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【インタビュー】狂おしい青春の挽歌を描いた映画『無伴奏』で、池松壮亮が鮮やかに演じる“光と闇”

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
祐之介(斎藤工)と渉(池松壮亮)の禁断の関係の結末は…

1969年の仙台を舞台にした4人の若者のせつなくも儚い青春物語。繊細でつかみどころがない難しい役に挑んだ、池松壮亮の存在感

「パッヘルベルのカノン」が軽やかに、時に切なく、時に虚しくそして哀しさを湛え二人の間に響き渡る――2人の物語は4人の青春の挽歌でもある――舞台は1970年前後の、反戦運動や全共闘運動が嵐のように吹き荒れる時代の仙台。女子高生・響子(成海璃子)とバロック喫茶「無伴奏」で出会った男女4人の、奇妙に絡まりあう運命の中で繰り広げられる、激しく切ないラブストーリーを描いた映画『無伴奏』(矢崎仁司監督)が、3月26日に公開され、注目を集めている。主人公の響子と恋に落ちる渉役を演じるのは、今、出演依頼が殺到している注目の俳優・池松壮亮。繊細で、どこかつかみどころがない危うさを漂わせる、難しい役を演じる池松に、渉という人間について、矢崎仁司監督とのタッグについて、そして「若い人たちに是非観て欲しい」という理由について、話を聞いた。

――1969年、反戦運動や全共闘運動に沸くあの時代というのは、池松さんにとっては全くリアリティがないと思いますが、そういう時代をどういう捉え、どう感じて撮影に臨んだのかをまず教えていただけますか。

池松 あの時代はもはやひとつの“歴史”という捉え方ではありましたが、ただ若者が立ち上がって戦ったということにはすごく興味があって。でも今回はそこから外れた人たちの話で、社会から外れているという意識みたいものは、逆に今の若い人達はみんな感じ、わかっていると思うので、そういうところをあぶりだせたらと思いました。今は社会云々よりも自分の事が優先という風潮があると思いますので、そういう部分では今この映画を若い人たち観てもらうということは、意味があるんじゃないかと思います。

『無伴奏』は直木賞作家・小池真理子の半自叙伝的同名小説を完全映画化――1969年、反戦運動や全共闘運動が起きていた激動の時代。高校3年生の野間響子(成海璃子)は、親友と制服廃止闘争委員会を結成し、革命を訴えシュプレヒコールをあげる日々をおくりながらも、実はベトナムにも安保にも沖縄にも強い想いがあるわけではなく、学園闘争を真似しているだけの自分に嫌気がさしていた。そんなある日、響子は、親友に連れられて入ったバロック喫茶「無伴奏」で、フランクだがどこか捉えどころのない大学生・渉(池松壮亮)と、渉の親友・祐之介(斎藤工)、祐之介の恋人・エマ(遠藤新菜)の3人に出会う。「無伴奏」で会って話をするうちに、いつしか響子は渉に惹かれていく。初めてのキス、初めてのセックス。“革命”以上に刺激的な恋の魔力に響子が囚われていたある日、思いもよらない衝撃的な事件が起こる――。

4人は逃げているのではなく、自分達でそれぞれの人生をつかみ取りにいった。そこを出したかった

――全編を通して、なんともいえないヒリヒリした感じが伝わってきました。

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池原 この映画でこの役をやる上で、そこに何かひとつスパイスを加えるとしたら、彼らは自分達で何かをチョイスしていったということだと思いました。これは逃げているのではなく、自分達がそれぞれの人生をつかみ取りに行ったんだということを出すことができたら、今と通じるものができるんじゃないかと思いました。

――池松さん演じる渉という青年は、触れたら壊れそうなぐらい繊細で、まるでガラス細工のような感じの青年だと思ったのですが、役作りで一番気を付けた事を教えて下さい。

池松 やっぱり渉が最後に向かうところ、男が好きだったということ、それと響子のセリフにもありますが「渉さんはいつもここにはいない」という雰囲気、この3つをどう自分なりに“捕まえるか”で、キャラクターができてくると思っていました。

――渉と池松さんと共通している部分はありましたか?

池松 あると思います。理解できない範疇の事は、普段やらないようにしていますが、ある一瞬を捕まえて、自分の中に存在するメンタルゲイの部分、今回演じる役と共通している部分を引っ張りだすのが役者だと思っています。

――池松さんの全てを知っているわけではもちろんありませんが、池松さんが持っている雰囲気と、渉の雰囲気がリンクして、ハマっていました。

池松 ありがとうございます。リアリティは欲しいので、知らない時代に生きていた人でも、ちゃんと物語の中には納まりたいというのは毎回思っています。

――リアリティを追求するために、矢崎監督は細部にわたってこだわっていたそうですが、衣装もそのひとつだったとお伺いしています。

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池松 そうなんです。矢崎さんの映画では、衣装合わせが何回もあると聞いていまして、毎回みたいですが、自分で決めないそうです。衣装合わせって大体すぐに決まりますし、いつも「なんでも着ます」という態勢でいますので、なかなか決まらないというシーンに出くわしたことがなく……。矢崎さんは洋服着ている時の顔とか仕草も見てるんですよね、しっくりきてるかきてないか…。「どんなものがいいと思う?」と聞かれたので「象徴的なものが何かひとつあるといいんじゃないですか」と言ったら、茶色の革のジャケットが渉の象徴みたいな感じになりました。

