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“J-POPの土台”を作った男・西城秀樹 二度の大病にも負けず、ステージに立ち続けるスターの美学

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
「ライヴでファンに会う事が、今の僕の一番の元気の源」

二度の脳梗塞に見舞われるも、不屈の精神でステージに立ち、多くに人に勇気を与え続ける

10月17日、中野サンプラザのステージの上で、西城秀樹は少しだけ不自由そうな体を、懸命に自身で激励するように熱唱していた。イスに座って歌う事もあったが、2時間以上ほとんど立ったまま、フルバンドをバックに「激しい恋」「ブーツをぬいで朝食を」「炎」「眠れぬ夜」「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」「ブルースカイブルー」等々のヒット曲から、「蜃気楼」など、20曲を歌い切った。2003年と、2011年に二度に渡って脳梗塞に見舞われた西城は、リハビリという名の厳しいトレーニングを自分に課し、ステージに立ち続けている。2016年は年間70本以上のライヴを行い、今年も今回の中野サンプラザと、神奈川、大阪で行った「西城秀樹コンサート2017 THE45+1」をはじめ、精力的にライヴ活動を行っている。それは「みなさんが喜んでくれるから」と、事もなげに言ってくれたが、これこそがスーパースターとしての矜持なんだろう。今年も、5月に出演した「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」を始め、数は多くはないが、テレビ番組に西城が出演する機会があり、“今”の在りのままの姿を正直に見せる事で、同じ病に苦しんでいる人を勇気づけると共に、自身もお客さんからパワーをもらい、それをエネルギーに変え、トレーニングに励んでいる。

歌謡界の革命児。斬新な発想とアイディアで、次々と“初”を生み出し、道を切り拓く

西城といえば、1972年にデビューして以来日本の音楽史に、今ではスタンダードになっている事の、数々の“初”を刻み込んできたチャレンジャーだった。例えば現在も限られたアーティストしか実現不可能なスタジアムコンサートを、日本人ソロアーティストとして初めて行ったり(1974年~10年連続大阪球場)、そこでファンに懐中電灯を持参するように呼び掛け、それが後にペンライトへと変わっていったきっかけを作った。1975年の富士山麓でのライヴも当時としては規格外だった。スタジアムライヴの演出も、クレーンで釣り上げられたり、気球で登場したり、巨大スペースならではの新しい演出を次々と生み出していった、まさに初代スタジアム男だ。日本人のソロ歌手として初めて日本武道館でライヴを行なったのも西城だ。

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「チャンスは一度」(1972年)で初めて振付けが付き、以後どんどん激しくなり“アクション歌謡”と呼ばれ、男性歌手では初めてのスタイルだった。180cmを超える身長、長い手足が大きなアクションを生んだ。さらに「薔薇の鎖」(1974年)では、スタンドマイクを使ったアクションを取り入れたり、「情熱の嵐」(1973年)では、コール・アンド・レスポンス、「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」(1979年)ではおなじみの人文字と、テレビでもライヴでもお客さん参加型の歌唱スタイルも、西城がきっかけだった。音楽を「聴かせる」だけではなく、「観せる」ものとして、歌の世界観をより伝えるための新しい手段を確立したのも、西城なのではないだろうか。

“ロックボーカリスト”として、後のアーティスト達に大きな影響を与える

またロック好きの西城は洋楽のカバーをシングル、アルバム、ライヴでも披露していた。最大のヒット曲「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」はヴィレッジ・ピープルのカバーという事は有名だが、この曲は西城曰く「当時、ロサンゼルスに住んでいた友達から、現地で流行っている音楽の情報をいつも教えてもらっていた。この曲も彼のオススメだった」とのこと。その他にもスティービー・ワンダー「愛の園」のカバー、ワム!「ケアレス・ウィスパー」のカバー「抱きしめてジルバ」、また、レインボーやアルカトラスでボーカルを努めたグラハム・ボネットの「孤独のナイトゲームス」のカバー、「ナイト・ゲームス(Night Games)」他、様々なカバー曲をシングルとしてリリースしている。アルバムに目を向けてみるとエルビス・プレスリー、フランキー・ヴァリ、ビートルズ、ローリングストーンズ、クイーン、レインボー他、バラエティに富んだアーティスト、曲をピックアップし、カバー。1974年には洋楽カバー集『西城秀樹ロックの世界』をリリースしている。

そんな“ロックボーカリスト”西城を支え、大きな影響を与えたのが、ギタリスト芳野藤丸と彼のバンド「藤丸バンド」だった。藤丸バンドのロックサウンド、芳野のギター、コーラスと西城の歌声の波長と質感が合っていた。コンサートでは芳野が西城に勧めたという、グランド・ファンク・レイルロードの「Heartbreaker」などのハードロックを数多く披露し、まさにロックバンドのボーカリストのような歌、佇まいだった。そんな西城の歌唱スタイル、音楽に影響されたアーティストは数知れない。

