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ワールドカップ・カタール大会:サッカーは諸人民のアヘンである!?

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 FIFAワールドカップ・カタール大会を控え、大会やその周囲の状況を熱心に観察するのは何もサッカーファンや出場国を応援する人々、大会を運営したりそこから経済的な利益を期待したりする人々だけではない。というのも、スポーツなど世界規模で選手・運営関係者・観客を動員する催事には、いつでも「テロの標的となる」可能性が付きまとい(或いはそうなると信じられ)、その結果開催地はもちろん、選手を派遣したり、大勢の観客がそこに出向くことが予想されたりする各国の当局、そして「テロ組織」を殲滅すべく日夜務める機関は、世の中の楽しい雰囲気とは全く別の心境でこれらの催事とそれについて発信される情報を眺めることとなる。イスラーム過激派関連でも、サッカーのワールドカップ・ロシア大会や、リオデジャネイロ・オリンピックについて、これを脅迫したり揶揄(もちろん「イスラーム過激派のファン流のやり方で」)したりする作品がたくさん発信された。カタール大会についても「当然なんか出てくる」というのが大前提なのだが、開催地がアラビア半島の一角だけに、「老舗」のアラビア半島のアル=カーイダが大会について論じる声明を発表した。

 声明によると、ワールドカップ大会はアッラーの恩寵に浴し預言者や啓典を委ねられたアラビア半島に堕落と反イスラームをもちこむものである。しかも、サウジやUAEのようなアラビア半島の為政者共は、口ではイスラーム教徒と称し、アラブを名乗るものの、実態はこれらのいずれとも無縁で、それどころかアラビア半島にキリスト教の教会を建設したり、アメリカ軍の基地を設置させたりして、アラビア半島に害悪を広めることで競っている。中でも、大会開催地のカタールについては、「国家もどき(注:イスラーム過激派の論理では、中東の国のいくつかは「国家」とみなしてもらえない)カタール」は、教会の建設許可や地域最大のアメリカ空軍基地の設置で(周辺諸国の為政者に)先駆けている。さらに、「国家もどきカタール」は、ワールドカップ招致やその宣伝のために数千億ドルの資源を浪費し、本来は数百万の飢えたムスリムや、シャーム、イエメン、ビルマ、アフリカで住処を追われたムスリムに向けるべき関心や資源をよそに逸らしてしまった。

 さらに、声明いわく、FIFAワールドカップ大会は世の中で最も堕落した催事であり、宗教的・道徳的な悪事と堕落、不信仰をアラビア半島に持ち込むものだ。しかも、サッカーの試合はムスリムの関心を、本来の重要事項であるイスラームの地や聖地に対する占領や攻撃から逸らすためにユダヤや暴君が用いる道具である。かくして、アラビア半島のアル=カーイダは、「かつて、“サッカーは諸人民のアヘンである”と言われていた」とのたまうのである。

 「サッカーは諸人民のアヘンである」との言い回し、元ネタはもちろんカール・マルクスのお言葉「宗教は諸人民のアヘンである」だ。イスラーム過激派の老舗であるアラビア半島のアル=カーイダの声明作家が、彼らにとっては唾棄すべき存在の共産主義者の言葉から作文のネタどりをするのはいかにもばかばかしいことだが、それでもこの声明からはアラビア半島のアル=カーイダがワールドカップ・カタール大会を忌々しく思っていることだけはよくわかる。問題は、この声明に具体的な攻撃予告や扇動が含まれているのか、声明によって大会や関係者だけでなく、世界各地に存在するアル=カーイダに敵視される対象の安寧が脅かされるかどうかだ。アル=カーイダが本件について声明を発表したというだけで、真剣に身構えなくてはならないことは間違いない。特に、アル=カーイダや「イスラーム国」の真似事をして自己顕示をしたい者がたくさんいると思われるヨーロッパ諸国において、理由はともかくパブリックビューイングを控える動きが広がっていることはある意味対策を先取りしたと言える。

 それでは、アラビア半島のアル=カーイダが今般の声明で攻撃について具体的な予告・扇動・教唆をしたのか、と言えば、実はそうでもない。声明はムスリム同胞に対し、大会への参加や応援に警告し、大会を忌避するよう呼びかけた。また、宗教知識人や思想家全般に対し、この大会への警告を発するよう呼びかけた。要するに、声明は大会をボイコットせよとか、攻撃せよとかの具体的な脅威となるような教唆・扇動をしていないということだ。アラブやムスリム人民にとってもサッカーは人気のスポーツであり、そのワールドカップとなれば一般の人々にとっては楽しみな催事であることは間違いない。イスラーム過激派といえども、一般の人々からの人気は自らの資源調達の成否に直結する重要な問題であるため、気に入らない対象を教条主義的に攻撃していればいい、というわけではない。今般の大会だけでなくサッカーの試合の害悪について散々論じた上で、具体的な行動についてあんまりパッとしないことしか言えないのは、そのあたりの事情を勘案してのことだろう。現実の問題としては、イスラーム過激派の構成員やファンの中にも、今次大会の結果や試合の中継を眺めて過ごす者が案外多いような気がする。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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