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アル=カーイダ総司令部がワールドカップ・カタール大会のボイコットを呼びかけ

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 アラビア半島のアル=カーイダに続き、2022年11月20日未明にアル=カーイダ総司令部名義でワールドカップ・カタール大会について論じる声明が出回った。声明は、先日のアラビア半島のアル=カーイダの作品と同じような論旨で、ワールドカップをアラビア半島やイスラームに対する十字軍・シオニストによる戦争・侵攻と認識している。大会は単なるスポーツ競技ではなく、ムスリムの道徳や信条を標的とする思想戦争と位置付けられる。また、大会開催により異教徒やゲイがイスラームの核心ともいえるアラビア半島に踏み込むことを許すと非難している。

 この種の声明は、ちょっと眺めるだけでも頭痛がするような単語・表現の連続で心身の健康に良くないことは間違いないのだが、そこから今般の大会やその関係者のような、イスラーム過激派の槍玉にあげられた対象、ひいては日本の諸権益の安寧に対する脅威の程度を判断し、必要な措置をとらなくてはならない。声明類を眺めるときの主な着眼点は、「誰、何を非難の対象にしているのか」、「どのような脅迫・予告・扇動・教唆をしているのか」、「声明の発表者に何かの行動を起こしたり、大きな社会的反響をよんだりする実力や名声がどのくらいあるのか」といったところだろう。三番目に挙げた発表者の実力や名声は、問題となる声明だけを見ていてもどうしようもないので、様々な主体を長期間観察して、個々の声明発表者の実力・名声・信憑性を判断するしかない。

 今般の声明では、サッカーのワールドカップとそれを誘致したカタールの体制が主な非難の対象である。その一方で、近隣のサウジ、UAE、バハレーンの王家も、娯楽などを通じてイスラームの道徳や信条の解体を競い合う者たちとしてカタールと同様に槍玉にあげられている。それでは、声明はこれらの非難の対象に具体的な行動をとると予告や扇動をしているだろうか。このような状況で例えば「ワールドカップの競技場や関連施設、外国人の集団は正当な攻撃対象なので、ムスリムはこれらに近づかないこと」などの表現があればそれこそ大ごとになるが、今般の声明には、アル=カーイダ自身が攻撃をかけるといった趣旨の文言は出てこない。アラビア半島、特にカタールのムスリムに向けて、大会をボイコットし、これに警告を発しなくてはならないと呼びかけた。アル=カーイダは、可能な者は手(=暴力)で、それができない者は舌(=言論)で、それもできない者は心の中でジハードを行うべしとの古典的な言い回しで、「心の中でのジハード」の呼びかけに重点を置いた。

 さらに問題となるのは、現在のアル=カーイダ総司令部に自ら何か攻撃を企画・実行したり、人々に行動を促したりするような実力や名声や信頼性があるかという点だ。アル=カーイダ総司令部は、これまでもビン・ラーディンの「殉教」とザワーヒリーの指導者選出のような重要事項を発表していたし、今般の声明が出回った経路も信頼すべきものだ。しかし、現在アル=カーイダ総司令部がやるべきことは、2022年8月にアメリカが殺害したと発表したザワーヒリーの生死について何か発信することだ。同人が生きているならばそれを証明するような作品を発信すべきだし、死亡したならしたでそれを公表してアル=カーイダの次の指導者を決めないと、世界各地のアル=カーイダの系列団体とその構成員、ひいてはアル=カーイダの支持者やファンの士気を大いに損なうだろう。このような重要事項の沈黙を決め込む者たちの呼びかけや扇動が、支持者やファンにどれほど訴求力があるだろうか?

 アラビア半島のアル=カーイダ、そして今般のアル=カーイダ総司令部が、ワールドカップ大会をアラビア半島の各国が進める文化的・宗教的な規制緩和と開放政策の一環として非難し、警戒やボイコットを呼びかけたことは、それだけでもそこそこ重要なことだ。しかし、現状に鑑みると、アル=カーイダ自身が何か行動を起こしたり、どこかの誰かが同派に呼応して決起したりする可能性については、「それなり」程度でしかないように思われる。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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