“紅白”を含め、NHKの音楽番組に出演した西城の歌唱シーンを集めた、保存版映像集が話題

『HIDEKI NHK Collection~若さと情熱と感激と~』(11月15日発売)
『HIDEKI NHK Collection~若さと情熱と感激と~』(11月15日発売)

西城の大きなアクションとダイナミックな歌が堪能できるのが、西城が出演したNHKの番組の映像を集めた3枚組DVD『HIDEKI NHK Collection~若さと情熱と感激と~』(11月15日発売)だ。「レッツゴーヤング」「ビッグショー」「NHK歌謡コンサート」など、1974年から2007年まで、西城が出演してきたNHKの番組での歌唱シーンを収録したものだ。現在までに18回出場した「NHK紅白歌合戦」は、16回分が収められ、他の番組と合わせ、計123シーンのうち、117シーンは初映像化となる貴重な作品集で、1万6,500円という高額商品ながら、好調に売り上げている。この作品について、西城に話を聞くことができた。

初出場の”紅白”で、西城が仕掛けた“初”の演出とは?

「第25回NHK『紅白歌合戦』(1974年)
「第25回NHK『紅白歌合戦』(1974年)

「僕も面白かった」というこの作品の中で、西城が特に印象に残っているシーンとして挙げたのは「第25回NHK『紅白歌合戦』に「傷だらけのローラ」で初出場した時のシーンは印象深いね」と教えてくれた。1974年、「傷だらけのローラ」が大ヒットし、押しも押されぬトップアイドルが初出場という事で話題になったが、もっと話題になったのがその衣装と演出だった。初登場のアイドルが、顔を見せずに番組史上初のアイマスクをつけ登場したのだ。「確か『怪傑ゾロ』の衣装で、帽子、マント、マスクで登場して、途中からアイマスクから取っていくんだよね。僕も最初は『初登場なのにこれ?』って思ったけど(笑)、今となってはいい思い出だね」と語ってくれた。さらに演出では番組史上初めて、CO2ボンベで白煙を噴き上げ、西城の大きなアクションと相まって衝撃的なシーンとなった。これは西城自身のアイディアだった。視聴者は度肝を抜かれ、大きな話題となった。

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さらに印象的なシーンを聴くと「『ブーツをぬいで朝食を』でライターを使った演出かな。あれは沢田(研二)さんが『サムライ』で、<片手にピストル~>という歌詞をナイフを持ちながら歌っていて、それを見てカッコイイなあと思って、僕も何か使いたいと思ったのがきっかけ」と、話題の演出の誕生の秘密を教えてくれた。「みんなで歌える『青春に賭けよう』はやっぱり好きだね」と語り、さらに「ファンの皆さんとともに歩んだ、40年以上にわたる西城秀樹の軌跡が全て入っている宝物。まさに“ヒデキカンゲキ!”な永久保存版です」と、この作品を本当に宝物、大切なものを愛おしそうに見つめるように話してくれた。

「ライヴでファンに会う事が、今の僕の一番の元気の源」

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また先日行った『西城秀樹コンサート2017 THE45+1』についても、トレーニングを続けながらコンサートを続けるのはきつくないかという質問をぶつけると、冒頭の「みなさんが喜んでくれるから」という答えが返ってきた。さらに「やっぱりライヴが好きだから。いい意味で緊張感もあるし、ふと、みんなは何で僕の事を好きでいてくれるんだろうって思う事もある。でもファンの人に会う事が、今の僕の一番の元気の源になっている。歌っている時のファンの人の声援、反応がやっぱり嬉しい」と、これからもステージに立ち続ける事を約束してくれた。大病に見舞われながら、それに屈する事なく不死鳥のように甦り、ステージに立ち続け、多くの人に勇気を与え続ける西城のその姿勢は、まさにロックスターだ。

昔も今もそしてこれからも、常に全力で限界にチャンレジし、乗り越え、一歩ずつ前に進む

Photo/島田香
Photo/島田香

ロックをはじめ、洋楽のフレーバーをふんだんに取り入れ、新しい歌謡曲を作り上げた西城は、J-POPのベースを作り、ライヴやテレビでも、誰もがやった事がない事を開拓し続け、日本のエンターテイメントの進化に、大きく貢献したといえる。 常に全力で、限界にチャレンジし、それを乗り越え、一歩ずつ前に進み多くの人を感動させてきた。それは昔も今も、そしてこれからも変わらない。

「OTONANO」西城秀樹特設ページ

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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