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叩かれるハンコ~ハンコは存亡の機を乗り越えられるのか

竹内豊行政書士
最近、叩かれるハンコですが、ハンコはなくなってもかまわないのでしょうか。(写真:アフロ)

新型コロナウイルス対策として広がったリモートワークの推進をはんこが阻んでいるとの声が出ていることについて、自民党の「日本の印章制度・文化を守る議員連盟」(はんこ議連)が「いわれないバッシング」と反論しているとの報道がされました。  

 自民党の「日本の印章制度・文化を守る議員連盟」(はんこ議連)が、はんこ制度の継続を訴える動きを強めている。

 要望書を19日付で岸田文雄政調会長に提出。新型コロナウイルス対策として広がったリモートワークの推進をはんこが阻んでいるとの声が出ていることについて「いわれないバッシング」と反論している。

出典:はんこ制度継続を 自民議連

このように、「ハンコ文化がテレワークの壁になっている」という声が日増しに高まっているようです。このままだとハンコは存続が危ういような気がしますが、実は「ハンコ」が人生の中で法的に重要な役割を果たす場面があります。それは、「遺言作成」と「遺産分割協議」の場面です。

「遺言」にはハンコが必要

遺言を作成する場合、通常、自筆証書遺言か公正証書遺言のいずれかを選択します。そして、そのいずれにもハンコは不可欠の存在となります。

自筆証書遺言の場合

自分で書いて残す「自筆証書遺言」の方式は民法で次のように規定されています(民法968条1項)

民法968条1項(自筆証書遺言)

自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない

このように自筆証書遺言ではハンコを押すことが求められています。ただし、ハンコの種類は決められていないので、いわゆる「認印」でもかまいません。

公正証書遺言にもハンコは必要

遺言者が公証人役場に行くか、公証人に出張を求めて、公証人に作成してもらうのが「公正証書遺言」です。公正証書遺言の作成方法は民法に次のように規定されています(民法969条)

民法969条(公正証書遺言)

公正証書によって遺言をするには、次に掲げる方式に従わなければならない。

一 証人二人以上の立会いがあること。

二 遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授すること。

三 公証人が、遺言者の口述を筆記し、これを遺言者及び証人に読み聞かせ、又は閲覧させること。

四 遺言者及び証人が、筆記の正確なことを承認した後、各自これに署名し、印を押すこと。ただし、遺言者が署名することができない場合は、公証人がその事由を付記して、署名に代えることができる。

五 公証人が、その証書は前各号に掲げる方式に従って作ったものである旨を付記して、これに署名し、印を押すこと

公正証書遺言には「実印」が必要

このように、公正証書遺言も自筆証書遺言と同様にハンコが必要です。しかも、実務では本人確認のために「実印」で押印することが求められます。

実印とは、住民登録をしている役所で本人確認をしたうえで登録した印鑑を指します。実印は役所から発行される「印鑑登録証明書」とともに、本人確認の証しとして公正証書遺言作成の際の押印の他、不動産の売買など人生の重要な場面で使用されることになります。

遺産分割協議にも「実印」が必要

人が亡くなると相続が発生します(民法882条)

民法882条(相続開始の原因)

相続は、死亡によって開始する。

そして、被相続人(亡くなった人)の遺産は、被相続人が遺言を残していなければ、死亡の瞬間に相続人について相続が開始し、相続人による遺産の共有が始まります。

共有のままでは、たとえば銀行の預貯金については払戻しができません。また、不動産は売買等ができません。そこで、遺産を「だれがどの遺産をどれだけ取得するか」を相続人全員で話し合って決めることになります(その話し合いのことを「遺産分割協議」といいます)。

そして、協議が成立した証しとして、取得の内容を決めた書面(「遺産分割協議書」といいます)に相続人全員が署名押印します。その際も、実務では「実印」で押印し「印鑑登録証明書」を添付します。

「ハンコ」を押さなければならない理由

このように、遺言作成と遺産分割協議ではハンコは重要な役割を果たします。では、なぜハンコが必要なのでしょうか。

ハンコを押す「2つ」の効果

その理由は、ハンコを押す(押印)という行為には、次の2つの効果があると考えられているからです。

一つは、押印した文書の真正さを担保すること(真正さの担保)、もうひとつは文書の作成が完結することを担保すること(文書完成の担保)です。

たとえば、自筆証書遺言は、だれにも知られずに作成することができます。そして、遺言は遺言者(遺言書を作成した人)が死亡した時にその効力が生じます(民法985条1項)

民法985条1項(遺言の効力の発生時期)

遺言は、遺言者の死亡の時からその効力を生ずる。

したがって、遺言の効力が発生した時には、遺言者はこの世に存在しません。そうなると「この遺言書は本当に亡くなった人が書いた(残した)ものなのか?」と相続人や利害関係者などから疑義が出されることもあるのです。当然ですが、遺言者は既にこの世にいないので、「これは私が書いたものですよ」と言うことはできません。

そうなると、せっかく残した遺言書が、身内同士で遺言書の真贋をめぐって争うことになりかねません。

そこで民法は、遺言者本人が自分の意思で残した文書である真正さと文書完成を担保することによって、遺言の内容を確実に実現するために自筆証書遺言に遺言者がハンコを押すことを要求したと考えられます。

このハンコの2つの効果については、公正証書遺言と遺産分割協議書にも同様にいえます。

効率化VS目に見えぬ効果

今後、ひょっとしたら遺言と相続の場面でもハンコ不要論が出てくるかもしれません。しかし、重要書類にハンコを押すときの独特の緊張感が、「この書類が唯一無二の真正のものなのだ」といった目に見えない法的効果を生むとも考えられます。そうであれば、「効率」を優先してハンコの廃止を議論するのも危ういような気がします。存続か廃止か、それとも共存か、今後のハンコを巡る議論に注目したいと思います。

行政書士

1965年東京生まれ。中央大学法学部卒業後、西武百貨店入社。2001年行政書士登録。専門は遺言作成と相続手続。著書に『[穴埋め式]遺言書かんたん作成術』(日本実業出版社)『行政書士のための遺言・相続実務家養成講座』(税務経理協会)等。家族法は結婚、離婚、親子、相続、遺言など、個人と家族に係わる法律を対象としている。家族法を知れば人生の様々な場面で待ち受けている“落し穴”を回避できる。また、たとえ落ちてしまっても、深みにはまらずに這い上がることができる。この連載では実務経験や身近な話題を通して、“落し穴”に陥ることなく人生を乗り切る家族法の知識を、予防法務の観点に立って紹介する。

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