Yahoo!ニュース

結成35周年バブルガム・ブラザーズ「自分の未来を曲の中で描き続け、だから音楽がやめられなくなった」

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
バブルガム・ブラザーズはお茶の間ファンク、お茶の間ディスコ(Bro.KORN)

“バブルガム・ブラザーズ 結成35周年記念ライブ”

8月22日、東京・目黒Blues Alley Japan では、跳ねたビートに分厚いホーンセクションが、強烈なグルーヴを作り出し、老若男女で満席の客席は、たまらず全員が立ち上がり、その音と歌に身を委ねていた――バブルガム・ブラザーズ(以下BGB)7年ぶりの復活ライヴ、『DA BUBBLEGUM BROTHERS Special 2days「バブルガム・ブラザーズ 結成35周年記念ライブ」は、8月21・22日、2日間で4公演行われ、チケットは即ソールドアウト。数多くのファンがBGBの復活を祝い、駆けつけた。オリジナル、カバー、そして軽快なMCを織り交ぜ、まさに”バブル祭り”だった。1983年にデビューしたBro.KORN、Bro.TOMのBGBは、デビュー当時から和製サム&デイヴ、和製ブルース・ブラザーズといわれ、ソウル、ファンク、ヒップホップなどを日本のポップスと融合させ、まぎれもなく日本のR&Bシーンの礎を創ったといえる。この日も大所帯のバンドの圧倒的な音をバックにサム&デイヴの「Come On In」「Soul Sister, Brown Sugar」、そしてルーファス・トーマス「Do The Funky Chicken」、ジュニア・ウェルズ「Messin' With The Kid」などカバーし、二人の変わらないパワフルでセクシーな歌に、客席は酔っていた。1991年発売のシングルで人気曲の「Torokel Lady」、映画「七人のおたく」主題歌「JUST BEGUN」(1992年)では、テーブル席、立ち見のファン、全員が一緒に踊り歌い、会場の熱気は上昇するばかり。

ソロ曲も披露し、「HARLEM 125」でさらにノリノリにし、本編ラストは名曲「WON'T BE LONG」。冒頭のシーンだ。イントロが流れると「OLY OLY OLY OH! YELY YELY YELY YEAH!!」の大合唱。永遠に続きそうな、もの凄いノリと心地よさの”バブル祭り”は、アンコールへと突入。ファンの間でも人気の高い「Beautiful People」で宴を締めた。その強烈な存在感を残してくれたアニバーサリーライヴだった。

そんなBGBのミリオンヒットになった名曲「WON'T BE LONG」の、7インチアナログ盤が、結成35周年を記念して8月22日にリリースされた。改めてこの作品の制作秘話、当時の音楽シーンにおけるBGBの存在について、Bro.KORNに話を聞くことができた。

「「WON'T BE LONG」は、元々アルバムの中の1曲。“お茶の間ファンク”"お茶の間ディスコ"と呼んでいた」

画像

BGBは1983年にデビュー、レコードデビューは1985年「忘れじのエヴリナイト」で、「WON’T BE LONG」は通算10枚目のシングルとして1990年8月に発売された。この曲は、ジェームズ・ブラウンを心酔していた、ソングライティングを手掛けるBro.KORNが作った作品で、同年に発売されたファンク色の濃いアルバム『BORN TO BE FUNKY (ファンキーでいこう!!)』に収録されていた。

「アルバム曲の一曲として書いただけです。リードシングルが必要だからとディレクターに言われ、そのセレクトは任せました。そしたら、スタッフ全員が「「WON’T BE LONG」でいきたいです」と。当時の音楽シーンには、ロックや歌謡曲はあったけど、ジャパニーズソウルとかディスコっぽいものがなかった。その後、TRFがもっと進化したダンスミュージックを出していきますが、当時はその”枠”だけがストンと抜けていました。「WON’T BE LONG」は侘び寂びがあって、メロディはマイナー系で、歌詞も今まで虐げられてきたけど、お前のために全て頑張ってきたよという内容で、自分が書く曲はいつも自分の未来を書いていて。自分の未来を、あの頃描いてたなって。それが楽しかったし、だから音楽をやめられなくなったのだと思います。でも今考えると、なんでこのメロディができたのか、全く思い浮かばないんですよ(笑)」。

