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<ガンバ大阪・定期便79>大ケガを乗り越え、塚元大が約2年ぶりに公式戦出場。始まりの約10分間。

高村美砂フリーランス・スポーツライター
ホームサポーターの声援も味方に自信を持ってピッチに立った。写真提供️/ガンバ大阪

 塚元大にとっては約2年ぶりの公式戦出場となったJ1リーグ30節・名古屋グランパス戦。試合前からパナソニックスタジアム吹田に轟く声に心が震えていた。

「ウォーミングアップルームで準備していた時からサポーターの皆さんの応援が聞こえてきて、鳥肌が立っていました」

 それでも、ピッチでのウォーミングアップが始まった時には気持ちも落ち着き、集中できていたという。スタンドからの圧がプレッシャーになることもなく、緊張もなく、ピッチに立つ自分をイメージしながらウォーミングアップに汗を流し、試合が始まってからは、戦況を見守りつつチームのために自分がすべきこと、やりたいプレーの両方を描いて『その時』を待った。26分にセットプレーから得点を許してしまったことで、より強固になった名古屋の守備をいかに攻略するべきかもイメージしながら、だ。

「前半から名古屋があまり(前に)出てこなかったので、自分としては相性的にやりやすそうだなと感じていたし、僕の特徴、持ち味を考えても、外に張るより中に入っていった方が活きるだろうなと思っていました。ポヤトス監督にも『ジェバリが落ちたらそこのスペースが空く。そんなふうに誰がどう動いたら、どこにスペースが生まれるのかを感じながらプレーしろ』と言われていたので、うまくスペースを見つけながら(中に)入っていければいいなと思っていました」

■2度の右膝半月板断裂。『1段』に何歩もかけて我慢強く向き合ってきたリハビリの日々。

 昨年、成長を求めてツエーゲン金沢に期限付き移籍をした塚元だったが、始動から間もない1月末の練習試合で右膝半月板断裂の重傷を負った。さらに、戦列復帰が間近に迫った8月にも同箇所を再断裂。ガンバに復帰した今シーズンはそのリハビリからのスタートになった。

「1回目の受傷も環境を変えるチャレンジをした矢先で、かなり悔しかったんですけど、そのときは明らかに相手選手と接触したという理由があったんです。でも、2回目は練習中にめっちゃスピードが出ていたわけでもないのに、いつもの感覚で足を着いたら『なんか痛いな〜』となり、翌日にMRIを撮ったら断裂していた。そういう意味ではあまりに呆気なさ過ぎて、どうすればケガをしなくて済んだのかわからないような状態で…。今はまだ、復帰しても同じことが起きるんじゃないかという不安が拭いきれていません」

 今年1月、沖縄キャンプ中に聞いた言葉だ。それでも、その時点ですでに2度目の手術から約4ヶ月が経過していたこともあり「あと3ヶ月くらいで復帰できたらいいんですが…」と話していたが、現実は厳しく、結果的に彼はその倍以上の時間をリハビリに費やすことになる。田中雄太フィジオセラピスト(PT)によれば術後の痛みがなかなか拭えなかったことが時間を要した理由だという。

「僕が大(塚元)のリハビリを預かった今年1月の段階で、本人が痛みを感じている箇所が非常に多かったんです。沖縄キャンプの時も、タッチラインからタッチラインまでを1本、ジョギングしただけで2〜3日は痛みが出て走れなくなってしまうような状態でした。これは彼がアカデミー時代からグロインペイン症候群(股関節痛)に悩まされていて、体の左右のバランスを大きく崩していたことも影響したというか。だからこそ、リハビリでは単に膝を良くするだけではなく、体のバランスを整えるアプローチが必要になりました。というより体のバランスを整えない限り、膝の痛みは良くなっていかないと判断したという表現の方が正しいです。それもあって『階段を1段ずつ登る』というより、1段を何歩もかけて登っていくような感覚で、本当にちょっとずつ、ちょっとずつできることを増やしていきました(田中PT)」

