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レバノン:ヒズブッラー(ヒズボラ)は「アクサーの大洪水」攻勢にどう臨むか

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2023年10月7日にパレスチナの反イスラエル抵抗運動組織のハマースが「アクサーの大洪水」攻勢を開始して以来、イスラエルとレバノンの間でも両国間の境界線や係争地を挟んで断続的に砲撃戦、無人機攻撃などの交戦が続いている。交戦の一環として、ハマースやパレスチナ・イスラーム聖戦運動(PIJ)の要員がレバノンからイスラエル側に潜入して戦闘に及ぶという、近年では異例の事案も発生している。レバノン側の交戦の主体は、レバノンの政府や軍ではなくヒズブッラーという反イスラエル抵抗運動組織だ。ただし、ヒズブッラーはレバノンの各種選挙に参加し、国会議員を輩出しているだけでなく、閣僚も出す政党でもある。また、同党には傘下の福祉・教育団体や、建設業など様々な企業、テレビ局、新聞・雑誌社が多数あり、レバノン社会の少なくとも一部に深く根付いて広汎に活動している。

 イスラエルから見れば、南方に位置するパレスチナのガザ地区へのイスラエル軍の侵攻が時間の問題と信じられている中、ヒズブッラーがイスラエルを北方から脅かすという構図は、単にイスラエルが南北の二つの戦線で紛争を展開するという問題ではなく、「抵抗枢軸」を自任してヒズブッラーやハマース、PIJと連携する立場にあるシリアやイランにも紛争が拡大するきっかけになりかねない問題だ。実際、イスラエルは10月7日以降3度にわたりシリアのダマスカス国際空港、アレッポ国際空港を航空攻撃し、両空港を使用不能にした。イスラエルはこれらの攻撃をヒズブッラーの兵站経路への攻撃と主張しており、この行為を問題視したり非難したりする国も極めて少ない。欧米諸国の政府や報道機関は、ヒズブッラーがレバノンや中東全域をイスラエルとの紛争に巻き込もうとしているかのような論調だが、イスラエルによる攻撃が放任されていることに鑑みると、実はそちら側にこの際「抵抗枢軸」を一掃するような国際環境ができたり、軍事衝突が起こったりするのを期待している者もいそうだ。こうした状況は、本邦では全くと言っていいほど報道されていないはずだ。

 それでは、肝心のヒズブッラーはここまでの事態にどのような意図で対応してきたのだろうか。10月22日付の『シャルク・アウサト』紙(サウジ資本の汎アラブ紙)は、この件についてレバノンの軍事専門家の分析を基に、ヒズブッラーがいくつかの目的をもって事態に臨んでいるとの記事を掲載した。この記事によると、ヒズブッラーはガザ地区に対する戦争に関与するつもりがあるというメッセージと、国連安保理決議1701号(2006年夏のイスラエルによるレバノン攻撃を収束させる際に採択されたもの)を遵守するというメッセージを発している。二つのメッセージは矛盾しているようにも見えるが、戦闘場所や範囲、攻撃対象、使用する兵器について一定の「約束事」を守りつつイスラエルと交戦し、それを通じてガザ地区の情勢に関与しようというものとも言える。

 ヒズブッラーとイスラエルとが「約束事」の範囲内で対峙しているだけでも、ガザ地区の情勢には大きな影響がある。というのも、記事によるとイスラエル軍は3個師団およそ3万人をヒズブッラーへの対処に充てており、ヒズブッラーにすればイスラエルとの戦闘を拡大してレバノン国内での立場を悪くしたり、事態を地域規模の戦争に拡大したりすることなしにイスラエル軍の大兵力をガザから引き離すという成果を上げていることになるからだ。記事中の分析によると、ここまでのイスラエルとの交戦で使用している兵器の面からも、ヒズブッラーが物事を「約束事」の範囲内で進行させようとしているのがわかるという。ここまで、ヒズブッラーは小火器や対戦車ミサイルを用いてレバノンとイスラエルとの係争地にあるイスラエル軍の拠点を攻撃しており、短距離・中距離のロケット弾を用いて入植地や集落を砲撃するに至っていない。

 その一方で、ヒズブッラーはこれまでの「約束事」とはちょっと違うこともしている。それは、イスラエルがレバノンとの境界沿いに多数配置している警報装置や監視カメラなどへの攻撃だ。イスラエルの警戒能力を減退させることは、レバノン側で(イスラエル側への潜入のような)行動が企画されていても、イスラエルが事前に察知することを困難にする。さらに注目すべき点は、これまでのところヒズブッラーもイスラエルも、境界線からせいぜい3kmの幅で交戦しているにすぎないのだが、イスラエルがレバノン領からパレスチナ諸派が発射するロケット弾の射程距離を考慮して境界線から7kmの範囲の入植地の住民を退避させたことだ。ヒズブッラーは、射程距離が5kmの対戦車ミサイルを用いてイスラエル軍の装甲車両、兵士、装備を攻撃しており、境界から5kmの幅でイスラエル側に「引き離し地帯」を作り出そうとしている。

 この「引き離し地帯」が確立し、さらにイスラエル軍の警戒設備に十分な打撃を与えた場合、それはレバノンからイスラエルへの潜入作戦の準備と考えることができる。今のところ、レバノンからイスラエルへの潜入はパレスチナ諸派が2度企画し、イスラエル側で攻撃を行っている。もっとも、ヒズブッラーはハマースやPIJ、その他のパレスチナ諸派がレバノンの利害を無視して好き勝手にイスラエルに潜入作戦を含む攻撃をするのを許すつもりはなく、パレスチナ諸派による攻撃は、砲撃も含め使用する兵器や攻撃対象をヒズブッラーが差配していると考えられている。兵器の種類や攻撃対象は、レバノン方面での情勢が広範囲で一挙に悪化しないように選定されている。軍事情勢を極端に悪化させない程度にパレスチナ諸派の要員を潜入させる一方、ヒズブッラー自身は潜入作戦を実施しないということは、ガザ地区の情勢によっては紛争により深く関与するつもりがあると表明するのと同時に、これまで通り「約束事」の範囲内でイスラエルと対峙するというヒズブッラーの対処方針を象徴する。

 レバノン方面に限ってみると、イスラエルも、ヒズブッラーも、同党と連携するシリアもイランも「約束事」から逸脱するのは避けている模様だ。当事者のいずれもが、自分が最初に「約束事」を破った者だと非難されるのは嫌なのだ。となると、現在の戦闘は双方が相手方に最初に「約束事」から逸脱する行為をとらせるように挑発しあっている局面ともいえる。不可避と信じられているガザ地区への侵攻でパレスチナ人民に壊滅的な被害を与え、ヒズブッラーら「抵抗枢軸」側がより強い反撃に出ざるを得ないよう仕向けるというのも、イスラエル側から仕掛けることが可能な挑発行為の一つだ。だだし、こちらは紛争を拡大させることで「抵抗枢軸」へのアラブやムスリムの支持を引き離そうとする狙いと逆の効果を呼ぶ可能性もある。ともかく、パレスチナでの事態の早期鎮静化、事態の拡大阻止を望むのならば、分析や観察する立場でできることはただ情報戦に踊らされないというだけでなく、情報戦の過程で提供されるさまざまな胡乱な「ネタ」について、発信者の利害や意図まで洞察する高度な仕事をするしかなさそうだ。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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