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有吉弘行の歴史をたどる構成だった『紅白歌合戦』 内村光良、オール巨人、“壁芸人”が登場した意味

田辺ユウキ芸能ライター
(写真:イメージマート)

年末恒例の歌番組『第74回NHK紅白歌合戦』が2023年12月31日に放送された。

今回、話題の一つとなったのがお笑い芸人の有吉弘行が司会を担当したことである。お笑い芸人が司会をつとめたのは、第68回(2017年)から第71回(2020年)まで総合司会をつとめた内村光良(ウッチャンナンチャン)以来。それ以前を振り返っても、第58回(2007年)の笑福亭鶴瓶(白組司会)、第34回(1983年)のタモリ(総合司会)が名を連ねているくらい。いかにその座が大役だったかが分かる。

そんな有吉弘行の司会を盛り上げるべく、縁が深いお笑い芸人たちが今回の『紅白』に集結。そしてそれらが、有吉弘行のお笑い芸人としての歴史をたどるような役割と構成を担っていた。

有吉弘行の「現在」をあらわしていた、“壁芸人”の多数出演

まず目立ったのが、有吉弘行が“監督”を担当している冠番組『有吉の壁』(日本テレビ系)に出演する芸人たちだ。

“壁芸人”のパンサーは、『紅白』の舞台裏のトーク企画「ウラトーク」の司会をつとめた。登場するやいなやパンサーの菅良太郎が、『有吉の壁』で有吉弘行がネタ判定のために使用するマルバツのブザーのマル印を掲げて“壁クリア”を想起させた。

山内惠介の歌唱では、同じく“壁芸人”のアルコ&ピース、とにかく明るい安村、吉村崇(平成ノブシコブシ)のコラボレーションが実現。山内惠介の演奏中にアルコ&ピースの酒井健太、とにかく明るい安村、吉村崇が上半身裸のパフォーマンスを披露し、有吉弘行が「どうしてすぐ脱いじゃうの」とツッコミを入れて笑わせた。酒井健太は背中に「有吉さんがんばれ」と書き込んで、“監督”にエールもおくっていた。さらに番組常連のタイムマシーン3号も、三山ひろしの歌唱時恒例のけん玉世界記録挑戦に参加した。

“壁芸人”が大勢出演した点は、多くの芸人にとって兄貴分的存在である「現在の有吉弘行」の姿をあらわしたものである。

芸人としての原点、元師匠・オール巨人が登場「短い間やけど弟子でいてくれて」

一方、有吉弘行のヒストリーが大きく巻き戻る場面もあった。天童よしみが中継先の大阪で歌唱する際、オール阪神・巨人が応援ゲストで駆けつけたところだ。

有吉弘行は1993年に『EXテレビ』(読売テレビ)の企画「オール巨人公開弟子面接」で合格し、オール巨人に弟子入り。これがお笑い芸人としてのスタート地点となった。

ところが「本当に気が利かなくて巨人師匠の弟子クビになって」「ダメだね、気が利かないんだよね。おしぼりを作っておいてって言われても、タイミングが、なんでもダメね。もう1人の弟子は上手にやるんだ。気が利くんだ。同じ18歳でも僕は全然気が利かない。どうしてこんなに気が利かないかなっていうくらい気が利かない。人の気持ちが分からない」(2020年4月10日放送『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日系)より)と、クビなった原因を明かしている。

一度は自分のもとから離れた有吉弘行に対して、オール巨人は「よくがんばってるよね。短い間やけど弟子でいてくれて、その弟子の有吉くんが『紅白』の司会。すごいやん」と労った。続けて「本当にがんばってくれて、“ありがとさーん”や」と2023年12月29日に亡くなった坂田利夫さんのギャグを引用して活躍を讃えた。

“壁芸人”が多数出演したところが有吉弘行の「現在」をあらわしているなら、オール巨人とのやりとりは有吉弘行の芸人としての「原点」と言える。

どん底の時代を支えた、有吉弘行の恩人・内村光良もポケビで登場

今回の『紅白』の特別企画「テレビが届けた名曲たち」の中では、1996年から放送されたバラエティ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系)で誕生したユニット、ポケットビスケッツ、ブラックビスケッツの共演が実現した。『紅白』出演は25年ぶり、2組揃ってのテレビ出演は21年ぶりとあって、両ユニットの関連ワードがSNSのトレンドにも入った。