 その田中PTに「前日と同じメニューに取り組んで痛みが出なければ進歩だ」と言われるほど、細かいメニューを辛抱強く積み重ねたリハビリが、ようやく中期段階に突入したのは4月に入ってから。とはいえ、復帰が明確に見えてきたらきたで、逆に初期段階にはなかった焦りや不安に苛まれることも増え「僕の復帰のためにいろんな人が力を貸してくれていることを頭では理解しながらも、気持ちをコントロールするのが難しい日もあった」と塚元。それでも家族や近しい友人に支えられながらその期間を乗り切ると、6月半ばには吉道公一朗フィジカルコーチのもとでのリハビリをスタートさせる。約2週間後、7月上旬に部分合流にたどり着いた時には、最初の受傷から約1年半が過ぎていた。

「スクワット1つとっても『膝の角度が2度、内側に入っている』とか『足を着くときにどこに体重を乗せて、この向きを心掛けよう』とか。僅かなフォームの乱れさえ見逃さないという感じで、田中PTにいろんなことを細かく指摘してもらいながら復帰を目指せたこと。日々、自分の体の状態に耳を傾け、それをきちんと言葉にしてトレーナーに伝えるとか、自分の行動に繋げることを覚えながら体を作り直してきたこともあって、復帰した今は感覚的にはケガをする前の自分より動けているんじゃないかと思っています。何より自分にとっては、片足でのジャンプテストなどの筋力測定をした時の数字の左右差がほぼなくなってきたのもすごく大きい。実際、ケガをする前は…おそらくはアカデミー時代から積み重なってきたいろんなケガの影響で、実は右は左の3分の2くらいしか筋力がなかったんです。でも今はほぼ、同じくらいの筋力がついたというか。ケガをしていない左足の筋力を100%として右足の筋力が95%以上になったら復帰していいと言われていたんですけど、それをしっかりクリアして部分合流できたのも自信になっています。まだ完全合流はしていませんが、以前に感じていたような『また同じケガをするんじゃないか』という不安も自然と消えていました」

部分合流後「みんなとサッカーができるだけで幸せ」という言葉に長く孤独な戦いの日々が滲んだ。写真提供️/ガンバ大阪
部分合流後「みんなとサッカーができるだけで幸せ」という言葉に長く孤独な戦いの日々が滲んだ。写真提供️/ガンバ大阪

 その時点での目標を尋ねると「これまでも目の前の小さな目標を着実にクリアしてきて今の自分があるから」と、まずは『完全合流』とパナソニックスタジアム吹田のピッチに立つことの2つを挙げていたのを覚えている。

「僕はコロナ禍の20年にプロキャリアをスタートしたので、J1リーグの試合に出してもらった時はまだ無観客試合とか、手拍子だけの応援でのプレーだったんです。それだけに早くパナスタのピッチで、ガンバサポーターの皆さんの声援のもとでプレーしたい。今年に入って声出し応援が100%解禁されたパナスタで応援の凄さ、スタジアムの迫力を目の当たりにして、改めてそう思いました。あの中でプレーできたらめちゃめちゃ幸せやろうなって。長いリハビリを近くで支えてくれた両親をはじめ、身近な人たち、メディカルスタッフの皆さん、いろんなサポートをしていただいたクラブにも1日も早くその姿を見せたいです」

■約2年ぶりのJ1リーグ。プロになって初めて『声』の戻ったパナスタで噛み締めた幸せ

 そんな決意を聞いてから約3ヶ月。冒頭に書いた名古屋戦で塚元は途中出場ながらその目標を実現する。試合前日、ポヤトス監督が話した「キャリア、ステイタス、功績に関係なく、今のパフォーマンスを見て、いいと思う選手を起用する」という言葉に照らし合わせても、彼がメンバー入りをするにふさわしいパフォーマンスを続けていたのは紛れもない事実で、だから71分にピッチに立つ際も『自信』を持って臨めたのだろう。

「ここまで、準備のところで、練習で100%を出し切るのは当たり前とした上で、食事だったり、ケガをしないためのケアだったり、できることは全部やってきたという実感があったし、それがすごく自信にもなっていました。公開で行われた中断期間最後の練習試合、14日の鈴鹿ポイントゲッターズとの練習試合だけではなく、公開にはなっていなかった練習試合や紅白戦でも継続的にゴールを決められていたのも…自分の実力がどうこうというより、運みたいなものが自分に来ているんじゃないかっていうのも感じていました」

