今年は国際土壌年。だから土壌のスゴさを知ろう!

森の下の土壌は、森林の環境機能のほとんどを担う

福島の原発事故より、もうすぐ4年。当時、被災地の田畑や森林に降りそそいだ放射性物質は今どうなっているか。とくに半減期が約30年と長いセシウム137の動向が気になっていた。

最初は樹木や草の葉や樹皮についていた放射性物質は、やがて落葉になったり雨で洗い流されて土壌に入るだろう。それが再び植物に吸収されて枝葉に移行すれば、放射性物質は草木に再び含まれ、それを食べる野生動物にも移行する。さらに降雨で流れ出たら地下水も汚染するかもしれない。当然、農作物にも含まれて口にできなくなるだろう……。

だが、近年の調査報告では、ほとんどの放射性物質は土壌内(とくにコロイド。粘土)に残っているという。意外なほど、土壌から移動していないのだ。放射性セシウムを含んだ土壌で育った植物にもあまり移行していなかった。つまり農作物や木材に移行したセシウムは微量であった。また森林から流れ出る渓流の水を計測しても、放射性物質は検出外か極めて微量だった。

その結果は、私には驚きだった。(研究者にとっては想定内だったそうだが。)

どうやらセシウムは、土壌にがっちり吸着されて、あまり移動しないようなのだ。おかげで放射性物質の拡散は、かなり抑えられたように思える。

もちろん土壌の質や気象など環境条件によって大きく違いは出る。それに菌類(キノコなど)はセシウムも非常によく取り込む。また移動しないということは、森林内の放射性物質の総量はなかなか減らないということでもある。一方で、土壌そのものが流出すれば、放射性物質も一緒に拡散してしまう。

だから安心というレベルでは決してないが、とりあえず土壌を保全すれば野放図に放射能汚染が広がる事態は避けられそうだ。そのまま30年以上経って、セシウム137が半分以下へと減っていくことに期待したい。

これは土壌の機能の一つに過ぎないが、私は、改めて土壌は偉大だ、と感じている。

一般に森林が持つとされる環境機能も、実はその多くは土壌に負うところは大きい。保水力とか洪水調節力と説明される森林の機能が発揮できるのは、土壌の世界抜きには語れない。また大気中のCO2濃度の調節には土壌から放出される炭素が大きな役割を果たしているから、その動向いかんでは地球温暖化を進めたり抑えたりすることになる。

生物多様性についても、実は地表の生物より土壌の中の微生物が圧倒的に種類が多い。そして、それらの微生物が植物を育てる栄養素を供給している。有機物を分解して、植物が吸収できる無機栄養物(窒素、水素、リン、イオウ、カリウム、カルシウム、マグネシウム……)に変えるのだ。つまり土壌なくして森林なし、である。

そして微生物の分解能は、しばしば有害物質として問題になる人工有機化合物も無化して環境浄化に役立っている。

土壌が生成されるには、岩盤が風化等で砕け微生物や植物の関与を経て、一定の物性を得るまでには1万年以上かかるとされる。成熟した土になるのは100万年かかるという説もある。こうして生まれた土壌は、日本なら地表の下1メートル~10メートル程度に広がるが、全土壌を地球の陸地面積にならすと18センチの厚さにしかならない。地球にとって、土壌は薄い薄い皮膜に過ぎないのだ。その皮膜によって育まれた環境と、そこから生産される作物に頼り、人類は生存している。

ところが、この土壌が地球上から急速に失われている。それは単に風や水の浸食だけでなく、成分などの劣化によって生物の生産性が落ちているのだ。たとえば乾燥地帯では、無理な灌漑農業によって塩類が蓄積して何も栽培できなくなる。熱帯でも開発によって森を剥がされたことで直射日光に当たり劣化が進む。いずれも人類が土壌を酷使してきた結果である。

古生代シルル紀に植物は陸上に進出し土壌を作り出したが、それから数億年かけて土壌に溜め込まれた炭素は約2兆トンになるとされる。ところが人類が農耕を始めた数千年の間にそのうち5000億トンが失われた。地球史的には一瞬のうちに、4分の1を消費してしまったのだ。

考えてみれば、かつて文明を生み出したメソポタミヤ地方やギリシャ、ローマ文明などが衰退する陰に必ず土壌の劣化がある。それが生態系を狂わせて、農業生産量の激減を引き起こし、やがて人口が維持できずに文明も衰退していく。

今も土壌の劣化は進んでいる。それはやがて森林の衰退をもたらし、環境悪化を引き起こすだろう。それは人々の生活を破壊していく。

なんとかこの悪循環を止めなくては人類、そして地球の未来は奪われる。

さて2015年は国連の定めた「国際土壌年」。世間に食料確保や気候変動、貧困撲滅などに土壌が重要な役割を担っていることを認識してもらい、土壌のための効果的な政策や行動を促進することを目的としているそうだ。

この年をきっかけに、多少とも土壌に眼を向けてみたい。