――確かに映画って、観ている人の目にまず飛び込んでくるのが登場人物の表情と、衣装で、それを見てその人の人間性や生活スタイルみたいなものまでを想像したりします。

池松 そうなんですよね、人としてのシルエットとか。矢崎さんは衣装に関してはジャストサイズがいいらしいんです。ピタッとしたものが好きらしくて、その人間のジャストのシルエットが見たいらしく、それは面白いなと思いました。

「矢崎監督と「無伴奏」とがどうしても結びつかなかった。だから飛び込んでいった」

――やはり矢崎監督と仕事をするという楽しみはありましたか?

池松 もちろん。作品も全て観ていましたし、でも今回は原作を読んだ時に『無伴奏』と矢崎さんがどうしてもつながらなくて、そういうのがいいんです。自分の想像の範囲内で完結してしまうものに関しては、あまり興味がなくて、今回はその違和感がすごく面白くて、飛び込んでいきました。今回はキャスティングも絶妙で、成海璃子が真ん中に立ってくれるのはすごく面白いと思いました。

――矢崎さんの作品は「死生観」が描かれているものが多く、観るたびに考えさせられますが、池松さんはこれまで「死生観」とガッツリ向き合ったことはありますか?

池松 ないですね。駅のホームでものすごい考え事をしていて、目の前を通過する急行電車に吸い込まれそうになる、とかそういう経験はあります。たぶん多くの人が一度は感じたことがある感覚だと思いますが、ガッツリというのはないですね。それこそ映画を観て考えさせられますね。

――今回はこの映画を観た人にそれを考えさせる立場ですが、やはり自分を追い込んで役を作っていく感じだったんですか・

池松 さっきおっしゃっていただいた、今すぐにでも壊れそうな空気というのは絶対必要だなと思って、その危うさが、男が好きという事を隠していたとか、最後にとった行動に、最終的に行き着けばいいなと思いました。弱いけど生き生きしていたら、誰も目が行かないですし。

――祐之介との関係は、自分達で自分達を狭いところに追い込んでいっている感じがありました。

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池松 渉は深刻な家庭事情があったり、祐之介も色々あったり、バックに見え隠れする環境のせいかもしれませんが、時代と逆行している人達なので、自分でつかみ取ろうとするとそこに行きつくしかなかったのだと思います。

――茶室のにじり口の意味、現世と来世の分かれ目という意味が、あの狭くて暗い空間を二人の象徴的な場所として大きな存在にしていますよね。渉と祐之介のラブシーンは美しささえ感じさせてくれました。

池松 男同士が抱き合っている姿って普段見ることがないものじゃないですか。それがいい悪いではなく、インパクトがありました。

――渉と響子の間には確かな愛があって、渉と祐之介は「依存」の関係だと思っていたのですが、二人が抱き合っているシーン、あの映像を見るとそこに「愛」は確かにあったと思ってしまいました。

池松 どっちも本当になればいいなぁと思っていました。二人のことを隠したいのも本当だし、好きことも本当だし、響子の事が好きなのも本当だし、それが色々矛盾しているからこそ苦しんでいくわけで。

――あのシーンは監督のディレクションはあったと思うのですが、斎藤工さんとは何か話をして作っていった感じですか?

池松 いえ斎藤さんとは特にそういう話はしていませんが、面白いのが、男性と男性が交わる時ってああいう抱き合う体位は本当はないらしいんです。あのシーンは原作では違う体位で描かれていて、でも監督はどうしてもああいう(抱き合う)スタイルでやりたかったらしくて…。

――確かにあのスタイルだったから、観ていて愛を感じたのかもしれませんね。

池松 顔と顔を向いあわせていましたし…。

「監督の「演出しない」という演出で、自分が背負うものが多く大変だったけど楽しめた。全て逆算して、踏み込んだところで演技した」

――矢崎監督は「演出はしない」と常におっしゃっていますが、監督とはどんな会話をされていたんですか?