確かに「WON’T~」は、ファンキーだがどこか切なさを感じさせてくれる、Bro.KORN曰く「お茶の間ファンクとかお茶の間ディスコと呼んでいた」という親しみやすいメロディ、シンガロングできるサビが印象的で、当時人気が広がっていたカラオケで定番曲になり、人気が爆発した。しかしヒットのきっかけとなったのは、当時の人気深夜番組『オールナイトフジ』だったというのは有名な話だ。「『オールナイトフジ』(1991年)の最終回の時、この曲を気に入ってくれていたとんねるずが、生放送なのに2回も流してくれて。その直後からフジテレビに電話が殺到して、それがきっかけでした。だからプロモーションにお金がかかってない(笑)」。

今も様々なアーテイストにカバーされ、愛され続ける「WON'T BE LONG」

全国のラジオ局のヘビーローテーションにも選ばれ、家でも街でもとにかく「WON’T~」が流れていた。勢いづいたBGBは、同年の『NHK紅白歌合戦』に、出場が決定したていたHOUND DOGの辞退を受け、出場。そこで披露したことでさらに注目を集め、まさにお茶の間にまで広がり、1992年1月には100万枚を突破。その後も売れ続け、約170万枚のビッグヒットになった。R&Bを追求するアーティストは彼らの登場前から存在していたが、商業的なヒットになったのはBGBが初めてだった。以後、様々なアーティストがこの曲をカバーし、スタンダードナンバーになっていく。

中でも、2006年11月にはEXILE&倖田來未のカバーは大きな話題となり、この曲が再評価された。2014年にはEXILE TRIBEのアルバム『EXILE TRIBE REVOLUTION』で、TAKAHIRO、NESMITH、SHOKICHIに加え、今市隆二、登坂広臣という5人のボーカルに、VERBAL(m-flo)、DOBERMAN INFINITYによるラップが加わったバージョンが収録されるなど、現在も多くのアーティストから支持されている。

「BGBは、音楽やスタイルも含めて、「10年早かった」とよく言われます(笑)」

画像

先日の結成35周年ライヴもそうだったが、BGBの人気の秘密はライヴの面白さ、“強さ”だった。それは当時のライヴ映像からも窺うことができる。とにかくバンドが弾き出すファンクミュージックとノリ、そこから生まれるグルーヴは唯一無二だった。「当時、あの音を出すバンドはメジャーシーンにはいなかったです。バンドメンバーは強者揃いで、それが強みでした。我々はバンドも含めてバブルガム・ブラザーズとしてやってきました」。

当時のBGBは、その音楽だけではなく、アメリカのヒップホップシーンで流行しているファッションを取り入れた、そのスタイルも注目されていた。「音楽も含めて「10年早かった」とよく言われます(笑)。当時『MUSIC STATION』(テレビ朝日系)に出演した時、タグをつけたままの帽を被って歌ったら、ディレクターから「何で付けたままなんですか?」と言われて、アメリカの流行っているスタイルだったんですけど、全く理解されませんでした(笑)」。

画像

結成35周年を迎え、ライヴでも圧倒的なパフォーマンスを見せてくれたBGB。これから40周年に向け、さらに活動が活発になっていくのかを聞くと「そうですね、でももう歳ですからね」と言いながらも、まんざらでもない様子だった。元気でファンキーなオヤジ達の歌が、日本中の同世代のファンに、元気を与え続けてくれそうだ。若いミュージシャンも刺激を受けそうだ。

『WON'T BE LONG』7インチ・アナログ・レコード(8月22日発売)
『WON'T BE LONG』7インチ・アナログ・レコード(8月22日発売)

現在活躍する日本のR&Bアーティストに、大きな影響を与え、今もリスペクトされるBGB。同じく多くのアーティストにカバーされ、リスペクトされているジャパニーズソウルミュージックの原点ともいえる「WON’T BE LONG」。これからもカバーされ続けるであろうこの名曲の、7インチアナログ盤には、スペシャルバージョンとして「WON'T BE LONG(35th Anniversary EP Version)」も収録されている。ジャケットも、当時のオリジナル盤をベースにバージョンアップしたものが使用されている。

『OTONANO』/「WON'T BE LONG」特設ページ

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

田中久勝の最近の記事