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ガザでの戦闘:戦場はもっと広くて深い~イエメン軍(フーシー派)が貨物船を拿捕

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:イメージマート)

 2023年10月7日のハマース(ハマス)による「アクサーの大洪水」攻勢開始以来、中東の地域情勢は緊張の度を深めている。世論の関心や外交的働きかけはガザ地区でイスラエル軍による封鎖や無差別攻撃で民間人、特に子供が死傷することに注がれている。これ自体は極めて重大な問題で、「直ちに止める」どころかその行為者を厳重に懲罰し類似の行為が二度と起きないくらいの教訓を残すべきことだ。しかし、問題はガザ地区での「イスラエルとハマースとの戦闘」とか、南レバノンでの「イスラエルとヒズブッラー(ヒズボラ)との戦闘」といった具合に、地理的範囲や戦闘の当事者を矮小化している限り理解することも適切な対策を講じることも不可能なところまで進んでいる。2023年11月19日に、イエメン沖の紅海で日本企業が運行する貨物船が「イエメン軍」に拿捕された事件は、この状況を象徴している。

 現在の戦闘はガザ地区に局限されているものではない。ヨルダン川西岸地区でも連日イスラエル軍による逮捕・攻撃が続いている。また、戦闘はパレスチナ、レバノン、シリア、イラクでイスラエルとアメリカと、「抵抗の枢軸」を称するハマース、ヒズブッラー、シリア、イラン、イラクの民兵諸派との間の戦略的かつ広域的なものとなっている。ここに、首都サナアをはじめとするイエメン北部を「実効支配」するアンサール・アッラー(俗称フーシー派)イスラエルに対する弾道ミサイル・無人機攻撃と、今般の貨物船拿捕によって紛争への関与と軍事行動の強度を強めてきたのだ。しかし、貨物船拿捕以前の「抵抗の枢軸」のイスラエルとの戦いは、なんだか腰の引けたものと言ってもよかった。パレスチナでハマースやイスラーム・ジハード運動(PIJ)がイスラエルにまるでかなわず、敵方に長期の動員と日常的な人的被害を強いる「消耗戦」や、世論を揺さぶる「捕虜交換交渉」を主軸にせざるを得ないように、「抵抗の枢軸」全体を見てもイスラエル(とそれを支援するアメリカやヨーロッパ諸国)と軍事的・経済的に対決して勝てる見込みなんてまるでない。これは、イランやシリアが正規軍を動員して国を挙げて「参戦」しても微動だにしない事実だ。となると、「抵抗の枢軸」全体としても、敵方を軍事面だけでなく、政治・経済・名声の面で消耗させる戦略を追求せざるを得ない。ヒズブッラーがイスラエルとの戦闘を抑えているのも、イラクやシリアで「イランの民兵」がアメリカ軍の基地を「死人が出ない程度に」攻撃しているのも、全ては従来からの対立の「ルール」の範囲内で事を収め、自分たちの側が「ルール」から逸脱したとの非難や、それを口実とした敵方の強力な軍事行動を回避するためだ。

 ここで、シファー病院という局地だけでなくガザ地区全体の人道状況が著しく悪化していることは、「抵抗の枢軸」にとっては好機である反面深刻な危機でもあった。放って置くだけでイスラエルの蛮行や非人間性だけでなく、イスラエル「支持」を表明し同国の蛮行を「放任」しているアメリカやヨーロッパ諸国の偽善と二重基準が全世界に向けて明らかになり、これらの当事者の名声・威信がどんどん下がるのは「抵抗の枢軸」から見ればいいことだ。しかし、武装抵抗運動によってイスラエルやアメリカを抑止し、場合によってはこれらに譲歩や後退を余儀なくさせることを最大の売り物にしてきた「抵抗の枢軸」にとって、彼らが現在のパレスチナの人道状況を抑止も改善もできないことは、潜在的な支持層であるアラブやムスリムの世論に対してあまりにも格好が悪いからだ。特に、これまで「アラブの盟主」とか「イスラームの盟主」との枕詞を付されて語られてきた中東・アラブ地域の「有力国」が事態を拱手傍観する中、「抵抗の枢軸」側も世論の怒りに押されるかのように紛争の強度を上げざるを得なくなってきた。例えば、イラクでイスラエル人が消息を絶った事件は、「イランの民兵」によって今般の戦闘と結びつけられ、ヒズブッラーはイスラエルとの戦闘を量・質の面で強化したと表明した

