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森をなくすことに補助金が出る? 林業政策の大転換

田中淳夫森林ジャーナリスト
皆伐の進む山。この跡地も再造林されるのだろうか。

 総選挙も終わり、各省庁では来年の施策と予算案の立案に向けて動き出している。私は、林野庁の予算要求の内容を見て、とうとう来たか、と思った。前から予感はしていたのだが……。

 何がって、主伐(皆伐)、つまり山に残された木を全部伐ってしまう作業に補助金を出すようになっていたからだ。

 林業が補助金漬けであることは、よく言われること。だいたい作業費の7~8割は補助金で賄われている。植えて補助金、草を刈って補助金、間引きに当たる間伐も補助金だ。さらに機械類の購入やら、林道・作業道の開削なども補助対象となっている。

 しかし、これまで主伐には出なかった。

 もともと林業の各々の作業に、補助金など出なかった。だが、荒れた山を早く造林できるようにと植林の補助金が出されるようになった。やがて植えただけでは苗は育たないからと、下草を刈ったり、雑木を除く除伐に補助金が出されるようになる。さらに保育間伐にも出すようになった。保育間伐は、植えた木のうち育ちの悪いものを切り捨てて、残した木の成長をよくするものだ。これも森づくりに必要とされた。また林道は各作業に欠かせないからと道づくりにも補助が認められるようになってきた。

 それもこれも、森づくりには公益的機能があるからというのが林野庁の理屈だ。

 その理屈からは、間伐した木を搬出して販売する利用(搬出)間伐は、経済行為だから補助はできなかった。ところが21世紀に入ると、利用間伐にも補助金が出されるようになった。利用間伐と言えども森づくりに必要だとされたのだ。

 そこでは多く搬出するほど補助額が上がるという???な施策が取られた。規模を拡大して低コストにすると、より補助金で収入が増やせるという魔法である。

 それでも、主伐だけは補助対象にならなかった。これまで森づくりを行ってきて、最後の最後に木を全部伐るのは長年育てた木を収穫するわけだから、森はなくなりはげ山にもどる。つまり主伐は純然たる利益を得るための活動であり、それまで進めてきた森づくりを終了させて(公益的機能も)ゼロにもどす行為だからだ。

 そこに税金を投入するのは、さすがにおかしいと考えられたのである。

 しかし2018年度からは、再造林とセットで行うことを条件に、主伐費も補助するという。森をなくしてはげ山にすることを税金で推進するなんて、戦後70年間やっていなかったことだ。国の施策として大きな方針転換だと言えるだろう。

 所有者が将来を考え抜いた上で主伐を行うという結論を出したのなら森林経営上の判断と言えるが、それを国が補助金を出してまで後押しする必要はあるのか。

 林野庁の言い分としては、伐期の来た山は伐らねばならないから、ということらしいが、伐期とは苗を植える際に収穫する年を人が設定するもの。森林学的に意味はない(どころか、皆伐は明らかに生態系を劣化させる)。しかも、たかだか40~60年である。欧米の林業では、伐期を100年以上に設定するのが普通だ。

 たとえ伐採跡地に再造林することがセットだとしても、その苗が育って再び森になるには数十年かかる。しかも、植えた苗が育つかどうかは怪しい。今は、獣害がひどくて対策に苦慮しているのだ。伐採跡地がそのままになる可能性も否定できない。

 なにより個人の財産形成に税金を投入することに、いかなる言い訳をするのか。

 林業家にとっては嬉しい施策だろう。しかし補助金の原則をひっくり返してまで実施するべきことか。林業家って、政府から忖度されるほどの親しいお友達なのか?

 ビジネスとしてもモラルハザードを引き起こしそうだ。正常なビジネス感覚をゆがめるように思えてならない。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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