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ガザでの戦闘:ラファ(ラファフ)の「先」には何がある?

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 過去数日、イスラエルの政府・軍からガザ地区南端のラファフへの本格侵攻の意向が表明されており、それがエジプトやアメリカとの間のちょっとした摩擦になっている。しかし、現実の問題として侵攻を止める方法も主体も存在しない中、侵攻は「確実にある」と思った方がよさそうだ。となると、事態の正確な理解や(なるべく)的確な対処のためには、ラファフの「先」には何があるのかを知っておいた方がよい。同地はガザ地区とエジプトのシナイ半島との間の通過地点があることから、今般の紛争勃発後は「ガザ地区に援助物資を入れるとこと」と思われており、この文脈ではラファフの「先」にはガザ地区の諸都市と援助物資を待つパレスチナ人民が存在する。また、同地をパレスチナ抵抗運動諸派が武器やその材料を搬入(密輸)する拠点と考えても、やはりラファフの「先」にあるのは敵であるイスラエル占領者とその軍勢だ。しかし、ラファフがガザ地区からヒトやモノが出て行くところと考えた場合、その「先」はエジプト領のシナイ半島ということになる。

 実はこのシナイ半島、単にエジプトがガザ地区から強制移住させられる可能性が非常に高くなってきたパレスチナ人民の受け入れを断固拒否している以上に面倒な場所だ。というのも、同地は1967年の第三次中東戦争でイスラエルによって占領された後、1973年の第四次中東戦争を経て、1979年のエジプトとイスラエルとの間の和平合意でエジプトに「返還」されたところだからだ。そのようなわけで、シナイ半島には和平合意の一環としてエジプトとイスラエル、その他の諸当事者が合意した、軍や国境警備隊などの兵力は一についての詳細な規制がある。本来はイスラエルがラファフ市のエジプト寄りの地域に大兵力を配置して作戦行動を行うこともこの規制に抵触しかねないものだし、エジプト側がパレスチナ人の「流入」を阻止しようと軍を派遣することはもちろん、パレスチナ人のための一時避難施設をつくるにしてもそう簡単ではない。エジプトとイスラエルとの和平は、「中東の平和と安定の礎」と信じられているので、和平合意の根幹部をなすシナイ半島の兵力は一についての諸般の規制を「知らない」、「関心ない」では、ラファフとそこにいるパレスチナ人の命運のいかんを問わず望ましい態度でないだろう。

 この問題について、2024年2月11日付『シャルク・アウサト』紙(サウジ資本の汎アラブ紙)が、エジプトの軍事専門家の解説を交えてシナイ半島の兵力展開の規定について報じた。それによると、1979年にキャンプデービッドで調印されたエジプトとイスラエルとの和平協定の第8章にてシナイ半島とラファフにおける軍事行動の「最終的な境界」なるものが定められた。この規定では、シナイ半島と(イスラエル側の若干の地域)はA、B、C、Dの4地域に区画され、それぞれについて兵力配置などが規定されている。なお、協定は2021年に一部改訂され、ラファフ方面(=D地域)に配置可能なエジプトの国境警備隊とその装備がこれまでより750人(と装甲車複数)増やされた。これは、エジプトとイスラエルとの和平合意の唯一の改定事例だそうだ。

 協定で定められたA地域は、シナイ半島の北岸西寄りの地点から、同半島南端の知覧海峡入り口付近までに設定された「レッドライン」とスエズ運河・シナイ半島西岸との間の地域だ。エジプト軍はこの地域に、1個歩兵師団とその装備しか配置できない。A地域の東隣にはB地域が設定されているが、これはシナイ半島の北岸東寄りの地点から、シナイ半島南部で先の「レッドライン」と交わる「グリーンライン」と「レッドライン」とに囲まれた地域だ。この地域には、軽装備の4個大隊からなるエジプトの国境警備隊と彼らの軽車両だけが配置される。C地域は、「グリーンライン」とエジプト・イスラエル間の国境、アカバ湾の間の地域だ。この地域には、国連の部隊とエジプトの警察が配置される。つまり、エジプトはイスラエルとの和平に際し、「自国領内に自国の軍事力を配置する」という独立国としての権利の一部を放棄している。

地図:シナイ半島の兵力配置規制地域図。
地図:シナイ半島の兵力配置規制地域図。

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 今後のラファフの命運に最も関係が深いと思われるのが、D地域だ。この地域は、エジプトとイスラエルとの国境、及びガザ地区との境界と、この国境・境界からイスラエル側・ガザ地区側(つまり東に)に設定された「ブルーライン」にはさまれた地域だ。「ブルーライン」は、ファラフ市の東方2.5km付近から、エイラート市までひかれた線で、D地域の幅(東西)は0.5km程度だ。ガザ地区でD地域の対象となる範囲の南北の長さは、14kmほどだ。イスラエル軍は、この地域に4個歩兵大隊とその装備を配置している。この地域では、国連の停戦監視部隊が活動し、部隊の拠点が設置されている。そして、このごく狭い地域に、現在ラファフに逃れたパレスチナ避難民の大半が集中している。イスラエルは、この地域ではエジプトとの協議・合意の上での訓練目的以外で配備する兵力を増強することができない。そうすることは、和平条約の条件に反するのだ。

 イスラエルがファラフに侵攻し、これを制圧することは、D地域の侵犯を意味するのだが、イスラエル側はこの地域を再制圧する意向も表明している。当然エジプトはこれを拒否し、「本件についてのエジプト・イスラエル間の調整があること」を否定し続けている。このようにして考えると、イスラエルによるラファフ侵攻・制圧は「中東和平」そのものを根底から変質させる効果を及ぼしそうな大事件だ。繰り返すが、もしイスラエルが本当にそうするのならそれを阻む意志と能力がある主体は存在しない。中東の地域の枠組みや国際秩序が大きく変わる瞬間は不可避ということだろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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