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今、浪曲が面白い! 新作が好評の浪曲師・玉川太福に注目「結果を出す事で評価も固定概念も変わっていく」

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
「我々の世界は売れたもん勝ちというか、お客様が沸いてくれたら説得力が増します」

注目の浪曲師・玉川太福、「古典」と「新作」でCDデビュー。熱くエネルギッシュな浪曲の魅力を伝える

『浪曲 玉川太福の世界「古典編」』(11月28日発売)
『浪曲 玉川太福の世界「古典編」』(11月28日発売)

「浪曲」と聞くと、お年寄りが楽しむもの、と思われがちだが、最近は、渋谷らくご(会場:ユーロスペース)や、関東で唯一の浪曲の定席・木馬亭(東京・浅草)に、女性を中心に若い人が足を運んでいる。お目当ては、若き浪曲師・玉川太福(たまがわ・だいふく)だ。講談では今年、神田松之丞が大きな注目を集める存在になったが、玉川太福も浪曲を幅広い層に広げるために、様々なイベントに出演し、“客を呼べる浪曲師”として話題になっている。そんな、浪曲界に新風を吹き込む玉川太福が、ソニー・ミュージックダイレクトの落語・演芸専門レーベル「来福レーベル」から、CDデビューを果たした。

『浪曲 玉川太福の世界「新作編」』(11月28日発売)
『浪曲 玉川太福の世界「新作編」』(11月28日発売)

『浪曲 玉川太福の世界』と題して、「古典」と「新作」の2タイトルを11月28日に同時発売。声・節・タンカと三味線が作り上げる、熱くエネルギッシュな浪曲の魅力、そしてこれから浪曲界でどんな存在になっていきたいのか、インタビューした。

コント作家・役者から、27歳の時、浪曲師の道へ

玉川太福は、1979年新潟県生まれ。大学卒業後はコント作家として台本を描き、自ら上演するという活動を続ける。27歳(2007年)の時に、浪曲の世界に飛び込む事を決めるが、そのあたりの事情は、玉川のホームページの“私が浪曲師になったわけ”に詳しいが、この2007年、二代目玉川福太郎の門をたたいた。しかしコント作家からなぜ浪曲師だったのだろうか。

写真提供/ソニー・ミュージックダイレクト
写真提供/ソニー・ミュージックダイレクト

「大学を卒業して、半年ほど放送作家の事務所でお世話になりました。そのあと、4~5年、台本を書き、コントを上演するという、自分が憧れていた事をずっとやってきて、27歳の時にふと立ち止まった時、将来や目的が見えなくなっている自分がいました。そんな時に、知り合いの俳優さんから「浪曲って知ってる?」 と渡されたのが、「玉川福太郎独演会」のチラシでした。それまで浪曲なんて観た事がなかったのですが、木馬亭に観に行きました。お客さんは年配の方しかいなくて、初めて観た、のちの師匠の浪曲が面白いと思えませんでした(笑)。でもやはり気になったのか、それから木馬亭に通うようになり、声の迫力や表現力に圧倒され、どんどん浪曲の世界に引き込まれていきました」。

そこから行動は早かった。2007年1月、浅草にある日本浪曲協会の事務所の前から電話をかけ、浪曲師になりたいと正面から門を叩いた。

「電話に出た方にそう伝えたら、「浪曲は、今はなかなか食べていけませんけど」って言われて(笑)。でもその足で事務所に伺って、いきなり、玉川福太郎師匠の弟子になりたいと直訴しました」。

この年の3月、玉川福太郎の元に入門。その伸びやかな声と、豪快かつ艶を感じさせてくれる節まわしで人気を集めた福太郎は、低迷期が続いていた浪曲界を盛り上げようと奮闘していた。しかし太福が入門して2か月後に、不慮の事故で急死。右も左もわからない世界に飛び込んだ太福は、入門早々、親も同然の師匠を失ってしまうというハンディを背負うことになる。

