楠瀬誠志郎 33年間追求し続ける「シングルの作り方」の美学、その先にある「ポップス」の在り方とは

写真提供/ソニー・ミュージックダイレクト

「ポピュラーソングは、何年経ってもライヴでは、オリジナルキーを変えてはいけない」

シングルコレクション『Single collection and Something New』(6月28日発売)
シングルコレクション『Single collection and Something New』(6月28日発売)

昨年11月行われた『otonanoライブ』(関内ホール)で、久々に楠瀬誠志郎のライヴを観て、デビュー33年経っても変わらない、その透明感を湛えた声と、いい薫りを放つポップネスな音楽に、改めて引きつけられた。1994年のヒット曲「しあわせまだかい」、新曲のバラード「小さな手のひら」と同じく新曲の「トムソーヤ」、郷ひろみに提供した代表曲のひとつ「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」、そして代名詞ともいえる「ほっとけないよ」を披露。キーも当時と全く変わらず、アレンジも原曲とほぼ変わらない。“伝える”ということへのこだわりが伝わってきた。そんな楠瀬が、今年6月28日初のシングルコレクション『Single collection and Something New』(2枚組・全29曲)を発売した。これを聴くと本当に変わらない声と、上質なポップスを歌い続けてきたことがわかる。またボーナストラックとして、先述した『otonaoライブ』のライブ音源も収録されている。「ポップス」を追求し続け、「シングル」というものにこだわり続けてきた楠瀬に、その仕事の流儀を聞いた。

「ポピュラーソングはライヴではオリジナルキーを変えてはいけない。メロディや歌詞を聴いてくれるのはもちろんですが、ライヴではイントロも変えていけない。当時聴いてくれていた人は、あの時のキーと“響き”で記憶をしているので、それを守っていくことが僕達の使命だと思う。特にシングル曲はキーは絶対に変えてはいけない、という思いがあるので、キーを変えないためにトレーニングするというのは、歌い手にとってとても大切なことだと思う。キーが変わると裏切ることになってしまうので」と、ライヴででのオリジナルキーとイントロへの、徹底したこだわりを教えてくれた。

「聴き手とアーティストをつなぐ入口の扉がシングル。その扉をどれだけ輝かせることができるかが大事」

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そして楠瀬には「シングルにはシングルの作り方」という美学がある。

「やっぱり人と、そのアーティストをつなぐ入口の扉が、シングルだと思う。その扉を開けると、こういう椅子もあるんだ、この椅子は座ったら気持ちよさそうだなとか、色々なスタイルの椅子がアーティストから提示されているんだけど、扉を開けるのはひとつのシングル盤しかない。僕も、キャロル・キングやママス&パパスの音楽を好きになったのは、アルバムを聴いてではなく、シングル曲からでした。そのひとつの扉にどれだけ輝きを持たせることができるかが、とても大事なことだと思う。ポピュラーソングをやるのであれば、シングル志向の頭でなければダメだと思う」。

「シングルは一話完結。“滲ませ”てはいけない、ビビッドであることが大切」

シングルをきっかけにアルバムに導く――というと、当たり前のように聞こえるかもしれないが、その当たり前を実現するために、33年間、シングルに全身全霊を傾け、数々のヒット曲を世の中に送り出した。その姿勢は、自身が歌う曲も人に提供する曲も変わらないという。

「シングルは“一話完結”であることを強く意識して、“滲ませない”こと、ビビッドであることが大切。そして、一度聴いたら必ず残る部分があること。作り手によって色々な流儀があると思いますが、僕がシングルを作るときは、それを守るようにしています。明日シングル曲を作ると決めたら、前日から体と頭を切り替えて、起きた瞬間から“シングル脳”で制作に入ります。それだけシングルを作るということは、自分にとって大事だし、その自分を維持していくことが大切だと思っています」。

「アルバムは色々な色を“滲ませる”もの。ある意味、輝ける嘘をついてあげること」

アルバムはシングルとは違い「聴き手が色々な思いを巡らせることができるもの」という、捉え方で作り続けてきた。

「アルバムはシングルと違って、“滲ませる”ものです。色々な色を滲ませるよさがアルバムにはあった方がいい。ある意味、輝ける嘘をついてあげることだと思います。みんなが笑顔になれる嘘をついてあげることが、アルバムでは大切だと思う。シングルの中では嘘はつけません。その違いは、見えないかもしれませんが、ものすごく大きいと思う。それは僕に限らないと思います。もちろんアルバムも好きなんですが、やはりシングルあってこそだと思うし、その思いは今後、シングル盤という形はなくなったとしても続くと思います。ラジオでも1曲しか流してくれないし、テレビでも1曲しか歌わせてもらえないですし、“この一曲”という在り方は、今も、これからも変わらないと思う」。

