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アニメ『シティーハンター』×「Get Wild」35周年 3人のキーマンが語る、誕生までの奇跡の物語

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
写真提供/ソニー・ミュージックマーケティングユナイテッド

『シティーハンター』×「Get Wild」35周年の日に、『劇場版シティーハンター』の新作制作決定が発表される

2022年4月8日、アニメ『シティーハンター』の新作劇場版の制作が決定したことが発表され(公開時期は未定)、SNS上では歓喜の声が飛び交った。さらにエンディングテーマが、この作品には欠かせないTM NETWORK「Get Wild」ということも発表された。35年前の4月8日は「Get Wild」が発売された日でもある。『シティーハンター』は20年ぶりの新作として、2019年2月8日に公開された『劇場版シティーハンター <新宿プライベート・アイズ>』が、興行収入15億円を超える大ヒットを記録しており、その反響の大きさを受け、今回の新作の制作へとつながった。この時ももちろんエンディングテーマは「Get Wild」だった。作品、楽曲共に35年の時を経ってもその人気は衰えることなく、逆に新規ファンを巻き込んでますます注目を集めている。

“ゲワイ博”で盛り上がった35周年

「Get Wild」発売35周年を記念してエンタメサイト「otonano」上では、「Get Wild EXPO2022」(ゲワイ博)が開催され、8個の“パビリオン”が開設されるなど大いに盛り上がった(一部コンテンツを「TM NETWORK Get Wild STATION to 2024」と名称を変え公開中)。様々なバージョンが存在する「Get Wild」の“Get Wild総選挙”をファンの投票で決定(現在投票結果を公開中)した他、『シティーハンター』と「Get Wild」誕生物語を、当時のスタッフが語るスペシャル動画が公開された(5月31日まで限定公開)。

“アニメ「シティーハンター」「Get Wild」を作った男達”対談動画が話題

左から西岡明芳氏(当時EPICソニーレコード宣伝担当)、諏訪道彦氏(当時よみうりテレビ・プロデューサー)、植田益朗氏(当時日本サンライズ・プロデューサー)
左から西岡明芳氏(当時EPICソニーレコード宣伝担当)、諏訪道彦氏(当時よみうりテレビ・プロデューサー)、植田益朗氏(当時日本サンライズ・プロデューサー)

このスペシャル動画に登場した『シティーハンター』と「Get Wild」の“仕掛人”の3人、植田益朗氏(当時日本サンライズ・プロデューサー)、諏訪道彦氏(当時よみうりテレビ・プロデューサー)、西岡明芳氏(当時EPICソニーレコード宣伝担当)が揃って対談するというのは初めてのことで、非常に興味深い話がたくさん飛び出し、貴重な“証言集”になっている。

改めて、両作品の出会い、『シティーハンター』が生まれた経緯と「Get Wild」が生まれるまでを追いかけてみたい。もはや切り離すことができない両作品の35年間のストーリー。どうやって紡いでいったのかをまとめてみたい。

「大人が観て楽しめるアニメを作りたかった」

諏訪氏と植田氏は1980年、新宿・歌舞伎町の飲み屋で偶然出会った。植田氏はガンダムなどを手がけるアニメ制作会社日本サンライズの社員で、諏訪氏のことをアニメ誌でのインタビューを読んで知っていた。二人はその後親交を深めていく。当時読売テレビ・プロデューサーだった諏訪氏は、原作の『シティーハンター』を読み、同局の次の月曜19時枠のアニメとしてどうだろうかと考えていた。「子供向けではそこまで視聴率が取れない。大人が観て楽しめる、自分が観て楽しめるアニメを作りたかった」と考えていた諏訪氏は「これだ」と思った。1987年4月スタートの放送枠を押さえ、社内調整を進めていた。

前代未聞、放送まで4か月、ゼロからのスタート

しかしそれまでアニメを一緒に制作したアニメ制作会社から、今回は協力できないと言われ、予想外の事態に。この時1986年12月、放送まで4か月しかなかった。その時諏訪氏はすぐに植田氏の顔が浮かんだという。実はその時点で原作サイド(集英社)の了解も取れていなかった。植田氏は急いでシナリオと絵コンテを作り始める。「アニメに関しては、テレビ局から正式にゴーサインが出るのは通例でいうと大体半年前でした。でもそれまでに、決まりそうなのかどうか様子を伺いながら準備を進めていくのですが、『シティーハンター』の場合は全くそういう状況ではなく、4か月前にゼロからのスタートでした」(植田氏)。

