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注目の画家とレコード会社とがタッグ 笹田靖人、 「異端」が「熱狂」を生み出すまで

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
「KUJAKU」(2018年)
「KUJAKU」(2018年)

言葉にできないほどの感動というのは、それまで経験した事がない“熱さ”を感じた時に沸き起こってくる――そう教えてくれたのは現代美術家・笹田靖人の絵だった。そんじょそこらの絵ではない。コンピュータで描いたかと思うような、そのあまりに緻密な細密画は、0.3ミリペンで時間をかけ、情熱の全てをそのペン先に注ぎ、完成したものだ。そんな注目の現代美術家と、レコード会社・ポニー・キャニオンの異例のコラボレーションが、昨年スタートした。昨年創立50周年を迎えたポニーキャニオンにとっても、史上初の画家との契約となる。これまで培ってきた音楽的ノウハウを、音楽や映像を楽しむ事と同様に、アートをもっと身近なものにするために使うという考えだ。そして笹田の唯一無二の、その圧倒的な才能を世界に向け発信する事がミッションだ。美術界の枠に収まらない、孤高の画家・笹田に話を聞いた。

「僕の絵を「世の中に伝えたい」と言ってくれた、ポニーキャニオンのスタッフの情熱に感動」

「全然想像もしていなかったです。最初は歌って踊れないのに大丈夫なのかなと思ったら、そんな事は全然求めていないですと言われました(笑)。今のチームのスタッフで、僕を探してくれていた方がいて、個展に来て下さってお話をさせていただいた時、その情熱にほだされました。後日、スタッフの皆さんがアトリエに来てくれて、僕の絵をみて「うぉ~スゲェー」って言ってくれました。美術業界の人より全然感度がいい。「この絵を世の中に伝えたい」という皆さんの気持ちが伝わってきました。それが嬉しかったです。それからは月に一回くらい食事会を開いてくれて、僕のテンションをあげてくれました。僕が大きいサイズの絵を描きたいので、広いアトリエが欲しいんですというと、まだ何も結果が出せていないにもかかわらず、アトリエを借りてくれ、感動しました。僕の翼になってくれて、世界に羽ばたかせてくれるんだと思いました。だから今回の個展(4/6~4/10@T-ART HALL)のタイトルが“WINGS”なんです。チームができた事が嬉しい。バンドのボーカルのような気持ちです(笑)」。

現代美術家とレコード会社とのコラボは、大きな話題を呼んだ。その第1弾では、笹田がデザインしたBE@RBRICKを日本、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、カナダ、中国、シンガポールなど世界各国で限定販売し、注目を集めた。笹田は美術界では革新的かつ、斬新な思想を持ち、それゆえに“枠”に収まらない存在として、独特のポジションを築いている。笹田の個展に行き、絵を見ていると笹田が横に来てくれ、その絵に込めた思いを、とにかく熱く語ってくれる。そんな画家、初めてだった。

「日本の芸術の世界は、お客さんに対して作家が「わかるでしょ?」というスタンス。でも僕は絵に込めた想いを語っていく」

「日本の芸術の世界って、見る人に対して作家が「わかるでしょ?」というスタンスなんです。その作品について語るという事をあまりしません。しゃべらないのが美学、という感じで、絵を観て下さる方、買って下さる方に、絵についてほとんど語りません。でも僕はマネージャーでもある弟と共に、絵を買ってもらうために、色々な工夫をしました。僕はしゃべるタイプなので、自分の生い立ち、どんなところで育ったかとか、好きな事など、自分のストーリーを伝えてきました。個展でも、短い時間の中で、見に来て下さった方の心の中にいかに爪痕を残すかを考えています」。

「青海波 赤」(2017年)
「青海波 赤」(2017年)

笹田は画家が持つストーリーこそが、絵を更に魅力的なものにするという。「レオナルド・ダ・ヴィンチもゴッホも、本人が書いた文章とか手紙、その人のストーリーが面白いんです。それが面白いから、絵にさらに興味が湧くんです。今、生きている若手の画家の絵の多くがなぜ面白くないかというと、心が動かされるストーリーがないからです。亡くなった人だけにストーリーがあるというわけではなく、僕にはストーリーがあります。だからそれを言葉で伝えたい」。作品には意志がある。それを伝えるためにはコミュニケーションが必要だと考えている。

