Yahoo!ニュース

吉田山田 10周年を終え、芽生えた新しい気持ちを胸に、さらに自由に二人だけの道を切り拓いていく

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
写真提供/ポニーキャニオン
『吉田山田大百科』(4月8日発売/デラックス盤)
『吉田山田大百科』(4月8日発売/デラックス盤)

吉田山田。吉田結威(G/Vo)と山田義孝(Vo)は、2009年10月にメジャーデビュー以降、13枚のシングルと7枚のオリジナルアルバムをリリースし10周年を迎えた。そのパブリックイメージは2013年にNHK『みんなのうた』でオンエアされ、“泣ける歌”として多くの人に支持された「日々」に代表されるように、泣ける歌をたくさん歌っているアーティスト、と感じている人が多いのかもしれない。コアファンは当然知っているが、決してそれだけはなく、彼らのライヴは底抜けに楽しく、ハッピーにさせてくれる、聴くと元気になる、背中を押してくれる、勇気を与えてくれる歌をたくさん歌っている。10周年を記念して、4月8日に発売したベストアルバム「吉田山田大百科」には、そんな吉田山田の多彩な音楽が、全 14曲+新曲1曲収録されている。100曲を超える作品の中から二人の10年の軌跡を辿り、同時に二人の“これから”を意思表示を感じることができる“精鋭”達が、二人の真の音楽性を伝えてくれる。10年という時間について、初のベストアルバムについて二人にインタビューした。

「それまで何周年かは気にしてこなかったけど、よりよい10周年を迎えるために、ここ数年意識してやってきた」(吉田)

「ライヴも楽曲も10周年に向け、一度出し切った感がある。これからはもっと音楽を楽しみながら、次のフェーズに向かいたい」(山田)

画像

「今まであまり“期間”に拘ってたこなかったし、単純に段々と歳をとっていくにあたって、表現が変わってきたり、二人の同級生からの関係性が変わってきたり、それだけで楽しいといえば楽しみながらやっているのですが、でもあえて10年は意識して迎えるっていうのが7年目くらいからのテーマで。このままいくと普通に楽しい、10年も11年も15年も迎えられそうですが、あえて、一回自分たちで節目を作ろうと。なので、しっかりとした節目になりました」(吉田)。

「10年で何を残すかということをやってきて、ライヴも楽曲も全て出し切りたいという思いがあって、それが完結できたので、今はその先へという強い気持ちがありつつ、やり切ったという思いに浸っている部分もあります。ここからはもっと力を抜いてやっていきたいなって。10年の締めくくりはかなり力を入れて、そこに向かって肉体的にも精神的にもすり減らしてやってきたので、音楽ってもっと楽しくあってもいいなって。そういう思いで曲を作りながら、次のフェーズに行きたいです」(山田)。

10年という大きな節目をひとつの到達点と考えて、二人は自分達がなぜ音楽をやってきているのか、何をしたいのかを突き詰めることにした。それが『変身』(2017年)、『欲望』(2018年)、『証命』(2019年)という三部作となって表れ、さらに2019年には3年ぶり2度目の全国47都道府県ツアー『吉田山田 47都道府県ツアー~二人またまた旅2019~』を行い、11月30日に『吉田山田10周年記念「大感謝祭」』を開催。そしてこの初のベストアルバムにつながっている。

「ベスト盤に何を入れるのか、僕らの気持ちだけで選ぶとキリがなかったので、スタッフさんと相談しながら、今の吉田山田のベストアルバムとして、この曲は入ってなかったら悲しいよね、という感じで選曲していきました。その中に、少し自分たちの意志というか、もしかしたら地味かもしれないけど、僕らにとってはすごく大切で、できれば今再評価して欲しいなって思う曲を何曲か入れさせてもらって、その一曲が「花鳥風月」です。この曲はアルバムの中の一曲ですが、確かデビュー前に作って、そんなに評価されていないかもしれないですけど、二人の中ではすごくいい曲だと思っていて」(吉田)。

「ファンの皆さんには意外な選曲だと思われるかもしれませんが、10年経った今でも、この曲に込めた感情が二人とも薄まらなかったので、やっぱりこれはいい曲だなと自分たちでも思っています」(山田)。

10年間、作品を出し続け、ライヴをやり続けた二人が、止まってしまった瞬間とは!?

