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「イスラーム国」が闘い続ける理由

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2022年9月13日、「イスラーム国」の公式報道官のアブー・ウマル・ムハージルの演説ファイルが出回った。これは、同人が2022年3月に「イスラーム国」の公式報道官に任命されたことを発表した演説からの通算で、3本目の演説ということになる。ちなみに、最初の作品である3月の演説は、自身と現在の自称カリフ(3代目)のアブー・ハサン・ハーシミー・クラシーが、各々その地位に就いたことを発表する演説で、アメリカが先代の自称カリフ(2代目)のアブー・イブラーヒーム・ハーシミー・クラシーの殺害を発表してから1カ月ほどを経て2代目の自称カリフの死亡を発表したものだ。演説は、2代目の自称カリフの殺害後、「イスラーム国」が迅速に後任を選任したと主張する、2代目の自称カリフの死亡したことと後任が決まったことの発表に時間がかかったことをごまかしたり、釈明したりするかのようなつまらない内容だった。2本目の作品は4月に発表されたが、こちらは先代の自称カリフと報道官のための復讐攻勢の開始を宣言するものだった。攻勢の結果、グラフを書いてみるとどん底状態だった「イスラーム国」の戦果発表の低迷状態に、ごく低い山を作る程度に同派の戦果発表が増加した。

 もっとも、3代目の自称カリフ(こちらは「イスラーム国」の構成員や世界中のファンや視聴者に対し公式に姿を現していない)と報道官の就任後、「イスラーム国」の広報はちょっとだけ変調した。ここ数年、「イスラーム国」の諸州は祝祭の折の食事風景を熱心に発信してきたが、これが新しい自称カリフと報道官の下、ほとんど発信されなくなってしまったのだ。「イスラーム国」の諸州の食事風景は、各々の州の兵站能力や勢力を知る上で貴重な情報源だったし、政治的・社会的に全くと言っていいほど無意味になり下がった「イスラーム国」の声明類を毎日眺めさせられる側としてはわずかな楽しみともいえるものだった。こうして、現在の「イスラーム国」の広報は、もうそれがどこなのか考えることの意味すらなくしつつある場所でのつまらない戦果と、それを誇るスプラッター映像・画像の連続となった。

 そんな中で報道官がおよそ36分にわたりご高説をたれる演説に、何か見るべき点はあっただろうか。冒頭、現在「イスラーム国」が順調に戦果を上げている西アフリカ州、中央アフリカ州での刑務所襲撃と囚人解放を強調し、今後も囚人解放のため刑務所を優先的な攻撃対象にすると主張した。また、アジアではフィリピン、シンガポール、マレーシア、インドネシア、インド、ベンガル、パキスタンを挙げて、ムスリムに「イスラーム国」に合流するよう呼びかけた。シンガポールは海上交通の要衝であり、同国の当局は「イスラーム国」やその共鳴者・模倣者が近隣を往来する船舶を何かの手段で攻撃することを非常に警戒しているので、シンガポールで「イスラーム国」の仲間が現れた場合、そこそこの騒ぎになるだろう。

 その一方で、今般の報道官の演説で際立ったのは、「イスラーム国」の独善と孤立ぶりである。同派にとっては、ムスリムの為政者も、既存の政治体制の中で活動するイスラーム主義団体も、アル=カーイダやターリバーンやパレスチナの抵抗運動諸派も、全てイスラームを正しく信仰・実践しないダメな連中である。当然ながら、イスラーム共同体の中で外敵と闘い続けている主体は「イスラーム国」しかない。また、ムスリムは信仰・実践も思考・行動様式も、「イスラーム国」の言うそれに全面的に従属させる客体に過ぎない。現実の問題として、「イスラーム国」も現世的な力の優劣や損得を十分考慮して攻撃対象を選択している。そういう「大人の事情」でイスラエルには「攻撃するふり」しかしていない自らの惨状を無視し、公式報道官は「パレスチナの諸派はユダヤがユダヤであるが故に戦うのではなく、ユダヤが占領者だから戦うと言う。これは、アッラーのためではなく土地のために戦っているということだ」と述べてハマースやPIJなどのパレスチナ諸派をこき下ろし、「イスラーム国」は、ユダヤがユダヤであるが故に闘うと主張した。この主張こそが、今般の演説から唯一学ぶべき点と思われる。つまり、「イスラーム国」は敵が「異教徒か背教者である」からこそそれと闘うのであって、闘いにほかの理由はいらないということだ。かつて「イスラーム国」により邦人が死傷する事件が多数発生したが、その際に被害者の属性や所属、折々の日本政府や社会の振る舞いを、被害の原因を説明する理由として論ってもほとんど意味がないということだ。「イスラーム国」にとって、これらは、あくまで短期的な広報に利用するネタにすぎず、攻撃対象の選択を説明する根本的な原因は、「それが異教徒だから」以外に存在しない。コーランの章句を魔よけのおまじないの様に少々暗記してみたところで、それは「イスラーム国」が最も忌み嫌う「偽信者」の行為に過ぎないので、そうした行為は御利益どころか災厄をもたらすことになるだろう。

 残念なことだが、現世的な力の優劣や治安状況により、「イスラーム国」をはじめとするイスラーム過激派による邦人権益への攻撃は数年周期で発生している。今般の演説で、報道官が「イスラーム国」が闘う理由(=それは相手が異教徒だから)を表明したことは、今後も被害回避のための努力を怠ってはならないことと、「イスラーム国」の「思想」とやらについての余計な著述は必要ないということを教えてくれたと言える。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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