 そして、出場から10分後の81分。塚元は大きなチャンスを迎える。

 イッサム・ジェバリのパスを受けると、ワンタッチで宇佐美貴史に落とし、前線へ。その宇佐美が、細かいボールタッチでタイミングを図り、再び、塚元の利き足の前に優しいパスを通すと、それを受けた彼はペナルティマーク付近から右足を振り抜く。息の合った、流れるような一連の崩しにゴールを確信したが、シュートは相手DFとGKの好守に阻まれてゴールネットを揺らすことはできなかった。

「決めたかったです。前半は少しチームとして攻撃の『幅』を作れずに中よりの攻撃が多くなってボールを失ってしまうシーンもあったので、サイドで幅を作ることは心がけながら、でも、監督に言われていた通り、スペースがあったらそこに入っていこうと思っていました。あのシーンも自分としてはボールを落とした後、前にスペースがあるのが見えたので動き出しましたが、本当にそこに宇佐美くんからボールが入ってきた時はすごいなって思いました。でも結局、その素晴らしいパスを僕はゴールに繋げられなかったので。決められたかどうかで評価される世界だけに悔しいし、もっと突き詰めてやっていくしかないと思っています」

 それでも「楽しかった」とも言葉を続けた。

「アカデミー時代から聞いてきた応援を、ピッチで聞きながらプレーできたのはすごく感慨深かったです。結果的にチャンスで決めきれなかったし、課題だらけですけど、部分合流をした時からまずは公式戦のピッチに戻ることを目標にしてきたからこそ、それが実現できたことに対して一旦、自分を褒めてあげようと思っています。また、点を取るためにはチャンス自体を作り出すことが大事になる。今日は1回しか作れなかったので、とにかくその数を増やしていこうと思います」

復帰後はピッチ外でも「やれることは全部やった」と塚元。その自信を力に変えた。写真提供️/ガンバ大阪
復帰後はピッチ外でも「やれることは全部やった」と塚元。その自信を力に変えた。写真提供️/ガンバ大阪

 この世界では、放ったシュートがゴールを捉えられなかった時、「惜しかった」「(運を)持っていなかった」などと評されることが多い。わずか、数センチ、数ミリ、シュートコースがずれていれば、相手DFの足に当たらなかったのに、相手GKに触られなかったのに。ゴールが決まったのにーー。今回の塚元のシュートをそう振り返った人も多かったことだろう。

 だが、選手自身はどうだろうか。彼らにとってはその一本が後のキャリアを大きく変えることもあるのがプロの世界だ。それを知っているから、この日の塚元もまた必死になって長いリハビリと向き合い、全身全霊を注いでピッチに立ったのだろう。彼の長いリハビリ生活を支えた一人、田中PTの言葉を聞いてもそう確信している。

「復帰してからは、いくつか練習試合も戦ってきていた中で、彼の復帰戦を特別な目で見ていたということはなかったです。リハビリ期間を通じて、基本的なことは自分でしっかりできるようになったはずだし、それは復帰してからの彼の姿を見ていればわかります。実際、ずっとクラブハウスにいるんじゃないかってくらい、大(塚元)が毎日、自分の体のケアに多くの時間をかけていることは僕に限らずたくさんの人が見てきました(田中PT)」

 であればこそ、あの一本を決められなかった事実に、塚元はきっと「惜しい」以上の途轍もない悔しさを感じ、「持っていなかった」以上の後悔を潜ませていることだろう。だが、一方で、彼が復帰に際して設定していた目標をまた1つクリアしたのは紛れもない事実だ。そしてこの約10分間が、次なる目標に向かう始まりになったということも。

「最後にJ1リーグに出場したのは2年くらい前でしたけど、当時に比べたらフィジカル的にもだいぶ余裕ができたなってことは短い時間でも感じられたし、サッカーはできなかったとはいえケガをしていた間にやってきたことは間違っていなかったと確認できた。これからも毎日をしっかり積み重ねてやっていこうと思います」

 そんな塚元に、田中PTは試合後、一言だけ声を掛けたと聞く。

「あの一発に全てを懸けてきたのがわかるだけに、なんとなく惜しかったなとは言えず、(右足は)問題ないか? とだけ尋ねました」

 そんなサポートスタッフの想いを力に、悔しさは身の肥やしにして、塚元は再びあの一本を「決める」ために牙を剥く。決められなかったのなら決められるまで戦い続ける。

 その繰り返しの先に待つのは、きっとゴールだ。

フリーランス・スポーツライター

雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。著書『ガンバ大阪30年のものがたり』。

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