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日本人はいつから木を植えた?樹齢400年の「慶長杉」を前に考える

田中淳夫森林ジャーナリスト
智頭町の慶長杉は、世界最古の植林木かもしれない

 鳥取県智頭町を訪れた。目的の一つが「慶長杉」を見ることだった。

 

 慶長杉とは、智頭の石谷家が所有している森林の中にある、現在24本のスギのこと。慶長年間(1596年~1615年)に植えられたと伝わるので、一般に慶長杉と呼ばれるのだ。植林された正確な年代を示す資料はないが、長く石谷家に伝承されてきたものだ。つまり樹齢は、400年以上に達していることになる。

 江戸時代の鳥取藩は、森林保護と造林奨励策を押し進めた。それが現代につながる智頭林業の始まりとされる。とくに石谷家には「伐らずが肥え」という言葉がある。つまり伐るな、伐らねば木は太る、という意味だ。もちろんまったく伐らないわけではないが、伐り急がない教えを守ったおかげで長伐期の林業が成立し、慶長杉も今の時代に残された。

 慶長杉の中でもっとも太いものは、幹回り4,2メートル、高さも45メートルとされる(1983年計測。現在もっと太く高いはず)。

慶長杉のうちの1本。
慶長杉のうちの1本。

 スギの寿命は、屋久杉のように特殊な地域で数千年を生きるものもあるが、通常は数百年とされる。だから人が植えたとされるものとしては、慶長杉は最古級だ。そして、まだまだ樹勢は旺盛だから、この先も成長し続けるだろう。石谷家では、次世代に引き継ぐため、見学も許可制にして、多人数が入って根元の土を踏み固めないなど気をつかっている。

 これと同じぐらい古い植林木は、奈良県吉野の川上村下多古にある「歴史の証人」ぐらいだろう。こちらは村が買い取って村有林にしたが、樹齢260年~400年のスギやヒノキが林立している。3700平方メートルの中に約400年生のスギが3本、300年生スギが7本、300年生ヒノキが52本ある。もっとも太いスギで幹回りが5,15メートル以上、高さ50メートルとされる(1995年計測。現在はもっと太く高いはず)。

 もしかしたら、ほかの地域にも同じぐらい古い植林木があるかもしれない。いずれにしても400年も前に植えられた木が現在も残されているのは、世界的にも珍しいというか、おそらく日本だけのはずだ。

川上村の「歴史の証人」。巨木の林立する森だ。
川上村の「歴史の証人」。巨木の林立する森だ。

 人は、巨樹というと自然の偉大さの象徴と感じるものだが、人が植えたと聞いても、これぐらいの年代になると圧倒される。むしろ人が数百年も木を守り続けて来たことに心打たれる。とくに私が感じるのは、慶長杉にしろ歴史の証人にしろ、巨樹の存在する人工林は管理が行き届き、地表まで光が差し込んで明るく爽やかなことである。このような森は、水源涵養機能や土壌流出防止機能、そして生物多様性など多くの公益的機能が非常に高いとされる。

 林野庁は、戦後植林したスギやヒノキが50年~60年に育ったから「成熟した」「伐りどきを迎えた」と言って、伐採を強要するような政策を展開しているが、元来は数百年生きる樹木なのである。50年ぐらいだとまだ若年で“尻が青い”状態だ。森林全体でも、林齢が100年を超えた当たりから、さまざまな公益的機能が最大になるという研究結果が出されている。

 ところで人が木を植えて育て始めたのはいつ頃だろうか。

 林業的な植林を最初に始めたのは吉野だと言われる。文亀年間(1500~03年)に川上村に初めて植えた記録がある。ざっと500年前だ。これが植えて育てて収穫する、育成林業の始まりとされる。

 ただ静岡県春野町の秋葉神社の境内に文明年間(1469~1487年)に植林した記録もある。これは神社の鎮守の森づくりだろうが、やはり建材の育成が念頭にあったはずだ。

 もっとさかのぼると、万葉集にも記載があった。

古の人の植ゑけむ杉が枝に霞たなびく春は来ぬらし

 万葉集は7世紀後半から8世紀後半までの長い時間をかけて編纂されているが、その時代に「古(いにしえ)の人」というのだから、植えられたのはさらに昔だろう。しかもそのスギの枝が霞たなびくほど成長しているわけで、相当な巨木である。樹齢を150年から200年と想定すると、少なくとも6世紀ぐらいに植えられた木だと考えてよいだろう。日本書紀(720年成立)にも、スサノオの子イソタケルが木の種を蒔いたという逸話が記されており、この頃には植林が行われていたと思われる。

 当時の人間の平均寿命は20~30歳だとされるから、木の苗を植えても大きく育った姿はまず見られない。農作物のように植えて収穫することを目的とはできなかったはずだ。それでも植えたのは、実利的な理由だけでなく植えた木を次世代に託す思いがあり、神聖な行為としていたのではなかろうか。

 慶長杉を含む智頭町の林業景観は、昨年「国の重要文化的景観」に選定された。川上村の歴史の証人は、国が選定する「日本遺産」、そして日本森林学会の「林業遺産」に選ばれている。ほかに文化庁の「ふるさと文化財の森」にもなった。

 もはや林業から離れて、後世の人々に伝えるべき遺産であるとしたのだ。改めて「木を植える」という行為が、人間にとって大きな意味を持つことに思いを馳せたい。そして目先の損得だけで伐採を急がず、先人の思いを大切にすべきだろう。

(写真は、すべて筆者の撮影によるもの)

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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