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吉岡聖恵 名曲カバー集で再確認した一歌手としての矜持 「今できることは、歌うこと」

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
「自分の表現、歌を吹き込んで作ることが、シンプルに楽しく思えたことが一番の収穫」

「人は幸せだから歌うのではない。歌うから幸せなのだ」――これはアメリカを代表する哲学者であり心理学者であるウィリアム・ジェームズの有名な言葉だが、いきものがかりのボーカル・吉岡聖恵初のカバーアルバム『うたいろ』(10月24日発売)を聴いて、この言葉が浮かんできた。名曲の数々を歌う吉岡の歌は多幸感にあふれ、それはボーカリストとして、歌うことの幸せを感じながら、聴き手に伝えようとしている姿が想像できたからだ。

「いきものがかりとして10年間フルで色々なことをやらせてもらったので、歌のことは一回放っておこうと思った」

2017年1月、いきものがかりは突如“放牧宣言”を出し、グループとしての活動を休止した。それはニュースにもなり、多くの人が驚いた。吉岡聖恵、水野良樹、山下穂尊はそれぞれが個人活動を行い、充実した日々を送り、来るべきいきものがかり復活の日に向け、充電中だ。そんな中、ボーカルの吉岡が、3月21日に発売された『EIICHI OHTAKI Song Book III 大瀧詠一作品集 Vol.3 「夢で逢えたら」(1976~2018)』という、古今東西に存在する名曲「夢で逢えたら」のオリジナルおよびカバー作品の完全収録を試みた作品に参加して、注目を集めた。吉岡にとってこれが一年半ぶりの“新録”だった。“放牧中”もずっと歌いたいという気持ちが強かったのだろうか、それとも「夢で逢えたら」のカバーの話が来た時が、自分の中で“歌うべきタイミング”だったのだろうか。吉岡に話を聞いた。

「いえ、いきものがかりとして10年間フルで色々なことをやらせてもらったので、歌のことは一回放っておいてみようと思いました。でもそれは自然なことだなと思って、例えば規則正しい生活にしたり、忙しくて会えなかった友達に会ったりという、そんな“当たり前”の生活を送りたかった。だから半年くらいは全然歌わなかったです」。

確かにいきものがかりは、あまりにも忙しすぎた。メジャーデビュー以来10年間で、シングル32作、オリジナルアルバム7作、ベストアルバム3作(1作はバラードベスト)、映像作品9作(全て当時)、そしてライヴも毎年精力的に行い、まさに走り続けてきた。しかし吉岡はそのペースが“忙しい”と気づかなかったと振り返った。吉岡は普通の生活を取り戻したいと思い、両親と旅行に行ったり、のんびりした時間を過ごしたという。しかし半年経った頃、元来の生真面目な性格からか、歌い手として、気持ちが“ムズムズ”してきたという。

「ずっと歌う筋肉を使ってきたから、使いたくなったという感覚よりも、搾乳に近い感覚で(笑)、搾ってあげないといけないんじゃないかと思った」

「デビューしたとき、メンバーと確か「10年やったらひとつの形になるよね」という話をして、本当に色々なことをやらせていただいて、ひとつの形になったんじゃないかなという実感がありました。この10年前の“予想”を“実感”できたことが、メンバーの中では大きかったと思います。色々な方から働きすぎと言われていましたが(笑)、当時は自分達の畑しか見えていないから、わからなかった、っていうくらい働き続けている状態だから、放牧してから、初めてそんなに働いていたんだってわかりました(笑)。でも、歌う筋肉をずっと使ってきたじゃないですか。だから使いたいというより、もしかしたら“放牧”している牛にかけているわけではないですが(笑)、搾乳に近い感覚というか、搾ってあげないといけないんじゃないかと思いました。だから半年経ったときに、歌いたいと思ったときにすぐに歌える体にしておこうという気持ちと、体がなまっていると思って、歌と、ジムに通い始めて体作りの、両方を始めました」。

「自分が大好きな曲のカバーのお話をいただいて、考えるよりも、やりたいという興味、歌ってみたいという気持ちが先に立った」

吉岡の気持ちがまた歌に向き合い始めた頃、時を同じくして「夢で逢えたら」のカバー企画が吉岡のもとに持ち込まれた。「他のメンバーは、とっくに新しいことを始めていたので、それを横目に見ながら、でもマイペースでやるのがいいんだよとか、思っていた矢先にお話をいただいて、やりたいって直感的に思いました。自分の中でそのときにピンとくるものがあったんでしょうね。その後、立て続けに「糸」のカバーのお話もいただいて(トヨタホームCMソング)、自分が大好きな2曲でもあったので、やりたいっていう興味、歌ってみたいという気持ちには、勝てませんでした(笑)」。

