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知ってる? 次はネイチャー・ポジティブ経済だ!

田中淳夫森林ジャーナリスト
陸や海の30%を保全地区に指定する目標が設定されている。(写真:イメージマート)

 カーボン・ニュートラルという言葉は、かなり根付いたようだ。地球温暖化改め気候変動への対応策として世界経済に組み込まれている。さらに持続可能な経済という点からサーキュラー・エコノミー(循環経済)も提唱されている。

 ならば「ネイチャー・ポジティブ」はご存じだろうか。世界的に広く訴えられていて経済活動の重大な指針となり、投資対象にも挙げられているのだが……日本では、まだ影が薄い。というか、知られていない。

 林野庁が進める「森林や林業、木材産業に対する投資」を増やすための方策も、カーボン・オフセット(排出権取引)ばかりを強調している。森林が大きな役割を果たすのだが。

12月の会議で採択予定の大目標

 今年12月に開かれる生物多様性条約締約国会議(COP15)では、2030年に向けた目標としてネイチャー・ポジティブが採択される見込みだ。実は日本も、すでにG7サミットなどを通じて賛同している。

 ネイチャー・ポジティブは、カーボン・ニュートラルと並んでこれから世界が目指す2大目標なのである。

 ネイチャー・ポジティブを簡単に説明すれば、生物多様性を中心とした地球の自然をこれ以上壊さない・改善するという考え方である。社会全体を支える生態系サービスは過去50年間でひどく劣化したので、生物多様性の損失を止め、回復軌道に乗せようというものだ。さもないと経済まで傾いてしまうから。

 よく知られるようになった気候変動枠組み条約だが、実は同時期に生物多様性条約も定められて、どちらも締結国会議が開かれている。2010年には名古屋で10回目の「生物多様性条約締約国会議」を開催した。世界的には、気候変動と生物多様性は並立して論じられてきたのだ。

 ところが日本では、名古屋会議で打ち出した「愛知目標」を達成できなかったのに、ほとんど話題にすらならなかった。

 なぜ欧米では、そんなに熱心なのか。

 それは、世界経済に大きな影響を与えていると認識されたからだ。自然を劣化させると、我々の経済や政治、そして社会構造を脅かし、これまでのビジネスを続けることはできなくなると気付いたのだ。すでに現時点でも、約44兆ドルが自然の損失によって潜在的な危機にあるとする。それは世界のGDPの半分以上に当たる額である。このままだと我々の未来はないと科学的に示されたも同然なのだ。

経済のために欠かせぬ生物多様性

 一方で、ネイチャー・ポジティブ経済に移行すれば、2030年までに年間10兆ドルの利益が生み出されて、約4億人雇用を生み出すとする研究結果が出ている。だから乗り換えに必死なのだろう。

 すでにヨーロッパなどの先進的な企業や投資家、NGOなどは、生物多様性において強固な目標を設定して、必要な行動を義務化しようと動いている。

 また世界経済フォーラムでも、野心的な目標を打ち出している。2020年をベースラインとして、総体で自然の損失が発生しないこと、2030年までに総体でポジティブになること、2050年までに十分に回復させること……だ。

環境省のネイチャーポジティブ経済研究会資料より。
環境省のネイチャーポジティブ経済研究会資料より。

 日本もまったく無策というわけでなく、今年3月には環境省に「ネイチャーポジティブ経済研究会」がつくられた。ネイチャー・ポジティブや自然資本が我が国の経済・社会にどのような影響を及ぼすのか議論し、カーボン・ニュートラルやサーキュラー・エコノミーとどの程度関連するのかを検討するためだという。

940兆円の投資額を予定

 国際的に掲げられているのは、2030年までに陸域と海域の30%以上を保全する「30by30」(サーティ・バイ・サーティ)目標である。2021年6月のG7サミットで定めたものだ。

 日本も、いくつか政策を進めている。

・国立公園や国定公園等の保護地域の拡張と管理の質の向上

・保護地域以外でも生物多様性保全に資する地域の設定

・生物多様性の重要性や保全活動の効果の「見える化」 等

 国の定めた保護地域は、現時点では、陸域の20.5%、海域の13.3%である。そこで生物多様性に貢献している民間に、不動産取得税や固定資産税などを軽減する制度を新設し誘導する施策などが考えられている。

 自然関連財務開示タスクフォース(TNFD)というのもある。国際的な金融の仕組みづくりである。森林や農地、海洋などの自然資源の持続的な利用に際して、金融界が投資するものだ。その運用資産総額は、8兆5000億ドル(940兆円)に達するとされる。

 これは環境NGOなどが唱えていることではない。国連やイギリス政府、金融機関が主導して立ち上げたものなのだ。国際金融機関も、生物多様性保全のための投資に乗り出したのである。

 日本の動きは、残念ながらあまりに鈍い。日本列島は、地球上の生物多様性のホットスポットとされているのだから、先導する資格は十分あるはずだ。愛知目標に代わるネイチャー・ポジティブにつながる行動を示してほしい。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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