「ギャラリーで待っているだけでは、広がらない。人が集まるところに飾ってもらい、お客さんとコミュニケーションを取りたい」

今注目を集めている笹田も、苦しい時代を過ごしてきた。芸大や美術大学を卒業しても、絵だけで食べていける画家は、ほんのひと握りだという。生活ができなくても、絵が描けていればいいという、前時代的な妄想は間違いだと笹田は考える。「例えば銀座のギャラリーで個展を開いたとしても、一日に6人位しか来ない事があって、こんな事をやっていても、自分の作品は広がっていかないと思いました。そんな中で、自分達はどうやって食べていけばいいんだろうという事は、学校でも教えてくれません。なので、僕は最初の頃、レストランに絵を飾ってもらったりしました。そこに呼んでいただいて、絵に興味を持ってくださった人に対して、とにかくしゃべりました。「こういう人間がいるんですけど、どうですか?」って(笑)。絵と僕がリンクして欲しいんです。絵を描ける人はたくさんいます。だから絵を褒められることなんてほとんどありません。でもギャラリー以外で絵を見てもらうと「え~っ、これコンピュータで描いたんじゃなくて、手で描いたんですか?」って、すごく感動してくれます。この状況に僕は衝撃を受けて、お客さんも画家がこんなところにいると思わないし、こんなにしゃべると思っていないし、衝撃を受けたみたいでした」。

その店にいたお客さんの中にいた、ひとりのエリート営業マンが「この絵は世界で通用するし、僕らが笹田さんの絵を一緒に売り込んできていいですか?」と言ってきたという。「最初は半信半疑でした。でも次の日その方が家まできてくれて「作品のファイルが欲しい」と言われて、渡しました。そんな事もあるんだと思っていたら、その方がお客さんを連れてきてくれて、必死にお客さんに自分の絵を説明しました。そのお客さんは数百万円で絵を買ってくれ、そのお金で絵の具を揃えて、パソコンも買う事ができました」。

「画家はとにかく描く事に集中したい。その他の事は正直面倒くさい。だから画家は弱者。でも僕は幸運な事に、弟がマネージャーをやってくれる事で全てがうまくいっている」

しかし、絵はギャラリーで売るというのが当たり前になっていて、笹田がやっている事は美術界の中では“掟破り”でもあった。でも生活のためには絵を売らなければ、その活動が立ちいかなくなり、新しい作品を創作する事も難しくなる。笹田のような志を持っている画家は他にもいるのだろうか。

「龍虎」(2010年)
「龍虎」(2010年)

「会った事がないし、僕に会うと同業者は離れていきます(笑)。危ない思考だと思われている。画家が自分達で考えて、自分達で絵を売られると困る人が、この業界は多いという事です。でもなぜ僕が生き残っているかというと、マネージャーでもある弟の存在です。昔から僕の事を知っている人は、笹田はすぐに終わると思っていたはずです。画家というのは絵を描く事以外、社会でどう生きるかとか、絵の売買についてとか、画家にとって煩わしい事、面倒な事を担ってくれているのが画廊なんです。だから画家は弱者です。でも描く事に集中したい。僕は幸運な事に、弟がそれを全てやってくれるから、生き残っています。弟は業界の古い慣習と戦ってくれ、僕の生活を立て直してくれました」。

弟でありマネージャーでもある恵介氏は「1日10時間以上365日絵を描き続けている兄を見て、この才能をもっと世の中に出すべきだと思った。絵に集中して欲しかったので、自分が働くと言って、アルバイトを掛け持ちでやっていました。兄の絵の才能と、僕がそれ以外の部分を全てフォローすれば、どうにかなると思った」と兄の才能を信じ、笹田が絵に打ち込める環境を作った。

「365日とにかく描き続き、絵に集中できた事で引き出しが増えた。それがファッションブランド“Yohji Yamomoto”の山本耀司さんに、声を掛けられた時に生かす事ができた」

「パワースポット」(2016年)
「パワースポット」(2016年)

「弟への親からの仕送りで、僕の絵の具を買ったり、弟がバイト先の賄を持って帰ってきてくれて、それを食べながら、いつか絶対お金も恩も返すからという思いで、絵を描き続けていました。365日トップスピードで描き続けてできあがった作品たちが、その後ファッションブランド“Yohji Yamomoto”の山本耀司さんの目に留まりました。そうやって耀司さんからパスをもらって、それを胸で受けて足元に落とす技術がなければ、仕事にならないわけで、それはそれまでにたくさん作る事ができた引きだしのおかげで、期待に応えられたのだと思います」

