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新型コロナウイルスにまつわるはかばかしくない話

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 中東諸国やそこで暮らす人々にとって、中国発の新型コロナウイルスの問題は外部から持ち込まれるかもしれない厄介ごとに過ぎなかった。このような認識に基づき、各国はいわゆる水際対策で事態に対処しようとし、現地の社会では中国人だけでなく、外見上区別しにくい東アジア系の人々に対する差別や嫌がらせが事件化したこともあった。

 しかし、水際対策や「異国での人ごと」との認識はまもなく立ち行かなくなり、中東の多くの国の市中で多数の感染者が出るに至った。そうなると、地元の人々にも新型コロナウイルスに感染した死者が出ることになるが、一部で、死者の埋葬を拒否する住民と官憲との摩擦が暴力沙汰や逮捕に発展するようになった。筆者が知る限り、このような対立はエジプト、チュニジア、イラクで発生している。各国の当局は、遺体、埋葬地、車両などを適切に消毒すれば、遺体から新型コロナウイルスが伝染することはないとの立場であるが、そうした説明に納得しない者が少なからずいたということだ。

イスラームでの埋葬と伝染病

 遺体からの伝染病の拡大を防ぐ手立てとして考えらえるのは火葬であるが、問題は簡単ではない。イスラームでは、コーランの章句(=神からの啓示)や預言者ムハンマドの慣行に基づき、火葬は禁止、すなわち葬法は土葬と定められている。火葬は、火を用いて人間を責めることは、来世でアッラーだけがすることであるとの認識に基づき忌避されている。このため、新型コロナウイルスによる死者の埋葬についても、アラブ諸国の「宗教的権威」の間では火葬は許されないとの見解が主流のようだ。もちろん、火葬が許される例外的局面に関する見解もあるのだが、現在の状況がこれに該当するとは限らないようだ。新型コロナウイルスによる死者を火葬することは許されないという見解は、シーア派の間でも同様の模様だ。

 新型コロナウイルスの蔓延以前にも、伝染病による死者の火葬が許されるかという問題は浮上していた。患者や遺体との接触が極めて危険な感染経路だったエボラウイルスが流行した時が、その例だ。この時は、2017年に「火葬は許される」との趣旨の宗教的見解が、論争を招いた。ここまで読むと、ムスリムや中東の人々は宗教の啓典に字義通りしたがって融通が利かず、差別やいじめに走りがちな人々のように見えてしまうかもしれない。しかし、現実と啓典の解釈との間に均衡を見出そうとする努力として「宗教的権威」と呼ばれる学者や機関が存在するわけで、なにがしかの論理的な決着が得られることと、新型コロナウイルスの蔓延がムスリムでも火葬せざるを得なくなる前に収束することが望まれる。

 なお、読者諸賢の中には2015年2月に「イスラーム国」が捕獲したヨルダン軍のパイロットを焼き殺した動画を発表し、それに少なからぬムスリムが喝采した事件をご記憶の方もおられるだろう。この事件は、上述の火葬や火を用いた責め苦についてのイスラームの主流の解釈や実践と著しく異なる事件である。筆者としては、この事件に代表される「イスラーム国」の思考・行動様式は、啓典などの基礎的な典拠をご都合主義的に解釈する「イスラーム国」のダメさ加減を示すとともに、だからこそ同派とその支持者・ファンには堅気のムスリムが先頭に立って対峙すべきであることを示す事例と考える。

日本でも生じうるムスリムの埋葬問題

 新型コロナウイルスに感染したムスリムが亡くなった場合どうするか、という問題は、日本でも生じうる問題である。先人たちの大きな努力により、死者のほぼ100%が火葬される現代の日本にもムスリム墓地がいくつか存在する。一方、新型コロナウイルスのような疫病で亡くなった人々は、疫病の蔓延防止のため遺族との別れも葬儀もできないまま火葬される旨、様々な媒体で広く伝えられている。つまり、ムスリムの葬送と日本の葬送・公衆衛生政策との間には看過し難い齟齬があるようにも見える。現在の状況に鑑み、この問題を「話題にしたり、報道に載せたりしない」という対応や、きれいごとや教科書的論理としての「共存・寛容」を唱えることで乗り切るのが難しい局面が訪れるかもしれない。当事者のいずれかのちょっとした言動で深刻な対立を招きかねない問題のように思われるだけに、改めて新型コロナウイルスの蔓延が「そこまで」深刻化しないことを願ってやまない。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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