10年間でシングル13作、アルバム7作を発表。さらに毎年ライヴツアーを行い、常に動き、歌を届けてきた二人が、曲が書けなくなり“止まって”しまった時があった。それがデビュー2年目を迎えた2011年3月に発生した東日本大震災の時だ。他のアーティストもそうだったように、二人もまさに“言葉を失った”という。

吉田結威
吉田結威

「東日本大震災の時、立ち止まるつもりはなかったんですけど、歌と一生懸命向き合っても、言葉が出てこないという、それまでの自分たちの人生の経験では乗り越えられないような気持ちになってしまって。どんな言葉を捻り出しても、すぐにその言葉がすごく陳腐に思えて、これでは作品として出せない、その繰り返しでした。命に関わる状況、困窮されている方がいる中で、僕らが音楽でできることってなんなんだろうという究極の問いを突然されたような感覚でした。何年か経って思ったのは、音楽は娯楽のひとつであって、色々なことに余裕があるからこそ必要とされるもので、でもあるとすごく人生が豊かになるものだと思っています。心は癒えていっても、心のどこかにわだかまりのようなものが残り、それを抱えて生活していく中で、何年後かに音楽がそれを浄化させることもあるかもしれない。今こうやって、新型コロナウィルス問題の中で生活をしていると、エンタテインメントの存在を、改めて考えさせられているというか。誰かが傷ついてまでやることではないというところは、二人とも割り切れていて、例えばライヴやイベントがなくなっても、割とポジティブでいられるというか、今、家にこもっていなさいっていう状況の時に、逆にできることあるはず、と思えるようになりました。でも東日本大震災の時はそういう状況が初めてだったので、とにかく落ち込んだし、ちょうど「約束のマーチ」という曲を作っている最中だったので、それはすごく思い出に残っています」(吉田)。

山田義孝
山田義孝

「震災の時もそうですけど、僕は30歳になるかならないかくらいの時、人生で初めて落ち込んだというか、自分で“もが期”と呼んでいて、とにかくもがいた時期があって、曲が書けなくなりました。訳もなくというか、このまま30代になっていいのかなって、突然不安になりました。それまでは漠然と、なんとかなる精神でポジティブにやってきましたが、もがき苦しんで部屋に閉じこもっていた時期もありました。でもこれじゃダメだと思って、家の近所にゴールデン街(新宿)という飲み屋街があったので、それまで全然お酒が飲めなかったのですが、ひとつのお店で一杯だけ飲んで、一日五軒くらいはしごしていました。全然知らない人とおしゃべりして、くだらない話なんですけど、その中にいい言葉があったらボイスメモして、メロディを付けてということを毎日やりました。そんなことしていると、少しずつ心の氷が溶けていって、何か大きな出来事があってそれを乗り越えた訳ではないですが、色々な人と話しをしているうちに心の中の得体のしれない塊がほどけていって、気持ちが楽になりました。その時作ったのが、今回のベスト盤にも収録されている「魔法のような」という曲です。結局何か答えを出したわけではなく、言葉にできないけどこの<LALALALA LALALALA>という部分に思いを乗せて、繋がりあいたいという曲になりました。言葉にできないですというのが、その時の答えでしたが、10周年を終えた今、自分では出し切って空っぽだなって思っていた部分もあって、この先どんなものを作っていこうか、正直わからない部分もあります。まだ迷ってるというか、絞り切れないというか。だったら答えを出さずに、わからないということを歌にしてもいいと思うし、毎日思うこと、感じることが違うので素直にそれを歌にしようって。だから毎日、全く違う感じの曲ができたりしていて、それはそれで楽しいし、この迷いも楽しいなって思えるので、あの時の時間は大事でした」(山田)。