12月中旬、植田氏と諏訪氏は二人で集英社に出向き、当時の「週刊少年ジャンプ」の編集長にプレゼンしたが「ご再考ください」という返事をもらう。「どうしよう、と真っ蒼になりました。当時の編集長とは今も親交がありますが、あの時のことは忘れられません。その年の年末は生きた心地がしなかった」と振り返る諏訪氏は、1987年1月3日、当時住んでいた沿線とは違う吉祥寺になぜか足が向いた。フラりと訪れた理由を後になって考えてみると「彷徨うしかなかった(笑)。当時、漫画家の先生が多く住んでいた吉祥寺の空気でも吸いにいってみようかな、と思ったのだと思う」と教えてくれた。そこで諏訪氏は奇跡の出会いを果たす。集英社で『シティーハンター』の編集者だった堀江信彦氏とばったり会い、喫茶店で2時間余り『シティーハンター』への思いと、アニメの構想をこんこんと堀江氏に説明し、情熱を伝えた。

その後、原作者、出版社からアニメ化の許諾を取り付け、4月の第1回放送に向けて制作が急ピッチで進められていった。当然オープニング、エンディングテーマの発注もここからになる。

「当時のエピックレコードは、アーティストはタイアップでは売れたくないという考え方が強かった」

植田氏は当時EPICレコードの宣伝担当だった西岡氏とは元々面識があった。西岡氏はかねてよりスタッフを通じて植田氏を紹介されていて、四谷のライヴハウスで行われたバービーボーイズのライヴに植田氏を招待した縁があったのだ。植田氏が手がけたテレビアニメ『銀河漂流バイファム』(1983~1984年)の主題歌で、TAOが歌った「HELLO,VIFAM」は、日本のテレビアニメ作品としては初の全編英語詞で当時注目を集めたのだが、それを聴いた西岡氏は「アニメでこういうことができるんだ」と衝撃を受け、すぐに人を通じて植田氏にアポイントを取った。

当時はアニメ×アーティスト=ヒットという方程式はまだなかった。さらに佐野元春や渡辺美里など新しいアーティストがファンの心を掴み、上り調子だった当時のEPICは「アーティストはタイアップでは売れたくない、ライヴを重ねてお客さんを増やしブレイクさせたい、というのがレーベル全体の考えでした」(西岡氏)。

「最初はガンダムのタイアップが欲しくて、植田さんに相談しました」

西岡氏は当時のCBSソニーに入社して、EPICに来る前まではタイアップで、新しい音楽を幅広い層のファンに広げる部署に所属していた。「EPICに来て文化の違いを感じました」(西岡)。そんなEPICの中で西岡氏は、特に外部とのネットワークに強い存在として“違う”動きをしていた。ある時西岡氏がTM NETWORKのデビューシングル「金曜日のライオン」(1984年)を手に、植田氏を訪ねた。「TM NETWORKをどう売っていこうと考えた時、今だから言えますがガンダムのタイアップが欲しくて、植田さんを訪ねました。でもやはり敷居が高かったです(笑)」。

なお、後にTMは『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の主題歌「BEYOND THE TIME(メビウスの宇宙を越えて)」(1988年)を手がけ、西岡氏の悲願は達成された。

当時アニメのOPとEDは同じアーティストが手がけることが主流だった

アニメ『シティーハンター』のOPとEDを決める際、植田氏は小比類巻かほるとTM NETWORKを諏訪氏に提案した。当時アニメのOPとEDは同じアーティストが手がけることが多かった。OPはアップテンポ、EDはバラードという組み合わせで、シングルとして発売していた。しかし『シティーハンター』はこの部分でも“フォーマット”を変えた。

他社のアーティストとのコンペだったが、当時小比類巻かほるはドラマ「結婚物語」(日テレ系)の主題歌「Hold On Me」がスマッシュヒットしていたので、諏訪氏も注目していたが「正直、TM NETWORKのことはよくわかっていませんでした(笑)。でも8歳下の妹に聞いたところ『何言ってるの、今人気上昇中のすごく注目されているアーティストだよ』って教えてくれました」(諏訪氏)。「いわば妹さんが“Get Wild生みの親”なのかもしれませんね(笑)」(植田氏)。

当時TMは音源とビデオコンサート、ライヴを軸に若いファンを増やしつつあった。9枚目のシングル「Self Control」(87年2月)がヒットし、人気音楽番組『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)に初出演し、“お茶の間”に訴求することに成功した。この次のシングルは絶対に売らなければいけない状況だった。

「ラストシーンにEDテーマ曲のイントロがフェードインし、エンドロールにつながる“火サス”方式でやりたかった」

「Get Wild」(1987年4月8日発売)
「Get Wild」(1987年4月8日発売)