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池松 話はその都度させていただきましたが、演出をしないというのは「僕は答えを出さないよ」という演出なわけで、なので圧倒的に自分が背負わなければいけない部分は多かったですし、でもそれが楽しかったです。今回は逆算が必要だったというか、1シーン、1カットでも違うことをやったら、後々辻褄が合わなくなるんじゃないかと思うぐらいちゃんと逆算してやったつもりです。あの時あの返事をしたこととか、あんなことを思ってたんじゃないかとか、最終的に全部繋がって欲しかったし、それが『無伴奏』と矢崎さんとが結びつかなかたズレで、そこから映像的に矢崎さんがどれだけ破壊していっても、ちゃんとそこに自分(渉)が立っている理由がわかるようにしたいなと思いました。矢崎さんの映画って、スッと立っているだけで映画になるんですけど、それだと「無伴奏」じゃなくてもいい気がしていて、もう少し踏み込んだところでやりたかったんです。

――タバコを吸うシーンが多くて、でも監督が作り出す色の中で、マッチの火とたばこの煙が放つ色がすごく印象的でした。

池松 色々な映画に出たり、今回矢崎さんとやって思ったことは、人ってああいうもので人生がフラッシュバックするんですよね。煙の色とか、光の中に煙が入った瞬間の画とか。人が映画を観ることは、お客さんの人生と映画の中の登場人物との人生とがリンクするということで、それって不思議だし面白いなと思いますね。だから今回も、桃の缶詰とかタバコやマッチ、喫茶店とか色々なキーワードを入れ込んでいますが、それってそういうことなんじゃないかなと思います。

――もし自分があの時代に生きていたら、渉のようなタイプと友達になれると思いますか?

池松 いや別になろうと思わないですよね(笑)。敢えて切り離して考えると、自分とその人との間に溝があればあるほど付き合う時に苦労するんですよ。そこから共通項を探して引っ張り込んでくる作業から始まるので。自分には自殺願望もないし、語弊を恐れずに言うなら自殺する人の事が理解できいないし、ふざけんなと思うし、そういう部分を埋めていくことが俳優をやっていて難しいなあといつも思います。

「『無伴奏』の時代の方が苦しくて、狭い世界しかなかったけど、自分達で何かをつかみ取ろうとしていた。この映画を観て、今自分達の世代に充満している”あきらめの空気”を打破する気持ちになって欲しい」

――こうしてお話しを聞いていて、池松さんは自分をしっかり持っていて強いイメージがあって、でも渉が持つ脆さ、弱さを演じていても、全く違和感がなかったです。

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池松 学生運動に参加するのではなく、自分で居場所を見つけて生きることを選んだという意味では、実はあきらめているようであきらめていないという事だと思うんです。その意思表示をしたという事を出すことができればいいなと思いました。時代と合わなかったという言い方もできます。僕は平成生まれなんですけど、僕の周りには昔から“あきらめの空気”が流れていて。超ゆとり世代ですので、そういう人たちって全てにおいてどこかあきらめているように見えるんですよね。そうじゃないと生きてこれなかったのかもしれませんが。世代論ってあまり好きではないのですが、同じ時代に同じ社会で生きてきたものに対して感じるのはそれですね。そういう人たちには「無伴奏」の時代の方がよっぽど苦しかったし、狭い世界しかなかったけど、それでも自分達で何かをつかみ取ろうとして、結果ダメだったものと、それを背負って生きて行く響子の姿を見て、明日も頑張ろうという気持ちになってもらえたらなと思います。自分が出ている映画に関しては、福岡の友達、同級生たちが観たらどう思うかということは、必ず考えますね。

――登場人物の中で一番興味があるのは誰ですか?

池松 やっぱり響子ですね。色々なものを背負って、人の死を背負って、人に生かされ殺され、それでも理解しながら前を向いて生きて行こうとする響子という人間が主人公ですし、一番好きですね。

スクリーンからほとばしる情感を、何度も観て丁寧にすくいとりたくなる映画

どこかつかみどころがない、繊細な青年を、緻密な計算でしっかりとつかみ、捕らえていた池松。その計算は映画全体にまで及び、矢崎監督の「演出はしない」という演出を、しっかりと背負い、そんな状況を苦しみながらも楽しみ、役者陣を引っ張っていった。複雑な役も、その役との共通点を自分の中でとにかく探し、1mmでも“つかめる”ところがあれば、それを手繰り寄せて演じ、ストーリーの中にしっかりと池松壮亮という人間のストーリーを存在させる。彼の強さであり、演じることを楽しんでいる。監督、スタッフの徹底したこだわりに応えるように、役者陣も徹底的に演じる。そこに生まれるのは、スクリーンからはみ出るほどのほとばしる豊かな情感。だからこそそれを丁寧にすくい取りたいと思うし、また最初から観たくなる。この映画は4人の複雑に絡み合った運命の、青春という一コマの光と影ではなく、“光と闇”を描いている。影とは違う暗闇。様々な事が渦巻いているが、それが見えない暗闇。その中にひと筋の光を見出すことができるのか、それともできないのか、必要ないのか。わかりやすいものばかりが映画じゃない。面白い映画というのは、観返すたびに自分なりの発見と答えを見出す喜びを与えてくれるものだ。この映画を観て、演じた池松の話を聞いて、改めてそんな事を感じた。

映画『無伴奏』公式サイト

c)2015「無伴奏」製作委員会
c)2015「無伴奏」製作委員会

<Profile>

池松壮亮(いけまつ・そうすけ) 1990年生まれ、福岡県出身。映画、テレビ、舞台で活躍中の今最も注目を集めている実力派俳優。

池松壮亮オフィシャルHP

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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