有吉弘行も両ユニットの出演を心から喜んでいた。特にウッチャンナンチャンの内村光良は、有吉弘行の恩人として知られている。有吉弘行は1996年、当時組んでいたコンビ・猿岩石で『進め!電波少年』(日本テレビ系)のユーラシア大陸横断ヒッチハイクの企画に参加し、大ブレイク。しかし人気は長く続かず、間もなくお笑い芸人としてどん底に陥って、コンビも2004年に解散。

そんな有吉弘行に手を差し伸べ続けたのが、内村光良だった。内村光良がメイン司会を担当していたバラエティ番組『内村プロデュース』(テレビ朝日系)に有吉弘行は出演。著書『お前なんかもう死んでいる プロ一発屋に学ぶ「生き残りの法則50」』(2012年/双葉社)では、「今、僕が芸人続けていられるのは、『内P』のお陰です。まったく仕事がない時期に、『内P』だけは僕のことを呼んでくれたんで、なんとか芸人を続けていられたんです」(有吉弘行著より)と感謝を綴り、「僕の中では、『内P』でデビューみたいな気持ちだったんですよ。また改めてスタートみたいな。どっかでふっきれたっていうか」と振り返っている。

ちなみに同著では、『内村プロデュース』で自身がよく披露していた裸でのリアクション芸についても言及。「『トークやっても今までダメだったし、じゃあ何かな?』ってよくよく考えたら、『リアクションしか残ってない』と思ったんですよね。『リアクションだ、裸だ』って、そこしか残ってなかったんです。それで『内P』出るときは、基本裸になるっていう」と、裸芸に活路を見出した。これは偶然にも、今回の『紅白』で“壁芸人”の裸芸を楽しんでいた有吉弘行の様子にもつながるのではないか。

今回のポケットビスケッツ、ブラックビスケッツの出演は、有吉弘行の苦しい「低迷期」を思い起こさせるものでもあった。

自分の存在が知れわたった「白い雲のように」歌唱後、人差し指で目を拭った

猿岩石時代の大ヒット曲「白い雲のように」(1996年)の作詞作曲を担当した藤井フミヤとデュエットで歌唱したのは、今回の『紅白』のハイライトとなった。有吉弘行はリリース時の衣装に。藤井フミヤは「大きな雲になったな」とタレントとしての成長に目を細めた。

同曲は、ユーラシア大陸横断ヒッチハイクに挑む猿岩石の姿から着想を得て作られた。そして、有吉弘行の存在がさらに広く知れわたるきっかけにもなった。有吉弘行のヒストリーを語る上では欠かせない楽曲であり、有吉弘行が経験した激しい浮き沈みを言いあらわしている内容でもある。

有吉弘行は同曲歌唱後、一瞬だけ人差し指で目を拭う仕草を見せた。いろんな想いが詰まった曲だけに、感極まるところがあったのかもしれない。

有吉弘行は大トリのMISIAのパフォーマンス前「偉大な先輩方の背中を追いかけてやってみましたけど、まだまだ遠いなと反省することばっかりでしたけど」と、『紅白』初司会の感想を語った。本人はそのように謙虚に話したが、笑いあり、涙ありの名司会だったのではないだろうか。お笑い界では、ビートたけし、タモリ、明石家さんまの「BIG3」が一世を風靡し、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンがそれに続いた。しかしそのあと「頂点的存在」がなかなか見当たらなかった。『紅白』での有吉弘行を見ると、系譜を継ぐのは彼だと思わせるものがあった。

その点で『第74回紅白歌合戦』は有吉弘行のヒストリーをたどる構成となっていただけではなく、この先についても触れているようだった。

芸能ライター

大阪を拠点に芸能ライターとして活動。お笑い、テレビ、映像、音楽、アイドル、書籍などについて独自視点で取材&考察の記事を書いています。主な執筆メディアは、Yahoo!ニュース、Lmaga.jp、Real Sound、Surfvote、SPICE、ぴあ関西版、サイゾー、gooランキング、文春オンライン、週刊新潮、週刊女性PRIME、ほか。ご依頼は yuuking_3@yahoo.co.jp

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