「『うたいろ』は、私が歌ったときに新しい表現になる曲、新しいものになる予感がする曲を選んだなって、最後に気づいた」

『うたいろ』(10月24日発売)
『うたいろ』(10月24日発売)

その気持ちが、今回のカバーアルバム『うたいろ』へもつながっていく。選曲にあたっては、もちろん本人が歌いたい歌、そしてスタッフからの提案も含めて約100曲ほどがリストアップされ、それを歌ってみたという。「私が歌ったときに新しい表現になる曲、新しいものになる予感がする曲を選んだなって最後に気づきました。他にも絶対歌いたい曲がたくさんあったのですが、ディレクターやスタッフから「新しい表現にならないね」って容赦なく言われて、自分が歌いたいからといって、必ずしもフィットするわけじゃないというのがわかったのは、すごく面白かったです。ちょっと悔しかったけど(笑)」

『うたいろ』には、先述した大瀧詠一「夢で逢えたら」ゆず「少年」中島みゆき「糸」スピッツ「冷たい頬」「500マイル」(日本語訳詞:忌野清志郎)、そしてこれが初の公式カバーとなる米津玄師「アイネクライネ」村下孝蔵「初恋」、2019年に日本で開催される「ラグビーワールドカップ2019」のオフィシャルソング「World In Union」他、全11曲のカバーが収録されている。

「ゆずさんの「少年」の歌詞は、今私が感じていること、このアルバムのことじゃんって思った」

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いきものがかりはデビュー前、ストリートライヴを精力的に行っていた。色々なアーティストの曲をカバーし、道行く人の足を止め、歌を伝えてきた。今回選曲にあたっては、当時のことを思い出したりしたのだろうか。「あまりそのときのことは思い出したりしなかったのですが、ゆずさんの「少年」を選曲したときに、いきものがかりでも「私たちゆず育ち」って言っているくらい影響を受けているので、今回私が歌うのは、ベタすぎるんじゃないかとか、恥ずかしさもあって、最後の最後まで迷っていました。でも今日で曲を決めますという日に、歌えるかどうかわからないけど、やっぱり大好きなスピッツさんの「冷たい頬」をやらせてくださいと選曲して、ゆずさんの曲もやりたいですと言いました。その時、昔、路上ライヴをやる前に、学校で廊下ライヴというのをやっていたのを思い出しました(笑)。廊下の隅の割と広いスペースで、昼休みに友達の女の子とゆずさんのカバーというかコピーをやっていた時のことが甦ってきて、そこまで遡っちゃいました。路上の前に、廊下があったなって(笑)」。

「少年」はアルバムの1曲目に入っている。大好きなゆずの曲の中から「少年」を選んだのは、この歌詞が今の吉岡の気持ちを代弁しているということが大きかったという。「「少年」の歌詞が明るくてポジティブで開けていて、改めていいなと思いました。<今自分に出来る事をひたすらに流されずにやってみよう>という歌詞が、今私が感じていることで、本当にこのアルバムのことじゃんって思いました。放牧してこんなにラッキーな機会をもらって、色々見えない中でこのアルバムを作り始めたところもあったけれど、ストレートに楽しんじゃおうと思えたので、ポジティブな前向きさが出ているこの曲を一曲目にもってきました」。

「偉大な曲達に、自分のボーカルが明らかに負けてしまうのでは、という怖さはあったけど、それでも飛び込みたいと思える曲ばかり」

「ヘイヘイブギー」(笠置シヅ子/1948年)から「アイネクライネ」(米津玄師/2014年)まで、楽曲が生まれた年代はかなり幅があるが、偉大な名曲、アーティストたちにリスペクトを込め、吉岡は一ボーカリストとして向き合った。「偉大な曲ばかりなので、自分のボーカルが目に見えて負けてしまうという怖さもあるじゃないですか。偉大な曲であり、偉大なボーカリストの曲をリスペクトして選んでいるので、歌い終わったあと、私も一歌い手として、自分の歌がどうだったんだろうって、一歩引いてみるときが来るじゃないですか。それって怖いことだけど、それでも飛び込みたいと思える曲達なんですよね」。

「アレンジを手がけてくれた本間昭光さんと島田昌典さんは、ナイトのような存在」

そんな偉大な曲達と対峙する吉岡の強い味方になったのが、今回アレンジャーとして参加した本間昭光と島田昌典の存在だ。いきものがかりの音楽には欠かせない、吉岡の歌を知りつくした二人のアレンジが、歌をさらに際立てている。レコーディング風景を収録したドキュメント映像が公開されているが、そこにはスタジオでリラックスして楽器に触れたり、笑顔の吉岡を見る事ができる。「本当にお二人の存在が大きいです。島田さんはいきものがかりのデビューからお世話になっているし、本間さんはツアーのバンマスとして仕切ってくれているので、私の性格的なところも、今までの流れや歌も知り尽くしているから、今回一緒に曲と向き合ってくれる、ナイトのような(笑)存在でした。でも今回はいきものがかりの時とは違って、私一人で接しているので、自然と距離が近くなるというか。楽器にも触れさせてもらったり、改めてもう一回音楽の世界に入っていくような感覚がありました。言葉で言ってしまうと簡単になってしまいますけど、自分の中に隙間ができたというか、余白ができたというか、だから今まで力が入っていたのが抜けて、新しいものが入り込んでいくような感じもあったのかもしれない。もっと色々なことを知りたいっていう感じで。今までもそうだったけど、プレイしているミュージシャンの顔や、アレンジしている島田さんや本間さんの顔を見ると、すごく楽しそうで、本当にいい現場でした(笑)」。

