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名古屋入管死訴訟、裁判所が国側にビデオ提出を「勧告」 ウィシュマさんの崩れゆく筆跡も示される

関口威人ジャーナリスト
文書を示すウィシュマさんの妹のポールニマさん(中央)とワヨミさん(右)=筆者撮影

 名古屋出入国在留管理局(名古屋入管)で昨年3月、スリランカ人女性のウィシュマ・サンダマリさん=当時33歳=が収容中に死亡した事件を巡り、遺族が国を相手に損害賠償を求めて提訴した裁判の第3回口頭弁論が9月14日、名古屋地裁で開かれた。

 焦点となっていた収容中のウィシュマさんの様子を写したビデオ映像の開示について、佐野信裁判長は「迅速な訴訟指揮の観点から、証拠保全手続きで再生された5時間分は証拠として取り扱う」と断言。

 「(保安上必要な範囲での)マスキングを施しての提出を促す」と被告の国側に「勧告」を突き付けた。

裁判所が妥協点示すも国側「検討に2カ月かかる」

 原告側は295時間分すべての映像の提出を裁判所が国側に「命令」するよう求めていた。ウィシュマさんの妹のワヨミさんはこの日の意見陳述で「今日も姉のビデオをもらえませんでした。心が砕けそうです。私たちがまだ見ていない膨大なビデオの中には、入管の報告書に書かれていない姉の苦しみが写っている可能性も高い」と、あくまで全面開示を訴えた。しかし、まずは裁判所によって妥協点が示された形だ。

 一方の国側は実際に5時間分を提出するかどうか、「検討に1、2カ月はかかる」とし、2カ月後の11月14日をめどに検討結果を意見書として提出することになった。佐野裁判長は、国側の検討が「提出は難しい」という結果になるなら、その理由を意見書に記すよう念押し。また、その結果を受けて295時間分の残りの映像についても必要性を判断するとした。

 この日はビデオ映像の他にも、鑑定書などの証拠や準備書面に対する意見書について「出すか出さないか」「いつまでに出すか」で原告・被告双方のつば迫り合いがあり、裁判長が国側に「せめて2カ月で」「次々回(来年2月15日)までに」と、たびたび指示する場面が見られた。

名古屋地裁に入るウィシュマさんの遺族ら原告側弁護団=9月14日、筆者撮影
名古屋地裁に入るウィシュマさんの遺族ら原告側弁護団=9月14日、筆者撮影

自筆書類から分かるウィシュマさんの体調変化

 原告側が新たに用意した準備書面に関連し、原告側の駒井知会弁護士が法廷でモニターに映しながら説明したのが、証拠保全手続きで入管側から出されたという「被収容者申出書」だった。収容されている外国人が、入管側に何らかの申し出をするときに提出する書類だ。

 ウィシュマさんは2020年8月から名古屋入管に収容されたが、その翌月「胸部エックス線撮影」のために申出書を出していた。そこには、小さな丸みがかったアルファベットで自らのフルネーム(Rathnayake Liyanage Wishma Sandamali)を書き込んでいた。

 翌年1月27日付でも自分のフルネームを書いていたが、その下には「けんさ の けっか を おしえて ください」というひらがなも添えていた。

名古屋入管収容から約1カ月後の2020年9月20日にウィシュマさんが書いた申出書=原告側弁護団提供
名古屋入管収容から約1カ月後の2020年9月20日にウィシュマさんが書いた申出書=原告側弁護団提供

2021年1月27日の書類。フルネームと日付の下に「けんさ の けっか を おしえて ください」とひらがなで書いてある=原告側弁護団提供
2021年1月27日の書類。フルネームと日付の下に「けんさ の けっか を おしえて ください」とひらがなで書いてある=原告側弁護団提供

2021年2月3日の書面には「Please I need medical attention」と「doctor check onegai shimasu」の文字が読める=原告側弁護団提供
2021年2月3日の書面には「Please I need medical attention」と「doctor check onegai shimasu」の文字が読める=原告側弁護団提供

