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ワールドカップ・カタール大会:「イスラーム国」はアラビア半島から異教徒を追い出せと叫ぶ

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:アフロ)

 イスラーム過激派にとって、カタールで開催中のFIFAワールドカップは一般の視聴者やサッカーファンとは異なる意味で注目の催事だ。イスラーム過激派から見れば、人類にイスラームがもたらされ、ムスリムが礼拝するときに頭を向ける地があるアラビア半島に、ワールドカップを理由に多数の異教徒が訪れて堕落と不信仰をまき散らすこと、アラビア半島の為政者たちがそれを止めないどころか喜んで誘致していることは重大な不正なのだ。この件については、既にアラビア半島のアル=カーイダアル=カーイダ総司令部の名義で警告やボイコット呼びかけの声明が出回った。そして、2022年11月24日に刊行された「イスラーム国」の週刊機関誌にも、ワールドカップについての論説が掲載された。

 この論説、「イスラーム国」による様々な脅迫・扇動・時事論評と長年おつきあいしていると「お約束」のパターンを含む、飽き飽きするような作品なのだが、末尾で「アラビア半島から多神教徒を追い出せ、アラビア半島からユダヤ人とキリスト教徒を追い出せという預言者の遺言を果たすムスリムは誰なのか?」という扇動がある以上、ないがしろにするわけにはいかない。しかも、「この遺言を実行するのに、誰かと相談する必要はない」との文言までついている。要するに、ワールドカップ・カタール大会についての「イスラーム国」の論評は、警戒呼びかけやボイコット呼びかけよりもさらに先鋭的な、同派の共鳴者・ファン・模倣者向けの攻撃教唆となるわけだ。ちなみに、論説の中に「イスラーム国」自身が何か行動を起こす可能性を示唆する文言は見当たらない。

 それでは、今般の論説の扇動を、どの位深刻に考えるべきだろうか?問題の機関誌、週刊で「イスラーム国」の戦果、時事論評、教学上の論説、幹部の演説の文字起こしなどを掲載するものだ。そのため、機関誌自体や機関誌の編集者たちが、「イスラーム国」の方針を策定し、それを誰かに指令するといった性質のものではない。同派の方針などについては、別の製作部門が自称カリフや報道官の演説や動画として発信する作品の方が重要度は高い。その一方で、近年「イスラーム国」の広報は量・質ともに低迷しており、それは自称カリフや報道官の演説も例外ではない。よりランクが高い所からたいした扇動・教唆・示唆が出てこないとなると、週刊誌レベルでの扇動でもそれに乗って行動を起こす者が現れたり、そうした行動に「イスラーム国」の広報が便乗したりすることに注意は怠れない。

 一方、今般の論説は、「イスラーム国」が「相変わらず」で独善と孤立の世界に生きていることを示してもいる。論説は、様々な(イスラーム主義者やその組織が)ワールドカップ大会の開催を目にして初めてカタールの危険性に気づいたかのような言辞を弄していると述べ、アル=カーイダも含め既に声明類を発表した主体を小ばかにする。そして、ワールドカップ大会の開催は20年も前に決まっていたことであり、カタール、UAE、サウジ、トルコの為政者らがイスラームに対する戦争で役割を果たしていたことはずっと前から明白であり、「イスラーム国」だけがそうした害悪を理解し、これと闘ってきたと主張する。その上で、他の主体は問題の害悪とそれへの対処を全く示していないが、「イスラーム国」はそうではないと称して前述の「アラビア半島から異教徒を追い出せ」という扇動になる。つまり、「イスラーム国」にとっては他のイスラーム過激派やイスラーム主義者は全て間抜けか敵の手先であり、正しいのは自分だけ、ということだ。

 アル=カーイダをはじめとする競合するイスラーム過激派諸派やイスラーム主義者の広報を熟読し、場合によってはそれらの発表前に内容を察知して、これを小ばかにする広報をぶつけるというやり方は「イスラーム国」が大好きな広報の手法だ。「イスラーム国」は、相手の主張を後出しじゃんけん的に分析してこき下ろすので、イスラーム過激派の広報を幅広く観察していないと同派の主張がまっとうであるかのように錯覚することもありうる。ただし、このようなやり方は、「イスラーム国」の構成員・支持者・ファンがカルト的に自らの正しさへの確信を深めるのには役に立つだろうが、同派の存在理由・目的の一つである「拡大する」を達成する上では逆効果となるだろう。というのも、人類一般、そしてムスリムの大方にとって、イスラーム主義だけでなく「イスラーム主義が掲げる政治目標を達成する手段として武装闘争・テロリズムに依拠する」イスラーム過激派は、社会の主流とはなりえない。となると、「イスラーム国」は「イスラーム過激派の支持者やファン(そうでなければ政治的主張に興味を持ったり理解したりする意志や能力のない人々)」というさほど広くない範囲で競合する他の運動と資源を奪い合っているに過ぎない。そうした中で、「同業他社」に過ぎない他の団体や活動家をバカにする一方の「イスラーム国」の広報は、一般のムスリムの目には「イスラーム過激派」という「ギョーカイ」が内輪での罵倒や足の引っ張り合いに終始する、全く魅力のないものとしか映らないだろう。そのような姿を見て、「思想や政策(あればの話だが)」に納得した上での「イスラーム国」への支持が広がっていく様はちょっと予想できない。もちろん資源が十分あれば、武力で制圧したり、お金などの力で構成員・支持者・ファンを増やしたり、多数の住民を制圧下に置いたりすることは可能だろうが、それはあくまで一般のムスリムを「イスラーム国」にとっての動員の対象という客体としてしか見ていない思考方法の産物に過ぎない。

 今般の論説に影響されて、カタールを訪れるワールドカップ観戦者に対する攻撃をはじめとする事件が発生しないよう、改めて注意喚起することが必要だ。だが、論説の論理構造は「イスラーム国」の衰微を象徴するものであり、もうちょっと優秀な執筆者がいないと同派の低迷も続くということでもある。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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