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渡邊雄太のNBAデビューは、2016年1月に迷いを吹っ切り、自分を信じてハードワークを継続した成果

青木崇Basketball Writer
NBAデビュー戦は田臥勇太が2004年に在籍したサンズとなった渡邊(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 2004年11月3日に田臥勇太がフェニックス・サンズの一員としてNBAデビューしてから14年、渡邊雄太は日本人として史上2人目となるNBAレギュラーシーズン出場を果たした。チャンドラー・パーソンズがひざの痛みを理由に欠場したため、メンフィス・グリズリーズは10月27日のサンズ戦で渡邊を試合に出場できるアクティブ・ロスターに登録。田臥の時と同様、大差がつく試合になれば、渡邊のNBAデビューは十分ありうると思われた。

 グリズリーズは渡邊のプレーを見たいファンの期待に応えるかのように前半から試合を支配し、ハーフタイムで68対43とリードを奪った。そして、111対85で迎えた4Q残り4分31秒、ついにフェデックス・フォーラムのフロアに登場。3分11秒に初リバウンドを奪うと、1分36秒にスピンムーブからファウルをもらい、フリースロー2本を着実に決め、NBA初得点を記録した。

 渡邊と田臥は“ゆうた”という名前が同じということに加え、NBA初得点がともにフリースロー。田臥はアトランタ・ホークス戦の4Q残り6分33秒に2本決め、5分に初のFGとなる3Pシュートを決めていた。渡邊の初FGは次戦以降にお預けとなったといえ、デビュー戦が田臥の古巣、初得点の形も同じというのは、何かの縁があると感じさせるものだった。

 渡邊からしてみれば、この試合はNBAキャリアのスタートを切ったにすぎない。2ウェイ契約の選手から真のNBA選手になるための道のりは、これからが本番。しかし、尽誠学園高卒業後に渡米し、「お前じゃ無理」と言ったネガティブな声に影響されることなく、目標に向かってハードワークをし続けている渡邊にとっては、これからもワクワクする瞬間がやってくるに違いない。

 それでも、ジョージ・ワシントン大2年生のとき、心が折れる寸前になるくらい苦しい時期に直面していたことを思い出す。2016年1月、筆者は渡邊を取材するためにワシントンD.C.を訪問。しかし、腰痛を抱えるなどコンディションがいまひとつで、プレーも積極性を欠くなど、迷っているという印象を持った。1月9日に見たデュケーン大戦はファウルトラブルに見舞われ、大学4年間で唯一の無得点試合(出場時間18分)に終わったのである。

 試合後、フラストレーションを感じている渡邊への取材はせず、翌日に改めてじっくり話を聞かせてもらうと、「迷っています」という言葉が返ってきた。今こそ複数のポジションで質の高いディフェンスのできる選手へと成長したが、当時はフィジカルの強いガードやスモールフォワードへのマッチアップに苦戦。デュケーン大戦でのファウルトラブルも、非凡なスピードとフィジカルの強さを持つ黒人選手が原因だった。

 しかし、渡邊が迷いを吹っ切るうえで、家族のサポートが助けになる。1月15日にアウェイでのデイトン大戦に敗れた試合で5点に終わった後の電話で、父親から「去年も同じことを言っていたじゃないか」と厳しく指摘された。“なぜ、アメリカに来たのか?”という原点を思い出し、「このままではいけない」という自身への危機感を再認識した結果、下のようなツイートが出たのである。

 このツイートから約2週間後のリッチモンド大戦で14点、3ブロックショットを記録して以降、渡邊はチームの勝利と自身のレベルアップを念頭に、チームのだれよりもハードワークを続けた。このシーズンのNIT(NCAAトーナメントに出られなかった32チームによって争われ、準決勝と決勝はマディソン・スクエア・ガーデンで開催)でジョージ・ワシントン大が優勝した際には、すばらしいディフェンダーとして認知されるきっかけを作ったのである。そして、3年生と4年生のシーズンではチームの中心選手となり、昨季アトランティック10のディフェンシブ・プレーヤー・オブ・ジ・イヤーという栄誉を手にしたのは、多くの方がご存知だろう。

 ジョージ・ワシントン大での4年間、渡邊はスカウトや全米のバスケットボールファンから注目されるNCAAトーナメントに出場できなかった。しかし、2016年1月を最後に一切の迷いがなくなり、寮よりも長い時間を過ごしたというチャールズ・E・スミス・センターでハードワークを続け、ドラフトで指名されなくてもチャンスがあることを信じてきた成果が、10月27日のNBAデビューにつながったのはまちがいない。

Congrats, Yuta!

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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