 2月3日もフルネームを書いていた。ただ、その下の文章は「私には治療が必要です ドクターチェックお願いします(Please I need medical attention doctor check onegai shimasu)」と、英語とローマ字の日本語の混ぜ書きとなっていた。

 しかし、それから2週間足らずの2月15日。名前は読み取ることが難しいほど崩れ、年月日の数字も大きく歪む。「Please doctor…」の後は、何を書こうとしたのかも判読できない。おそらく入管側で聞き取ったのであろう「…診てください」「心身症」などの日本語が書き加えられている。(黒丸は職員の印鑑部分と思われる)

2021年2月15日の書面。名前や年月日の数字は大きく乱れ、その下の「Please doctor…」の後は判読できない。入管側が聞き取って書いたであろう日本語が添えてある=原告側弁護団提供
2021年2月15日の書面。名前や年月日の数字は大きく乱れ、その下の「Please doctor…」の後は判読できない。入管側が聞き取って書いたであろう日本語が添えてある=原告側弁護団提供

2021年3月3日の書面には、もはや文字とは見えない線が走っている。しかし、対応は「投薬継続」とある。この3日後にウィシュマさんは亡くなった=原告側弁護団提供
2021年3月3日の書面には、もはや文字とは見えない線が走っている。しかし、対応は「投薬継続」とある。この3日後にウィシュマさんは亡くなった=原告側弁護団提供

 文字の乱れはその後も激しくなり、「3月3日記載」とされる書面には、もはや文字に見えない引っかき傷のような線が走っている。この3日後の3月6日、ウィシュマさんは収容所内でまったく動けない状態となり、病院に運ばれて亡くなった。

 駒井弁護士は「ウィシュマさんの字が激しく乱れた2月15日に、ウィシュマさんの尿検査の結果は(飢餓状態を示す)決定的な数値を示していた。入管がこの数値に対応する最低限の医療を実施すれば、ウィシュマさんの命は救えた」と強く訴えた。法廷は静まり返った。

「左手でも書こうとしていた」ほどの衰弱に衝撃

 弁論後の記者会見で、ワヨミさんとポールニマさんは「あの字の変化を見ると、姉がどれほど衰弱していったかが明らかに分かる」とした上で、母国でずっとそばにいた家族ならではの見方を示した。

 「姉は右利きだったが、数字の書き方などから右手が使えず、左手でも書こうとしていたのでは。それほど衰弱していたのに、放置した入管側がその責任を持たないなんて、怒りしか感じられない」

 ウィシュマさんが支援者の眞野明美さんとやり取りした手紙でも、1月下旬には「わたし しぬ こわい」などの記述が見られた。それはひらがなだったが、2月2日には「Watashi zen zen daijobu janai desu(わたしぜんぜん大丈夫じゃないです)」とローマ字になり、2月8日に「I am not okay」などとすべて英文になった手紙が、最後の一通となった。これらは申出書の記述の変化とぴったり符合する。

ウィシュマさんが支援者の眞野明美さん宛てに出した手紙の一部。右は2021年1月24日付で「わたし しぬ こわい から くすり のみます」などと書かれていた。左が最後となった2月8日付の手紙=筆者撮影
ウィシュマさんが支援者の眞野明美さん宛てに出した手紙の一部。右は2021年1月24日付で「わたし しぬ こわい から くすり のみます」などと書かれていた。左が最後となった2月8日付の手紙=筆者撮影

 いったい入管側はどんな状況で衰弱するウィシュマさんにこうした書類を書かせたのだろうか。職員はどんな態度で、何を思っていたのだろうか。

 次回弁論は12月12日の予定。

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。2022年まで環境専門紙の編集長を10年間務めた。現在は一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」代表理事、サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」編集委員、NPO法人「震災リゲイン」理事など。

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