という言葉をよく掛けられたと語っている。戦後、沈んだ気持ちの日本人を元気づけ、勇気を与えた服部メロディを次々と生みだし、流行り歌となった。

その中の一曲「銀座カンカン娘」を望海風斗が河野伸のアレンジで披露。パフォーマンス前、望海は「カラッと元気な部分とちょっと大人な部分も含まれていてそこをどう表現するか」と語っていたが、ブギのリズムとリズミカルな歌詞が印象的なナンバーをビッグバンドが演奏し、望海のスケール感のある元気な歌が明るいグルーヴを作り上げていた。

この曲は同名の映画のために書かれた曲で、1949(昭和24)年当時の銀座はまだ復興途上だったが、映画は出演者が元気いっぱいに歌うミュージカル喜劇だ。「今回アレンジさせていただくにあたって、映画も観たのですが1949年の戦後まもない頃に、こういう明るくて、みんなに元気を与える曲が必要だったんだなと改めて実感しました」(河野)

「服部メロディは元気な曲が多いけど『蘇州夜曲』を初めて聴いた時はしっとりしていて、意表をつかれた。服部さんの隠された別の顔という感じ」(石丸)

「蘇州夜曲」(1940年)は服部自身のお気に入りの曲であり、数々のアーティストに時代を超えてカバーされてきた名曲だ。歌うのは自らを“服部良一マニア”と語る石丸幹二が、斎藤ネコのアレンジで披露。「1990年劇団四季のミュージカル『李香蘭』でこの曲を初めて聴きました。服部メロディって元気な曲が多いけどこの曲はしっとりしているので意表をつかれて、服部さんの隠された別の顔、と思ったことを覚えています。女性シンガーがカバーすることが多い曲ですが、いつか僕も歌ってみたいと思っていました」と語り、斎藤の雄大かつ柔らかなアレンジにたゆたうように、そして情感豊かに歌った。「蘇州には行ったことがないですが、中国の雄大な土地を流れる大海のような河をイメージして歌いました」(石丸)。

「青い山脈」の“トリック”とは⁉

「青い山脈」(1949年)も本間昭光のアレンジで石丸が歌った。石丸は「服部さんのメロディはすごくきれいで、口ずさみやすくて、また歌いたいという思いに駆られていくんです。どの曲にも“服部イズム”を感じることがきます」とその音楽の魅力を語ってくれ、さらに「青い山脈」について「書かれた時代性もあると思いますが、躍動感があるんです。まるでマーチのようで、でも短調で途中から長調に変化して、背中を押してくれるというか、だんだん明るいものが見えてくる不思議なトリックがあります。だから歌っていると苦難を乗り越えていけるような、そんな気持ちになるし、それは聴いている人も同じだと思います」と分析していた。

本間は「展開していくサビのような部分のメロディのコードが、 b9th(フラットナインス)に行ったり、オシャレで“おいしい”ところに行っていて、やはりジャズのセンスを感じる曲」と語り“ハイカラ”なアレンジを作り、石丸の溌剌とした歌が響き渡っていた。

「青い山脈」(作詞:西條八十)は、服部良一が食糧難の時代、買い出し客であふれかえる電車の中で浮かんできた旋律を、ハーモニカの略符で手帳に書き留め、完成させたという逸話がある。映画の中では原節子や池辺良らが自転車で走るラストシーンで使用され、疾走感と躍動感を演出。映画もこの曲も大ヒットを記録した。

「胸の振子」では石丸幹二と望海風斗が初デュエット

「胸の振子」は船山基紀のアレンジで、石丸幹二と望海風斗が初デュエット。「こんな幸せな時間はない。服部メロディは男女のデュエットも合います」(石丸)、「私もとても嬉しいです。大人のムード溢れる音楽にちょっと酔いしれながら歌わせていただきました」(望海)。船山は「例えばコード進行がどう変わっても、それに耐えうるメロディというか、服部先生の音楽がそのまま残っている。それはどの曲にも貫かれている。だから歌い、聴き継がれていく」とこの曲の魅力を語り、優雅でクールなアレンジを施し、二人の甘いデュエットを引き立てた。

この名スローバラードも数々のアーティストがカバーし、『服部良一~生誕100周年トリビュート・アルバム』(2007年)では井上陽水がカバー。素晴らしい歌を聴かせてくれている。

「『東京ブギウギ』は体の中から元気が湧いてくる。リズムとメロディが聴く人の心も歌う人も元気づけてくれる」(望海)

望海風斗が歌い、服部良一の孫であり日本を代表する作曲家の一人・服部隆之がこの日限りのアレンジを作り上げた「東京ブギウギ」も見逃せない。「体の中から元気が湧いてくるというか、そういうリズムとメロディが、聴く人の心も歌う人も元気づけてくれるんだなって歌いながら感じました」と歌の“強さ”を感じていた。

服部は「原曲を歌っている笠置シヅ子さんは、メロディがぶれないけどすごくノリが出ていて、太いけど律儀というかお行儀がいいのか悪いのか、そのバランスが抜群にいいんです。望海さんの歌にもそのスピリットを感じました」と望海の歌を絶賛。

服部隆之、祖父・良一を語る

アレンジについては「祖父が使ったスコアを8割使って、あと2割は少し弦の感じを変えたり、サックスの中間の部分の雰囲気を少し変えたり、コードを変えたりしていますが、ほぼ祖父の作った通りです」と、最大限のリスペクトを払いながら今の“時代の気分”も纏わせるアレンジを作り上げた。

「86年前に舞台でこの音楽が鳴って、笠置さんがパンチのある歌声で歌って、踊りまくって、観客の皆さんは『なんだこれ』ってビックリしたと思うんですよね。当時の日本はどちらかというとセンチメンタルな曲が多くて、でも祖父は戦前ブギのスコアを手に入れていて。どうやって手に入れたのか、その経緯を本人は明かしていませんが、戦後になったら絶対明るい曲を書いて、みんなにパワーを与えて元気を出してもらうって思っていたそうです。それまでに、例えば李香蘭とやった『夜来香ラプソディ』コンサート(1945年)とか、『ジャズ・カルメン』(1947年/日劇)の中でブギのリズムも入れた曲を書いて、試していました。少しずつ試して、来るべき時にブギでオリジナル曲を出す準備をしていたんです。そんな戦略家の一面もあったようです」と、服部良一の音楽家としてのリアルな姿を教えてくれた。

「東京ブギウギ」はビールのCMにも起用されて、幅広い世代に認知度が広がり、口ずさまれている。「令和の時代になってもビールのCMで流してもらって、祖父は大のビール党だったので、天国ですごく喜んでいると思います(笑)」(服部)。

『Sound Inn S』服部良一SPは、11月18日(土)BS-TBSで18時30分から放送される。

※服部隆之の「隆」は旧字が正式表記。

BS-TBS『Sound Inn S』オフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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