「泣ける曲を狙って作っても、意図して作ったら逆に遠ざかる気がする」(山田)

「山田が全く泣かせるつもりもなく書いてきた曲に、僕が泣きそうになることが多々ある」(吉田)

吉田山田といえば、YouTube再生回数1500万回超えを誇る“泣ける歌”「日々」や、同じくYouTubeのコメント欄に「涙腺崩壊」というコメントが並ぶ「赤い首輪」など、泣かせる歌が多い印象がある。果たして二人は敢えて泣ける歌を作り、聴き手を“泣かせにかかっている”のだろうか?

画像

「そうやって作ったことは一回もないです。自分が泣けるくらいの曲を作りたいという思いはありますけど、意識しながら作っても、作れないです。だから色々なピースがはまった時、それが訪れるという感じです。『日々』という曲ができた時も、小さい頃からお世話になっていた近所に住んでいたおじいちゃんが、体調が悪くなったという話を母親から聞いて、ボーッと物思いにふけっていると、その当時の風景が甦ってきて、言葉が溢れ出てきて、ああいう曲ができたので、意図したら逆に遠ざかる気がします」(山田)。

「2人組なので山田が全く泣かせるつもりもなく、ポンと出してきた曲に対して、僕が泣きそうになるということは多々あって。やっぱりそれはいい曲だと思うし、お互いに評価し合って伸ばしていけるところなので、作る時の気持ちに対してはピュアでいられるというか。僕が最初に『日々』のデモを聴いた時、うちのおじいちゃんとおばあちゃんとは全然違う老夫婦が描かれているのに、すごく迫ってくるものがあってグッとくるということは、色々な人に届くかもしれないねって、ここで初めて作家としての感性が入ってきて、じゃあどうやって作っていこうかって作れるところが、僕らの強みかもしれません」(吉田)。

「歌は小手先ではなく生き方。何を考え、どういう生き方をしているのかが、ステージに立った時に出るということに気づいた」(吉田)

吉田山田の楽曲を聴いていると、バラードはもちろんだが、切ない歌詞、表現を山田がどこか朗らかな感じで歌っている。だからアップテンポの曲も切なく聴こえてくる。そこに吉田の歌声が重なり、抜群の温度感になって聴き手の心に届き、感情を揺さぶられる。

「僕からすると、本当はもっと深く歌いたいんですけど、こうなっちゃうんですよ。よくも悪くもですけど、僕の色はこうなんだろうなって思っています」(山田)。

画像

「10年の中で、47都道府県ツアーを2回やって、3~4か月で約50ステージをやっていく中で、歌があるところで限界値に達するんですよ。これ以上どうやったらいいんだと。今日はめちゃくちゃコンディションもよかったし、でも100点じゃないんだよなってなった時に、2人が辿り着いたのが、歌は小手先ではなく、生き方だということです。だから山田が、もっと深く歌いたいと思って出す声なんて、たかが知れていて、僕も朗らかに聴いてくださいって思っている歌は大したことなくて、例えばホテルで一人の時、道を一人で歩いてる時に、何を考えてどういう生き方をしているのかということが、ステージに立った時に出るということに二人は気付きました。だから歌をこういう風に響かせたいという考えはもう捨てました。そうではなく、普段の生き方が歌に乗るから、普段の生き方からミュージシャン、歌唄いでいようということが積み重なって、自分たちが感動できるステージができると思います。それが47都道府県ツアーで手にしたことです」(吉田)。

「『いくつになっても』は、お互いに今だからこそ大切な時間についてを曲にでき、それを今回入れることができてよかった」(吉田)

「『母のうた』は、人生の“ベスト・オブ・Bメロ”。Bメロによって、曲がこんなにも印象に残るということを教えてくれた革命的な作品」(山田)

