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レバノン:想定通り(?)迷走する新内閣組閣

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:アフロ)

 2020年8月初頭のベイルート港での爆発事件を機に、レバノンの政治・社会・経済の危機が一層深刻化した。レバノンの様々な危機は、もとをただせば同国の独立以来続いてきた政治的権益の分配の手法と、それよりも長い歴史を持つ地域のボスによる共同体支配の伝統に根ざすものだ。最近では、こうした政治・社会の運営に対する不満が高まり、抗議行動にも発展している。さらに、ベイルート港の爆発事件後にフランスのマクロン大統領が「レバノン支援」に積極的に乗り出し、事件後の復旧・復興支援を「人質」にとるかのようにして、レバノンの政治エリートたちに「改革」を迫った。

 フランスの要求は、「有能かつ政治的に独立な」閣僚による組閣、汚職対策、(政治)改革の開始、電力・通信・金融部門の再編、銀行部門の情報開示などで、これに応える新内閣を早期に発足させることも要求した。マクロン大統領は8月の爆発事件後2度にわたりレバノンを訪問し、現地の政治指導者らと協議を重ねてきたが、これを通じ新内閣の組閣の目途は2020年9月15日と考えられていた。しかし、本稿執筆時点(2020年9月21日)で、新内閣は発足していない。

 フランスがレバノンの「改革」のために出した要求や、組閣の期限の設定のような行為は、同国がレバノンの「旧宗主国」であろうがなかろうが、常識はずれの内政干渉にも見える。しかし、レバノンの政治エリートたちは爆発事件からの復旧・復興や現在の経済危機を脱却するための支援を「人質」にとられた状態でマクロン大統領に迎合し、同国の政治の運営としては異例の速さでムスタファー・アディーブ駐ドイツ大使を新首相に指名した。しかし、ここまではあくまでレバノンの政治エリートがその場しのぎでマクロン大統領に迎合しただけで、実際の改革はフランスが要求した速度や程度では達成できないだろうとの見通しは、当初から、しかもフランの外交筋の間でも根強かったらしい。

 ここまでの組閣の遅れについて、レバノンの政界や報道では一部政治勢力が特定の閣僚ポストにこだわっているからだとの批判が出ている。これを「宗派対立」と評する見方もあるが、ここでいう「宗派」とはレバノンの政治体制の中で「政治的権益を分配する単位」となった集団のことを指すのであり、宗教・宗派の信者たちがその教義や世界観を巡って対立しているのではない。また、一部政治勢力の閣僚ポスト要求を批判する側にしても、自分たちが享受してきた既得権益を手放すことは容易ではないから、組閣協議が紛糾しているのはレバノンの政界ぐるみの茶番劇ともいえる。レバノンの政界は、従来の政治体制の下で全会一致を重視するあまり、重要な事項について迅速な決定をする能力を喪失している。かつて、このような紛糾した場面ではレバノンを実質的に支配していたシリアが干渉し、最終的な決定を下していた。しかし、現在はそのような役割は期待しようもないし、フランスにしてもレバノン政界の紛糾に「裁定」を下す手間を負いたくはないようだ。シリアにとっては、国際的な非難を受けてもレバノンを支配するだけの価値があったが、フランスにとってレバノンにそこまでの価値はない。レバノンの政治的決定に関する「裁定」を下すということはきれいごとだけでは済まず、それに従わない者を文字通り「消す」意思と能力と実績が必要なのだが、この種の汚れ仕事は誰にとっても面倒なことだ。

 さらに面倒なことに、新内閣でポストの獲得を望む者たちがフランスにすり寄り始めているようだ。つまり、「宗派体制」と呼ばれるレバノンの政治的権益分配の慣行を抜本的に改める(これはものすごく困難)ことができない状態でレバノンの政治に影響力を行使しようとすれば、現在問題となっている汚職や政治腐敗を改善するどころか、フランスに阿る新たな腐敗を積み重ねる結果に終わりかねないのである。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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