「パニックというか、茫然自失というか、現実感があまりになさすぎて、それは今もそうです。でも女将(玉川みね子)さんが「三味線私でいいの?」って言ってくださって、そのひと言で続けていこうと思いました。浪曲師は落語家さんと違って、誰かの弟子にならなければ続けられないという制度はないので、逆に強制的に他の方の弟子にならなければいけない事になっていたら、辞めていたかもしれません。師匠に、入門した初日に「親子以上だからな、師弟は」って言われて、私も、心から尊敬できない芸の方を親とは思えない性格なので、そこは意志を貫きました。幸い女将さんが三味線弾きで、姉弟子が5人いて、師匠の台本と音源がたくさん残っているという状況だったの、なんとか続けられてきました」。

「新作を初めてお客様の前で披露した時、古典をやった時とは違う反応があり、ダイレクトにお客様と繋がれたような気がした」

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太福は、研鑽を積み、古典を追求しながらも、新作浪曲にも力を入れている。今回発売した2枚のCDも一枚は「古典」、もう一枚は「オリジナル=新作」だ。「古典」には師匠・福太郎の十八番でもあり、お家芸となる「天保水滸伝~鹿島の棒祭り~」など3席、「新作」では太福作の「地べたの二人~おかず交換~」など、現代の人間模様を浪花節で描いた演目が収録されている。コント作家として活動を続けてきた太福が、伝統の芸能の世界に足を踏み込んだ時点で、浪曲界の歴史は動いたといってもいいのかもしれない。伝統を守りながらも変化を重ね、進化していかなければ、お客さんは増えていかない。だからこそ太福は新作をどんどん作り出し、浪曲のすそ野を広げるべく、奮闘を続けている。

「しっかり古典を学んでから、新しいものにチャレンジしていくべきと思っていました。でも浪曲が体に入ってくれば入ってくるほど、自分がやりたいと思っていた事がなかなかできないんじゃないかと思ってきて。というのも、私が昔作っていたコントは、浪曲とは対極的で、日常を切り取ったものを面白く見せていくものだったので。でもいざお客様の前で、お風呂に行ったらお湯が熱かった、みたいなネタをやったら、古典をやった時とは違う反応で、喜んでもらえて、そこでダイレクトにお客様と自分が繋がれたような気がして、こっち(新作)をやっていいんだなって思えました。手探りでも、面白いものはお客様が素直に面白がってくれるんだなという事を、お客様に教えてもらった事が大きいです」。

新作浪曲「地べたの二人」を聴きに、幅広い世代が寄席に通う

CDにも収録されている、太福が作った創作浪曲「地べたの二人」を聴きに、今、幅広い層のファンが寄席に駆け付けている。登場人物は上司の「サイトウさん」と部下の「カナイくん」の二人。二人の日常の些末な出来事を取り上げている。古典では江戸、明治時代といった観た事がない世界のことを、浪曲師の語りに想像力をフル稼働させ、その世界に入っていく。しかし「地べたの二人は」、あまりにも目の前過ぎる場所で繰り広げられる、何もない日常のシーンにタイムラグを感じる事がなく、二人の“隣”に行く事ができる。そして太福が“唸り”でそこに笑いの波風を立て、さらに二人の世界に引き込む。CDにはシリーズ11席中、4席が収録されている。

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「シリーズの中の一席「おかずの交換」は、ネタおろし以来2年間で、ものすごい口演数になりますが、どんどん私の中でも育っているというか。「サイトウさん」と「カナイくん」は、真剣な二人の会話がズレていて、それを客観的に見た時におかしいというネタなので、過剰になりすぎないように、むしろどう削っていくか、そこでどうすれ違わせるかが面白さにつながっていると思います。このネタは最初は、若者の向けの寄席、渋谷らくごでは受け入れられると思っていましたが、今は落語目当ての年配の方々の前でやっても、笑っていただけて。老若男女が受け入れてくれるんだなって自信につながったし、若者に向けた突飛なものや、変わったセンスのものではなく鉄板のものでいけるんだと思った時に、この世界が自分の中で膨らんでいきました」。