「“輝けるワンパターン”をやり続け、あっという間の33年だった」

今回、このシングルコレクションを作るあたり、改めて一曲一曲と向きあってみて、これまでの33年間という時間を、どう捉えているのだろうか。

「あっという間でした。今回、一曲一曲と向き合った時、“輝けるワンパターン”だと思いました。そればかりやっているので、もしもそれが輝けるワンパターンではなく、色々の方法で、色々な方向の道に行った33年間だったら、長く感じていたと思います」。

「今まではモノを作る方に寄っていた。今はとにかくライヴをやりたい。ライヴで表現したい」

今、楠瀬はキャリアの中でも最も精力的に、ライヴ活動を行っている。バンド編成、アコースティックスタイル、とにかくステージに立つことを新しい使命として、歌を届けている。

ライヴPhoto/Tetsuya  Kameyama
ライヴPhoto/Tetsuya Kameyama

「2018年から、ものすごくライヴに目覚めている自分がいます。今まではどちらかというとモノを作るという方に寄っていた気がしていて。ライヴの本数を数えたら、ここ何年かは毎年片手にさえ余るという感じでした。それが今は、とにかくオーディエンスの前で表現したいという気持ちになっていて、それは今まであまり自分の中になかった感覚です。今さらながらそういう気持ちになっています。昔は、アルバムの再現するためにツアーをやっていました。でも今は再現性を追求するよりも、“ちゃんと歌おう”という思いで、ステージに立っています。これが自分にとっては新しい発見なんです。ライヴをやろう!って決めた時に、自分にミッションを与えました。それは音楽の力で、3年間で2000人のホールを満杯にすることです。アコースティックライヴも、ホールでちゃんとした音で、聴いてみたいと思ってもらえるように、という思いでやっています。上質なものを届けたい。CDではなく、配信だけで、ヘッドフォンだけで音楽を聴いている若い人たちにも、生の音、スピーカーから出るいい音を聴いて欲しいです」。

  

ピアノ1台をバックに歌うスタイルのマンスリーライヴでは、新曲のデモ音源を収録したCDを販売するという、これまで、音源へのクオリティに徹底的にこだわり続けてきた楠瀬には、考えられないことだ。

「これも今までは絶対にやらなかったことです。でも。曲が生まれたその瞬間の記録、スケッチをファンの皆さんに届けたいと思いました。完成形とは全く別モノですが、そこにしかない、命のようなものが存在しているはずです。このスケッチがどんな完成形になるか、楽しみにして欲しいです」。

「効率重視の世の中で、寄り道、回り道は後で宝物になる」

ポップスは幸せな時間を提供してくれ、生活を潤してくれる。思い出や記憶と共に、人生に寄り添ってくれる贈り物だ。しかし、今の世の中は、そんな素敵なポップスに出会いにくくなっているのでは?という思いに駆られて、新曲「トム・ソーヤ」ができあがったという。

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「特に30代、40代の人達に言いたかったのですが、あまりにも“寄り道”がなさすぎませんか?ということなんです。なんでも効率重視で、無駄なことをしないことが正解という空気が、今の世の中は充満してる感じがして、それってどうなのかなって。キュンとするとか、嬉しいとか、愛情とかって、非効率なところに存在している気がするし、そこにカルチャーがあると思います。寄り道、回り道って、今は無駄なことだと思っていても、後で絶対にとんでもない宝物になるということが言いたかった。もっと遊ぼうよ、と。そうじゃないと、僕達がやっていることって、本当にわかってもらえないなって思います」。

12月5日は渋谷duo MUSIC EXCHANGEでのライヴも決定している。そして来年はオリジナルアルバムをリリースし、ツアーを周る予定だ。求道者のようにポップスに打ち込み続ける楠瀬は、ライヴへの向き合い方に新しい自分を見つけ、59歳の今がまさに充実の時かもしれない。

otonano 楠瀬誠志郎『Single collection and Something New』スペシャルサイト

楠瀬誠志郎オフィシャルサイト