『シティーハンター』の制作サイドは、テレビアニメとして新しい試みを考えていた。それまでのアニメでは本編が完全に終了した後に流れるのがエンディングテーマだった。しかし『シティーハンター』はそのフォーマットを変えた。「『火曜サスペンス劇場』はラストシーンに岩崎宏美さんの『聖母たちのララバイ』のイントロがフェードインして、エンドロールにつながっていく。あの感じがなんでアニメにはないんだろうと思っていたので、植田さんに相談しました。冴羽獠が最後に決め台詞を言うので、それを盛り上げるようなイントロで、都会的で疾走感のあるエンディングテーマを、というリクエストをさせていただいたと思います」(諏訪氏)。このアイディアは同時に、番組最後のCMの枠を失くすという、それまでのアニメ番組の定石を崩すものだった。そのため諏訪氏は営業や、地方局への番組販売の担当者などの社内の関連部署を丁寧に説得し、了承してもらった。

そんなオーダーを受けTMが制作したデモが、1987年の正月明けに上がってきた。「メンバーはこのタイアップの話を聞いた時、最初はピンときていませんでした。でも作品への理解がどんどん深まっていきました」(西岡氏)。当時、銀座三越の2階にあった喫茶店で、諏訪氏、植田氏、西岡氏、EPICの制作担当者がウォークマンでそのデモを聴いた。「最初は少し地味かな、と思いました。それはみなさん同じ意見でした。でも疾走感もあるし、その時はまだ歌詞が入っていなかったのでイメージが掴みにくかったのかもしれません。結果的にはこれでいきましょうということになりました」(諏訪氏)。

「“Get Wild”というタイトルも、冴羽獠というキャラクターをイメージしているようでドンピシャでした」

「Get Wild」MUSIC VIDEOより
「Get Wild」MUSIC VIDEOより

諏訪氏は視聴者層を広げるためには、それまでのアニメのOP、EDのイメージとは違う楽曲を求めていた。タイトルや、主人公や技の名前を連呼するようなものではなく「番組のイメージを引っ張っていく機動車がオープニングテーマ、エンディングテーマはそれを後ろから押す機動車で、客車である本編を繋げ、トータルでイメージを深めていく楽曲が欲しいと思っていました。小室みつ子さんが書いてくださった歌詞も素晴らしくて、“Get Wild”というタイトルも冴羽獠というキャラクターをイメージしているようで、ドンピシャだったと思います」(諏訪氏)。無類の女好きの自由人、でもその実の姿はスゴ腕のスイーパー(始末屋)という、冴羽獠のギャップに惹かれているファンは多い。そんな彼をひと言で表している言葉が“Get Wild”なのだ。

物語、台詞とリンクすることで「Get Wild」もよりカッコよく、立体的に聴こえ、その相乗効果は計り知れない。「ずっと思っているのが、アーティストのパワーと作品のパワーが交わる、誰もが見える一点があればいいんです。そうすると双方のパワーが倍になってユーザーには伝わると思います。こう思ったのもこの作品がきっかけです」(諏訪氏)。

“限られた時間”が推進力になって生まれた名作

わずか4か月足らずで、ゼロから第1回放送に漕ぎ着けた過酷な制作状況の背景には、圧倒的に時間がない中での奇跡ともいえる出会いや、周辺人物を巻き込んでいくパワー、紆余曲折のストーリーが存在した。時間がない、切羽詰まった状況、その中で諏訪氏と植田氏という、当時弱冠27歳と30歳の2人のクリエイターで、全て決められたことが奏功したといっていい。既存のフォーマットを壊し、イノベーションを起こしながら新しいアニメとその音楽作りに突き進んでいった。この物語の詳細は、スペシャル動画『アニメ「シティーハンター」「Get Wild」を作った男達対談!』(前・後編/5月31日まで限定公開)で楽しむことができる。

新作「劇場版シティーハンター」×「Get Wild」でさらに続くストーリー

「Get Wild」は、2017年に同曲だけで構成されたアルバム『GET WILD SONG MAFIA』がリリースされて大きな注目を集めた。この曲はライヴごとに様々なバージョンが生まれ、先述した「Get Wild総選挙」も多くのファンが参加し、投票した。さらに「Get Wild退勤」という言葉が生まれたり、Twitterのトレンドにもよく「Get Wild」という言葉が登場する。35年経ってもまだ進化し、さらに深化するのが「Get Wild」という楽曲だ。『シティーハンター』の新作劇場版でこの曲がどう響き、作品と交差し、どんなパワーが生みれるのか、今から楽しみだ。

otonano『Get Wild STATION to 2024』

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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