2014年、笹田が28歳の時に、弟と二人三脚でやってきた事がようやく花開いた。それまでもニューヨークや表参道で展覧会を開き、その才能は徐々に“噂”になっていたが、そこにファッションブランド“Yohji Yamamoto”とのコラボレーションというチャンスが舞い込んできた。

「あのチャンスを生かす事ができなければ、今の自分はない。山本耀司さんとの仕事では、「スピード感」を学びました。次の日がパリコレ本番という日に、パリのアトリエで、まっさらの皮ジャンを渡され「明日までにこれに描ける?」と言われ、何枚も仕上げました。でも何百万もするその革ジャンが、一瞬で売れていくんです。それまでとにかく時間をかけて絵を描いて、でもなかなか売れない時期が長かったので、こんな世界があるんだと刺激を受けました」。

笹田のアートワークは、巨匠に認められ、翌年も再び「Yohji Yamamoto」社の別ブランドとコラボ―レーションした。2016年にはアジア最大規模の「上海芸術博覧会」に出展し、絶賛され、昨年はIKEAの、国際的に有名なアーティストからなる限定品コレクション「IKEA ART EVENT 2017」にも、日本人として唯一選出されるなどその注目度はさらに高くなっている。

「生活できなくて、画家をあきらめる人が多い。それはまるでその人の独創性を押さえ込むような、教育方法にも問題がある。自分がどれだけ楽しんで描けるかが大切」

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笹田は、生活ができないがゆえに、仕方なく画家をあきらめる人が多いという現実は、そもそもの教育課程に問題があるのではと、自らの経験から語っている。「僕は子供の頃から今も変わらず自由に絵を描いてきました。でも高校、大学ではその先生の好きな色彩構成にしなければ、認めてもらえません。そうすると自分が本当に描きたい絵、好きな絵を描かないという事に、疑問を持たなくなります。僕もそういう教育の中で育ってきました。みんな子供の頃の爆発的なものを描かなくなります。でもよく考えると、先生に言われた通りに描く方が楽なんです。先生の言う事が全てだと思って従っていると、基礎は固まるかもしれないけど、独創性に欠ける画家になってしまいます。画廊は「こういう絵を描くと売れますよ」というアドバイスをしてくれ、その通り描くと、確かに売れます。売れたら自信がつきますが、でもそれはダメな自信なんです。売れたらいいという事ではなく、自分で考えて描いた絵が、世に中に出ていくという自信が得られない。自分がどれだけ楽しんで描けるか、そこが大切だと思う。自分の絵が褒められたら素直に嬉しいし、それが心の栄養になります。お客さんに作品を見てもらって、お客さんに声を掛けてもらう事が、画家にとってすごく重要です。お金も重要ですが、画家が続けていくためには心の栄養も必要です」。

圧倒的なエネルギーを発する絵と、そこに流れる笹田のストーリーが、"心臓に鳥肌が立つ"という感覚を与えてくれる

破天荒といえばそういう見方もできるが、これからの画家は、セルフプロデュース力が必要になるという事を訴えている。絵は、ひと握りのお金持ちのためにあるのではない。画家が身を削り、人生を込めた、血が通っている作品はひとりでも多くの人の目に触れてこそ、見てもらってこそ、生き生きと輝く。笹田は言葉を駆使して、自分の生き様と絵に込めた情熱を人々に伝える。その絵を見た人は、絵が発する圧倒的なエネルギーと、笹田の言葉によって、“心臓に鳥肌が立つ”という経験をする事になる。熱狂の画家・笹田靖人の絵は、世界中の人を熱狂させる。

<Profile>笹田靖人/ささだ・やすと。1985年、岡山県生まれ。0.3ミリペンを使い細密画を描く現代美術家。発想力と技術力から生み出される独創的な画には、誰も真似できない圧倒的なパワーが込められている。また「画家」という枠に収まらず、2014年秋冬のパリコレではファッション・ブランドYohji Yamamotoとのコラボレーションを果たし、世界に大きな衝撃を与える。パリコレ直後には世界的に著名なミュージシャンやモデルなどが、直筆で描かれた一点もののジャケットを競って購入するという、異例の事態となった。アート界だけにとどまらず、今後は世界をフィールドにさまざまな活動が予定されており、最も注目されているアーティストである。

笹田靖人オフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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