数ある作品の中から厳選したものをパッケージしたベストアルバムだが、さらに厳選してもらい、前述の「花鳥風月」と共に、特に思い入れの強い曲を教えてもらった。

「新曲の『いくつになっても』です。吉田山田としてではなく、吉田結威として、同じ36歳の同級生と話をしていると、人生において色々抱え始めている年齢でもあって、そんな友人たちに届いたらいいなって素直に思えた一曲です。みんな忙しくて、家庭を持ってる奴もいるし、なかなか会えないけど、だけどずっと思ってるよって。いくつになっても昔みたいに馬鹿なことをしたいと思っているし、子供がいて普段はパパでも、みんなで一緒にいる時は馬鹿な同級生でいるその瞬間がすごく大切だし、僕と山田にとってもそういう時間が今だからこそ大事なんだなって思える今、この曲をベストアルバムに入れることができてよかったと思います」(吉田)。

「選ぶのが難しい(笑)。例えば自分の中でもここのAメロいいなとか、サビいいなっていうのは何曲もありますが、このBメロは僕が色々な音楽を聴く中でも一番いいなっていう、“ベスト・オブ・Bメロ”の曲でもいいですか?「母のうた」です。これは今まで自分が作った曲、他のアーティストの曲を含めて、これ以上のBメロを僕は聴いたことがないです。Bメロ王です(笑)。曲ってBメロがいいと、こんなに印象に残るんだということをこの曲で学びました。Bメロってサビに行くまでの勢いづけ、繋ぎだったりしますが、この曲のBメロって、親子だけではなく、恋愛や友達、色々な夢、全てに重ねられるし、余計なものがひとつもない。Bメロがずっと心に残るというのは、僕の音楽人生の中で初めてで、革命でした」(山田)。

「やっぱり新しい曲に目を向けて欲しい」(吉田)

「『微熱』はこれまでの作り方、やり方に固執しないで、実験的なことをした作品」(山田)

吉田が特に印象に残っているという新曲の「いくつになっても」は、10年続けてきたからこそ書けた「これから」を感じさせてくれる作品だし、そしてボーナストラック盤に収録されている新曲「微熱」は、今までの吉田山田にはなかった温度感を感じる曲だ。

「僕らはどうしても新しい曲を欲してしまいます。最新曲が一番いいと思っているのが作者だと思うので。振り返ればどの曲にも愛着がありますが、やっぱり新しい曲に目を向けて欲しいです」(山田)。

『微熱』は新しい方たちと一緒に音楽をやってみると楽しいかもというフラットな気持ちで作りました。これまでの作り方、やり方に固執しないで、実験に近いことをした楽曲です」(吉田)。

山田はいつも鼻歌で曲を作っているという。街歩きながら鼻歌を歌っているのに気づいて、気になるメロディが出てきたら、それを繰り返しスマホに録音して、楽曲を構築していく。

画像

「だからいまだに面白いですよ、山田が作ってくる曲は。楽器を弾きながら曲を作る人からは出てこないもの。山田のように、楽器を使わないで、鼻歌と共にラップのように出てくる自然な言葉、直前に目にした何か、感じたことがメロディに乗って自然に出てくるというのは、なかなかできないことだと思うので、僕はそれをすごく楽しんでいるから、山田には楽器をやらないで欲しいです(笑)」(吉田)。

「人生の中での目標として、自分の親に対する気持ちをちゃんと決着つけたいというか、形に残したいという思いがいつもあります。なんとも言葉に言い表せない感情が自分の親にはあるので、それをちゃんと形に、一曲にできたらいいなって。これまでたくさん家族に対しての曲を作ってきましたが、もしかしたら一曲では無理かもしれないけど、一枚のアルバムだったら描けるかもしれないと、ずっと考えています」(山田)。

吉田山田の多彩な音楽性が伝わってくると同時に、これからの二人の姿が見えてくる、未来志向のベストアルバムはとても瑞々しい。

吉田山田 オフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

田中久勝の最近の記事