「「さらば恋人」は、一番難しかったけど、歌い手として新しい発見ができた」

一曲一曲丁寧に紡いでいった。時には歌詞の解釈をミュージシャンも含めて議論して、納得がいくまで追求し、歌を自分の中に入れていった。「一番難しかったのが「さらば恋人」(堺正章)でした。いつもストーリーの終着点を見つめながら歌うのですが、この曲は想像の余地がありすぎて、終着点を見つけられず、みんなで議論になりました。それで結局、必ずしもわからなくてもいいんじゃないかという答えに行きついて。それは発見でした。リスナーには歌に対しては自由な捉え方をして、自由に聴いて欲しいとどの曲でも思っているのですが、ボーカリストとしても、そういうパターンもありなんだということがわかったことが、すごく新鮮でした。同じようにまた歌えるかもわからないし、このときに出てくる語尾が、本当に自分が持っていたものなのかという感覚もあるし、端々に面白いニュアンスが出ていて、聴いていて面白いなって自分でも思いました」。

「「初恋」に感じた、いきものがかりの“源流”」

「初恋」(村下孝蔵)には、いきものがかりの“空気”を感じる事ができる。「この曲はうちのメンバーもすごく好きで、特にリーダーは「いい曲だなあ」ってよく唸ってます(笑)。それもあって歌ってみようと思いました。やっぱりこういうニューミュージックでもあり、J-POPの源流ともいえる曲達を、バンドメンバーがリスペクトしてきているから、いきものがかりというバンドが生まれてきたんだな、というところに辿り着いて、その気づきはおもしろいなと思いました」。

「「World In Union」は吉岡聖恵が英語で歌っているのを、どこかで耳にしたとき、面白いと思ってもらえるかなと思って(笑)」

「低音を響かせて、母性を感じさせるように歌うのも自分の中では新しい」という「哀しい妖精」や、いきものがかりではやったことがなかった、全編英語詞の「World In Union」、新しいことにもチャレンジし、ボーカリストとして進化している姿を見せてくれているのも、このアルバムの大きなトピックスだ。「「World~」のお話をいただいたときは、歌えるかどうか別として、今までずっと日本語で歌ってきた吉岡が、英語で歌っているのが流れてきた時に、面白いと思ってもらえるかもと思って(笑)。その気持ちが勝ってしまいました。これ誰なんだろう歌ってるの、もしかしてあの声?ってなるじゃないですか(笑)。曲も詞もスケールが大きいので、最終的にイメージとして、翼を広げるような、心も体も大きくして歌う感覚で歌いました」。

「やっぱり歌って表現することが好きなんだな、楽しいなって、シンプルに思えたことが一番の収穫」

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自らの手で新しい扉を開けた吉岡は、自信を手にするとともに、歌うことが大好きなんだという原点に立ち戻れたことで、表現者としての矜持を持って歌い続ける意志を再確認できた。「いつも以上に曲達が愛おしくて(笑)、改めて一曲一曲のキャラクターだったり、物語を歌っていることがすごく好きなんだなということが発見できました。今までずっと走り続けさせてもらっていたので、放牧でふっとひと呼吸置いて、またやらせてもらった時に、自分の表現、自分の歌を吹き込んで“作る”ことが好きなんだって、シンプルに楽しく思えたことが一番の収穫です」。

【『うたいろ』収録曲】

01:少年 作詞・作曲:北川悠仁

02:アイネクライネ 作詞・作曲:米津玄師

03:初恋 作詞・作曲:村下孝蔵

04:冷たい頬 作詞・作曲:草野正宗

05:500マイル 作詞・作曲:Hedy West 日本語詞:忌野清志郎

06:糸 作詞・作曲:中島みゆき

07:ヘイヘイブギー 作詞:藤浦 洸 作曲:服部良一

08:さらば恋人 作詞:北山 修 作曲:筒美京平

09:哀しい妖精 作詞作曲:Janis Ian 日本語詞:松本 隆

10:World In Union 作詞:John Skarbek Charles 作曲:Gustav Holst

11:夢で逢えたら 作詞・作曲:大瀧詠一

吉岡聖恵 オフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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