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『だが、情熱はある』最終話はなにが圧巻だったのか、そして誰のどんな「情熱」を描いたドラマなのか

田辺ユウキ芸能ライター
(写真:Keizo Mori/アフロ)

オードリーの若林正恭、南海キャンディーズの山里亮太の半生を描いたドラマ『だが、情熱はある』(日本テレビ系)の最終話(6月25日放送)の内容に驚きの声が続出している。

同作は、若林正恭(髙橋海人)と山里亮太(森本慎太郎)が「何者かになりたい」とお笑いの世界へと飛び込んだものの、なかなか売れずにもがいた若手時代、そしてそれぞれのコンビで『M-1グランプリ』に出場して結果を残し、ブレイクしてからもさまざまな葛藤を抱えていた様子を、のちに両者が組んだ漫才コンビ、たりないふたりの結成から解散までのヒストリーもまじえて描いた物語だ。

「たりないふたり」がコンビになったら、「たりなさ」が倍以上にふくれあがる

このドラマのポイントになっていたのは、若林正恭、山里亮太がずっと「ふたり=漫才コンビ」での活動にこだわっていたこと、そのために「相手」「誰か」を求め続けていた部分である。

若林は高校時代に出会った春日俊彰(戸塚純貴)と漫才コンビを組んで活動を続けるが、自分自身の不甲斐なさだけではなく、春日俊彰があまりになにもしてくれないことにも不満を持ち、現状を打ち破れずにいた。

一方の山里亮太は自分の性格難もあって何度かコンビの解散を経験し、相方不在のピン芸人としても活動し、山崎静代(富田望生)と組んでからも自分の評価が低いと感じて仲違いしていく。

両者ともに、隣に「相手」「誰か」がちゃんといるにもかかわらず、自分のなかで常に「たりなさ」を感じていたのだ。ほかにも、ふたりは恋仲になる「相手」と出会うものの、ドラマのなかでは結ばれることなく関係を終えてしまうところもあった。お笑い以外でも「相手」「誰か」との関係が微妙になっていく。

そんないろいろ「たりないふたり」が、バラエティ番組の企画をきっかけに出会う。おもしろいのは、なにかが欠けているふたりが、コンビになることで「欠点を埋め合って最強になる」のではなく、お互いがずっと持っている、嫉妬、妬み、社交性のなさなどの「たりなさ」が倍以上にふくれあがるところ。つまり、たりないふたりは「相手」「誰か」を見つけても、結局はたりないままなのだ。その象徴が、たりないふたりの解散ライブで、若林正恭が全力を出し切って倒れ、救急車で運ばれる様子を見た山里亮太が、心配するよりも「手柄が若ちゃんに全部いってしまうのではないか」と考えるところである。

ドラマ冒頭で「しかし断っておくが、友情物語ではないし、サクセスストーリーでもない。そして、ほとんどの人において、まったく参考にはならない」と入るナレーションは、実はそういった部分をあらわしているように思えた。

圧巻の最終話、若林正恭役・髙橋海人と山里亮太役・森本慎太郎が「自分」と対面

そんな同ドラマの最終話で圧巻だったのは「リアル性」だ。

振り返れば『だが、情熱はある』は、とにかくあらゆる「リアル」にこだわっていた。各俳優の演技が実物とそっくりなこと、そして南海キャンディーズが準優勝した『M-1グランプリ2004』決勝戦やオードリーが勝ち抜いた『M-1グランプリ2008』敗者復活戦の漫才など、各面をほぼ寸分の狂いなく再現した。その「リアル性」が常に大きな話題をあつめた。

それでも最終話のあふれんばかりの「リアル」な展開は、多くの視聴者が興奮を覚えたはず。

ドラマのストーリーのなかに「若林、山里の半生を描いたドラマ『だが、情熱はある』が制作される」という「実際」の出来事を組み込み、そして「実際」にオードリーがラジオ番組内で口にしていたドラマの感想などをはさみこんだり、ドラマの放送時間になると「実際」の山里亮太が実況や思い出をTwitterに大量連投していることだったり、撮影現場に若林正恭がお土産を持って挨拶に来たことだったり。直近の「実際にあった出来事」まで最終話で物語化してみせたのだ。とにかくすさまじい瞬発力である。

あと「若林、山里の半生を描いたドラマ『だが、情熱はある』が始まること」がテレビ番組内で発表される場面で、そこに出演していた「若林正恭(髙橋海人)と山里亮太(森本慎太郎)」が、自分たちを演じる「髙橋海人(本人)と森本慎太郎(本人)」に対面するところもやはり圧巻だった。「リアル性」を限りなく追求したフィクションの物語に、「リアルそのもの」が接近した瞬間だった。

そして「このドラマは、いろいろたりていないふたりが『相手』『誰か』を求める内容である」という点で言えば、『だが、情熱はある』のひとつの答えは、「若林正恭(髙橋海人)と山里亮太(森本慎太郎)」が「髙橋海人(本人)と森本慎太郎(本人)」に出会うことだったのかもしれない。

また、ドラマは最終話を迎えたが、現実の若林正恭や山里亮太らの物語は終わっておらず、まだまだ「現在」進行形であり、だからこそ冒頭のナレーションでも「友情物語ではないし、サクセスストーリーでもない」と説明していたのだろう。

「情熱」とはこのドラマに携わるすべての人のことを指す

全12話を観て伝わってきたのは、若林正恭、山里亮太はもちろんのこと、春日俊彰、山崎静代、そしてそのほかの多くのお笑い芸人、関係者らが「自分は何者であるか」「なにがやりたいのか」について悩み、苦しみながらも奮闘する姿とその「情熱」である。

SNSが発達したことで誰もが気軽にいろんな意見が言え、また私たちマスコミのなかにも物事の表面だけをなぞった記事を出したりする者もいる。ただこのドラマを鑑賞すると、なにかを作ったり表現したりする人たちの「情熱」に今一度、しっかり思いを馳せるべきであると襟を正す気持ちになる。

そしてなによりドラマのタイトルにもある「情熱」とは、作品に携わったすべての制作者と出演者たちのことを指しているのではないかと感じられた。

いろんな意味合いを含ませた「リアル性」を表現して視聴者に驚きを与え、一部の人しか知らないような出来事も徹底的にリサーチして物語へ盛り込み、各出演者はこれがそれぞれの現時点での代表作だと言えるくらいの役作りを施した。これらを「情熱」と呼ばずして、なんと表現できるだろうか。

そして私たちも、なにかの物事に挑む際に思わず「だが、情熱はある」と言葉を付け足したくなる。それくらい肩入れできるドラマだった。

芸能ライター

大阪を拠点に芸能ライターとして活動。お笑い、テレビ、映像、音楽、アイドル、書籍などについて独自視点で取材&考察の記事を書いています。主な執筆メディアは、Yahoo!ニュース、Lmaga.jp、Real Sound、Surfvote、SPICE、ぴあ関西版、サイゾー、gooランキング、文春オンライン、週刊新潮、週刊女性PRIME、ほか。ご依頼は yuuking_3@yahoo.co.jp

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