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パレスチナ:北部戦線異状なし

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2023年4月5日のイスラエルの警察によるアクサーモスク突入以来、パレスチナでの緊張が高まっている。5日のうちにガザ地区からロケット弾が発射され、「報復」と称するイスラエルの空爆が行われたのは別稿の通りだ。7日にはヨルダン川西岸の入植地付近での銃撃や、テルアビブ市での観光客の集団への乗用車突入で、ユダヤ人入植者2人を含む3人が死亡した。さらに、6日にはレバノンから30発以上のロケット弾がパレスチナに向けて発射され、イスラエル軍が発射地点付近を含むレバノン領の複数個所を攻撃した。レバノンからイスラエルに対するロケット弾発射は、2006年夏のイスラエル軍によるレバノン攻撃以来の異例の展開だ。イスラエルはロケット弾の発射を、「ヒズブッラーの了解の下ハマースが行った」と主張し、ハマースに対する「報復」を行った(注:ヒズブッラーと直接交戦したくない、ということ)。もちろん、レバノンにもパレスチナ人が多数居住し、そこではハマースも活動しているのだが、同地のハマースの代表はロケット弾発射について「知らない」とコメントしている。また、本件を自らの作戦であると発表した団体は、いんちきと思しき怪しげなものも含めて一つもない。

 本来、パレスチナの民族解放闘争であれ、反イスラエル抵抗運動であれ、イスラーム過激派であれ、イスラエルに対する武力攻撃はアラブやムスリムに訴えかける絶好の見せ場である。とはいえ、うっかりイスラエル側に死者が出るような「戦果」を上げると、組織の存亡にかかわるどころか、活動地の経済や社会にも壊滅的な被害が出るような攻撃を招きかねない。そのような場合、アメリカをはじめとする「国際社会」は「イスラエルの自衛権を尊重」するという条件反射的反応をした上で、イスラエルの気が済んだところで「沈静化」の働きかけをするというパターンを繰り返している。早い話、イスラエルが大規模な軍事行動に出ざるを得ないような被害を与えるような作戦があった場合、状況の悪化や大規模な破壊と殺戮を止める手立てはないということだ。イスラエルを攻撃する(と信じられている)当事者も、現時点では世論に対する示威よりも対イスラエル攻撃によって予想される敵方の反撃を重視し、今般の衝突についての諸派の著述はどれもいかにも歯切れが悪い。イスラエルの側も、現在のネタニヤフ政権が企画していた司法「改革」への反対運動が長期間続いており、「外敵」による攻撃は国内の世論を政府支持(少なくとも表立った反政府運動を抑制する)に誘導する好機にも見える。ただ、イスラエルの政情もそれほど単純ではないらしく、現時点でのイスラエルの軍事行動はどの方面でもうっかり多数を殺戮することがないように「手加減」しているものに見える。

 そうした事情に鑑みると、8日~9日にかけて、シリアからイスラエルが占領するゴラン高原に向けてロケット弾が発射され、これに対してイスラエルがシリア南部の諸地点をミサイル攻撃した事態も、諸当事者の誰もが「腰が引けた」妙な展開といえる。確かに、イスラエルとの紛争でシリア領からイスラエルに対する攻撃が行われるのは、1973年の第4次中東戦争以来極めて珍しいことだ。しかし、2度にわたって行われたらしいロケット弾の発射は、どれも明らかに「人がいなそうなところ」に向けたもののようだし、イスラエルの「報復」についても本稿執筆時点で人的被害が出るものではなかったようだ。2月の震災で国際的な支援受け入れの窓口となっていたダマスカスやアレッポの空港を使用不能にしたり、攻撃で多数を殺害したりすることに何の躊躇も良心の呵責も感じなかったイスラエルの行動にしては、何ともおかしなことだ。

 ちなみに、シリアからのロケット弾発射について「エルサレム旅団」が自らの作戦であると主張したとの報道が出回っている。エルサレムはアラブ・イスラエル紛争の重要な焦点の一つで、今般の緊張の発端となったアクサーモスクの所在地でもあることから、紛争当事者の誰もが使いたい名称だ。例えば、パレスチナ・イスラーム聖戦運動(PIJ)の軍事部門は「エルサレム隊」という名称だし、イランの革命防衛隊傘下で対外工作を担当するのは「エルサレム軍団」だ。「エルサレム旅団」は、シリア紛争の最中の2013年に、シリア在住のパレスチナ人(特にアレッポ市のナイラブ街区)から人員を動員して編成された民兵で、2016年末のアレッポ解放作戦や、シリア中部の砂漠地帯での「イスラーム国」対策の場でよく見かける団体だ。要するに、「エルサレム隊」、「エルサレム旅団」、「エルサレム軍団」は、それぞれ構成員の出自も、政治目標、組織の形態も指揮系統も異なるものだ。このあたりを混同(或いは意図的に誤認)している報道やSNSの書き込みもたくさんある。

 今般出回った「エルサレム旅団」の発表は画像1の通りだ。その内容は、「今般のゴラン高原の占領者の拠点攻撃は、アクサーモスクへの侵略行為への反撃だ」、「我々はイスラエル政体に対し、あらゆる侵略行為に対しシリア南部戦線からの断固たる反撃を誓約する」、署名は「シリア軍のエルサレム旅団」に要約される。「エルサレム旅団」がシリア軍の一部かどうかは、大いに疑わしい所ではあるが、シリア紛争が一応の小康状態になってからシリア政府・軍は紛争期間中たくさん現れた「親政府」民兵を何らかの形で政府・軍の配下に再編しようと努めており、パレスチナ人の民兵のはずの「エルサレム旅団」も再編過程の中でシリア軍の指揮下に入った体裁をとっていることもありうる。しかし、今般の事態で考えるならば、従来シリア領からの攻撃を徹底的に抑止してきたシリア政府の「配下」のはずの民兵が、よりによって「たかが」アクサーモスクでの衝突ごときで本当に異例の攻撃を実施するかどうかは大いに疑わしい。シリア政府・軍やシリア・パレスチナの民兵に「イランの影響力」があることを考慮しても、この疑わしさは全く変わらない。

画像1:SNS上で出回った「エルサレム旅団」による報道発表。
画像1:SNS上で出回った「エルサレム旅団」による報道発表。

 ただし、シリア領からゴラン高原への攻撃をパレスチナ人の民兵が実施したという情報には無視してはいけない重要な意義がある。何故なら、1993年の「オスロ合意」以来、「パレスチナ」は本来の地理的概念よりもはるかに矮小な「パレスチナ自治区」だけと誤認され続けており、それ以外の場所にもたくさんいるパレスチナ人の存在も、まさになかったことにされ続けているからだ。つまり、シリアのパレスチナ人の民兵がパレスチナでの衝突に呼応して軍事行動を起こすことは、今まで、そしておそらく未来永劫に「いないこと」にされているパレスチナ人の存在を世の中に知らしめるという行為に他ならないのだ。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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