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シリア:深刻な経済危機を人民はどう暮らすか

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2021年4月15日、シリア中央銀行はシリア・ポンド(SP)のアメリカ・ドルに対する交換比率を1ドル=2512SPに変更した。これまでは1ドル=1256SPが公定相場だったため、一挙におよそ半分に切り下げたことになる。もっとも、経済危機が深刻化した昨今では、闇相場が1ドル=5000SPに迫ろうとしていたようだから、中央銀行の措置は依然として実態を反映したものとは言えない。紛争勃発前は1ドルがおよそ50SPだったので、単純に考えればSPでしか所得を得ていないシリア人の購買力はこの10年間で100分の1になってしまった。

 シリアの経済危機と人民の生活水準の低下に拍車をかけるのは、仮に復旧・復興に望ましい環境が整ったとしてもその中で働く人手が足りないことだ。紛争の結果、逃亡や移住・避難で人口の多くが流出した。特に、青・壮年の男性の中には兵役を嫌って逃亡した者も多いため、今後も彼らがすんなり帰国して復旧・復興のための働き手となることは容易ではない。また、紛争で死亡したり深刻な負傷をしたりした者たちの家族が、働き手や生業を失った状態で多数取り残されている。そうなると、本格的な復興事業ではない一時的な家計支援策としてでも、資本や労働力をなるべくかけないで収入を得る事業を企画して、普及させることが不可欠となる。経済封鎖下の深刻なモノ不足の中でも実現可能な事業として当局が推進しているのが、家庭でのヒラタケの栽培である。そのヒラタケの栽培事業、実験や従事者の研修の段階から、実際の栽培段階に移ってきたようだ。2021年4月16日付シリア・アラブ通信(SANA)は、シリア中部のハマ県サラミーヤの女性が自宅でヒラタケ栽培事業に乗り出した旨報じた。

 記事によると、ヒラタケ栽培は自宅の一角で、安価に入手できる栽培機材を用い、20日程度の栽培期間で収穫が得られることがこの事業の利点である。実際に栽培を始めた女性によると、必要な初期費用は1000SP未満だったそうだ。家庭内での自給だけでなく市場で売って所得を得られるまでに収穫量を拡大することも可能であるそうで、ヒラタケは栄養価に優れ、内外の市場で需要が見込まれるそうだ。しかし、このヒラタケ栽培事業、そんなに容易で確実な事業と思われない不安材料もありそうだ。ヒラタケを栽培するためには、栽培する部屋の気温や湿度を一定の条件に保つことが必要である。となると、現在電力や燃料の供給状況が非常に悪いシリアにおいて、栽培条件を満たすような気温や湿度の管理ができる家庭がどのくらいあるだろうか?ヒラタケ栽培は地方の家計支援のための事業として進められているのだが、電力供給は地方においてより深刻な状況にある。また、各家庭が栽培に成功したとして、その収穫物が実際に市場に出回ったり、加工・輸出へと展開したりするかについては、ヒラタケ栽培事業の計画がSANAで報じられるようになって以来、実例として報じられるに至っていない。シリアの社会・経済事情についての情報収集や、シリア人民の生活水準についての調査は、明るい材料が乏しい憂鬱な作業なのだが、そのような作業を少しでも前向きな気持ちで行うためにも、地方の家庭でのヒラタケ栽培が本当に事業として成り立つのか、収穫されたヒラタケが実際に市場に出回るかについてはしばらく観察してみようと思う。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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