 最近のアンサール・アッラーの動き、すなわちイエメンからの対イスラエル攻撃や今般の貨物船拿捕も、「抵抗の枢軸」による紛争の強化と、あくまでも強度を制御する営みの一環だ。従来、イランとパレスチナ・レバノンとを結ぶ兵站経路として東地中海地域の情勢に関与してきたアンサール・アッラーが、直接イスラエルを攻撃したり、同国に関係あると認定した船舶を拿捕・攻撃したりすることは、「直接攻撃」という意味では「ルール」からの逸脱である反面、「敵方に致命的な打撃を与えない」という意味では「ルール」の範囲内という、微妙なバランスの中での行動だ。今般の事態について、アンサール・アッラーは、11月19日に拿捕が明らかになる前の警告と、拿捕についての声明を発表している。繰り返すが、アンサール・アッラーは首都サナアをはじめとするイエメン北部を「実効支配」する主体としてイエメンの軍・政府機関を制御する立場にあり、本件についての声明はどれも「フーシ派の犯行声明」などという矮小なものではなく、「イエメン軍」による公式発表である。

 拿捕に先立つ「イエメン軍」の警告は、「宗教的、愛国的、道徳的責任に基づき、ガザ地区がイスラエルとアメリカによる残虐な攻撃にさらされ同地区で日常的な虐殺と集団ジェノサイドが起きていることに鑑み、我らがイエメン人民と自由人諸人民の要求にこたえて、ガザにいる不正を被る我らが民を支援して。」と称し、「イエメン軍は、以下の全ての船舶を攻撃対象とするであろうことを宣言する。1.シオニスト政体の旗を掲げる船舶、2.イスラエルの諸企業が運行する船舶、3.所有権がイスラエルの諸企業に帰する船舶」と発表した。また、「世界のあらゆる国に以下を呼びかける。a.上記の船舶にいる国民を退去させること、b.上記の船舶に荷物を積むことや、これら船舶との関与を避けること、c.あなたがたの船舶に、上記の船舶から離れるよう通知すること」と警告した。つまり、「イエメン軍」がイスラエルに関係すると認定すれば、対象船舶の運航主体も、乗員の国籍や所属がなんであろうと「あんまり関係ない」ということだ。実際、拿捕を発表する声明は以下のような内容だった。「イエメン海軍は紅海にて軍事作戦を実行した。その結果、イスラエル船舶1隻を拿捕し、イエメン沿岸に曳航した。イエメン軍は、当該船舶の乗員をイスラームの宗教的価値と教えに沿って処遇している。イエメン軍は、敵対者イスラエルに属する諸船舶、及びイスラエルと取引がある諸船舶に、それらが軍の正当な攻撃対象となるだろうことを改めて警告する。また、イエメン軍は、紅海で国民が活動している全ての国に対しイスラエル船舶、イスラエル人が保有する船舶とのあらゆる仕事と活動から遠ざかるよう呼びかける。イエメン軍は、敵対者イスラエルがガザ地区への攻撃をやめるまで、現在も続いているガザとヨルダン川西岸地区のパレスチナ人同胞に対するひどい犯罪を止めるまで、敵対者イスラエルに対する軍事作戦の実行を続ける。同様に、イエメン軍は地域、国際航路、の安全と安定を脅かす者はシオニスト政体であり、国際社会が地域の安定と紛争の不拡大を希求するならば、敵対者イスラエルのガザへの攻撃を止めなくてはならないことを強調する。イエメン軍の作戦は、先の声明で言及した通り、イスラエル政体の船舶、イスラエル人が保有する諸船舶以外を脅かさない。」

 実は、紅海での船舶拿捕、或いは船舶に対する攻撃は、2000年のアデン港でのアメリカ海軍の軍艦「コール」以来、国際的な懸案だった。元々の懸念はアラビア半島のアル=カーイダのようなイスラーム過激派による攻撃だったが、アンサール・アッラーによる政権奪取とイエメン紛争の勃発により、イスラーム過激派よりもずっと規模と能力が優れた主体が、国際的航路の要衝である紅海とバーブ・マンダブ海峡の航行の安全を脅かしかねない存在として顕在化していたのだ。今般の事態は、イエメン紛争や同国の政情から目を背け、アンサール・アッラーについても「フーシー派」なる蔑称で呼称し続けて(蔑称なので表記はフーシーでもフーシでもホーシーでもホーシでも、派をつけてもつけなくても、本当にどうだっていい)同派のことをちゃんと考えてこなかった結果と言える。

 いずれにせよ、アンサール・アッラーの行動は、イスラエル・アメリカと「抵抗の枢軸」との対立に紅海とバーブ・マンダブ海峡という国際航路の要衝を巻き込んだという意味で「ルール」の埒外の新たな展開だ。その一方で、「抵抗の枢軸」の諸当事者が、「ルール」違反を非難されたくないと強く望んでいることも確かなので、今後「イエメン軍」が同様の拿捕を繰り返したり、実際に船舶を攻撃したりすることは考えにくい。ただ、中東や国際情勢を考える上での焦点の合わせ方や分析上の発想を、パレスチナのごく一部に過ぎないガザ地区の、さらにごく一部の小さな施設に集中するのではなく、より大局的で現実的なものに改めることは必須であろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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