「せめて、自分と同年代の人にわかる内容のものをやらなければいけない」

やはり若い人に浪曲を聴かせたい、自分がこの世界に入ったからには、もっと浪曲を広めていかなかればいけないという、使命感のようなものが生まれたのだろうか。

「師匠に言われた事なんですけど、せめて自分と同年代の人にわかる内容のものを、やらなければいけないと。素晴らしい古典がたくさんあるので、どうしてもそれをやりたくなってしまいます。でもそのままやっても伝統芸能としてはいいと思いますが、大衆娯楽にならない。だから自分の同年代の人が聴いてわからないものにはしたくないというのは、入門当初から思っていました。若い人に聴いて欲しいというより、純粋にお客さんを増やしていかなければいけないし、そのためには年配の浪曲通の人にも聴いて欲しいですが、もっと若い人に聴いてもらうことが大事だという考え方です」。

浪曲師は、全盛期の昭和初期には全国に3000人いたという。しかし現在は東西合わせて演者は60人、三味線を弾く曲師は20人ほどしかいない。そうなるとシーンは現状打破よりも現状維持、守りの姿勢になってしまう。

「新しい事を受け入れないというか、ごく一部の浪曲をよく知っているファンの方に、うまくなっている姿を見せるということにはみんな頑張りますが、浪曲を知らない人に向けてわかりやすく説明して、というようなことをする人が少ない。だから私は、多くの人に浪曲って面白いんだということを、予備知識がない人、先入観を持っていて、聴く機会を失っている人にわかってもらう役割を担いたいです」。

「結果を出すことで評価は変わるし、この世界の固定概念も崩れていくと思う」

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浪曲に興味を持つ人のパイが増えれば、太福のように才能を持った人がこの世界に入って来る確率も単純に増えていく。太福がこの世界に入ってから12年で、10数名の後輩が入ってきたが、それでも少ない。平均年齢はグッと下がったというが、お手本となる先輩が鬼籍に入ったり、本物の浪花節を受け継ぐ機会がなくなっているという、シビアな状況だと太福は言う。それは聴き手に対しても言える。本物、名人芸を聴く機会が少なくなっているという事だ。そんな状況の中で、キャリア12年の太福は、どこへ向かおうとしているのだろうか。

「漠然とした方向としては、新作を作れる限り作っていきたいです。芸人って、人がやっていない事をやるというのが第一歩という気がしていて。だから新作を書けるというのは間違いなく私の武器だし、我々の世界は売れたもん勝ちというか、お客様が沸いてくれたら説得力が増します。そうすると今まで無反応だった師匠方が、面白かったって言ってくれたり、結果を出すことで評価は変わるし、この世界の固定概念も崩れていくのかなと思っています。最近、日常的な新作浪曲を書く後輩も現れてきました。私が今古典しかやっていなかったら、今回ソニーさんからCDは出してもらえなかったと思います。浪曲は歴史が比較的新しいので、むしろ新作を作りやすいと思っていて。浪曲は元々色々なもののいいとこどりで、貪欲に時代に合わせている芸能だと思っていて、その流れから大ヒットしたのが、浪曲師の二葉百合子さんが歌った「岸壁の母」(1972年)です。浪曲は節があるので、ひとつのフレーズを強い印象にして頭の中に残せることができる。それこそ流行語大賞にノミネートされる可能性もあると思います(笑)。だから現代向きであるということを忘れてはいけない。新作を作りながら、古典の世界を追求していって、深めて高めてということを頑張っていくしかないと思います」。

「浪曲は難しい芸だが、一番色々なことが表現できる。演者も聴く人も増えれば世界が広がって、本当の意味でのブームが起こる可能性を秘めている」

浪曲は語りと三味線とが一体化し、聴き手のイマジネーションに“頼る”芸ともいえる。そのお客さんを笑わせる事で、他の演者からの見る目も評価も変わり、浪曲界全体が活性化されていく。

「浪曲は、落語と講談にさらに「節」を足したような要素があるので、正直難しい芸だと思います。難しくて時間がかかるのが浪曲ですが、一番色々なことが表現できるのも浪曲です。だから聴く人も演者も増えたら世界が広がって、昔の黄金期とまではいいませんが、本当の意味でのブームが起こる可能性を秘めていると思っています」。

otonano『浪曲 玉川太福の世界』特設サイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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