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<ガンバ大阪・定期便21>2021年レビュー①/外国籍選手に寄り添い続けた通訳たちの戦い。

高村美砂フリーランス・スポーツライター
外国籍選手を陰で支えた木村正樹(左)と李聖仁。 写真提供/ガンバ大阪

 パトリックが14年以来、2度目の『ハットトリック』で逆転勝利に貢献した35節・大分トリニータ戦後、14年からブラジル人選手の通訳を務めてきた木村正樹は自分のことのように彼の偉業を喜んでいた。今シーズンもチームと一心同体で戦ってきたことを象徴する姿だった。

「パト(パトリック)とは14年から一緒に仕事をしていますが、彼は追い込まれてからが強いというか、窮地に立たされた時こそより力を発揮する選手。実際、彼にとっての今シーズンは決して簡単じゃなかったと思うんです。同じ攻撃的なポジションにレアンドロ(ペレイラ)、チアゴ(アウベス)、ウェリントン(シウバ)という3人のブラジル人が加入したし、3人の韓国人選手を含めた7人で外国人枠を争う状況でしたから。それでも、パト自身は昨年終盤に力を発揮できたことに自信を持ちながら、競争が激しくなる中でもより一層日々のトレーニングや体のケアに気を遣い、監督からの要望にもポジティブにチャレンジを続けていたし、僕も『パトの力がガンバには必要だ。やっていることは間違いないからこのまま頑張ろう』と声を掛け続けてきました。ただ、そうは言ってもコンスタントに試合に絡めない時期は思うところもあったはずで…その中でもがく姿も見てきたからこそ、チームが苦しい時にハットトリックという素晴らしい結果を残してくれたことがすごく嬉しい。また彼に限らずみんながそれぞれに苦しい思いをしながら戦ってきたシーズンだったと考えてもJ1残留を決められたことにもホッとしたというか…ガンバの歴史を思えば満足できない結果とはいえ、僕も少し肩の荷が下りた気がしています(木村)」

 J1残留を喜んだのは、17年からマネージャー業と兼任で韓国人選手の通訳を務めてきた李聖仁も同じだ。この試合、キム・ヨングォンはケガのため欠場となり、チュ・セジョンはアディショナルタイムからの途中出場、シン・ウォノはメンバー外となったため、李はどちらかというとマネージャーとしての仕事に忙しく動き回っていたが、試合後には「だいぶ、ホッとしました」と安堵の表情を浮かべた。

「ガンバで仕事をするようになる前から、ガンバ=強豪クラブというイメージがあったし、実際に昨年も2位でシーズンを終えていましたからね。本当に素晴らしい、名だたる選手がそろうガンバが、まさか残留争いに巻き込まれるとは思ってもみなかったし、当初は『タイトル』を目標にしてスタートを切っていたからこそ、チームが沈んでいくのを見ているのは僕も辛かったです。実際、今シーズンは韓国人選手もなかなか明るい表情が見られなくて…特に厳しい連戦の最中は勝った試合の後もどこか満足していない表情だったことが多く、自分のプレーが思うようにいかないこと、イメージ通りに試合を進められていないことに苦しんでいるように見えました。そういうことを思い返しても彼らにとってすごく難しいシーズンだったはずですし、だからこそシーズン当初とは目標が変わってしまったとはいえJ1残留を決められて本当に良かったです(李)」

 『通訳』と聞けば、「外国語を訳す人」だと理解している方も多いはずだが、クラブの一員として在籍し、1年を通して外国籍選手をサポートする彼らの仕事はそれだけにとどまらない。外国籍選手ができるだけスムーズにチームにフィットし、『結果』を残せるように、彼らの性格や人間性も踏まえながら寄り添い、必要とあらば普段の生活や家族のケアといったプライベート面にも目を配ってサポートにあたる。特に、昨年から今年のコロナ禍においては、入国制限で家族の来日が大幅に遅れるなど過去に例を見ないアクシデントも多かったからだろう。異国の地で、家族の存在を近くに感じられない外国籍選手が孤独を感じたり、不安に襲われたり、それがプレーに支障を与えることがないようにと、例年以上にオフ・ザ・ピッチで寄り添うことも多かった。

「今年は近年でも最も多い4人のブラジル人選手が在籍しましたが、パトを除いた3人はガンバでの初めてのシーズンだったし、特にウェリントンは初来日でしたから。その状況をパトが理解してくれて、余程のことがない限り、自分でなんでもやろうとしてくれたことにも助けられ、他の3選手のケアをより重点的に意識して行ってきました。ただ、そうは言っても、このコロナ禍でイレギュラーなことが多かったですからね。例えば、日本で第二子を出産したウェリントンの奥さんへの対応という部分でも、病院への立ち入り制限がある中で奥さんやウェリントンが安心して出産の日を迎えるにはどうすればいいのか。奥さんの入院中、まだ小さい長女のケアはどうするのか、など例年とは違う配慮が必要になったし、普段の生活においても、緊急事態宣言下で外食禁止の時期もあった中で、日本食に馴染みの少ないブラジル人選手はテイクアウトで食べられるものにも限りがありましたから。その状況で栄養バランスを崩さずに食事を摂るにはどうすればいいのかといったところでも頭を悩ませました。また長いシーズンでは、選手自身がケガをしてしまったり、家族が体調を崩してしまったり、それを心配した選手が不安になることも多々あり…メンタル的なサポートも含め、本当に毎日、息つく暇がないような1年でした(木村)」

「ヨングォンは日本での生活にも慣れていた分『僕のサポートは大丈夫だから』と言ってくれていたし、ウォノも昨年1年である程度、日本語を理解できるようになっていたので、あまり構い過ぎずに敢えて突き放して自分でチャレンジさせようと思っていたんです。その方が日本語も一気に上達しそうな予感がありました。なので、僕自身はできる限り、初めて日本で仕事をすることになったセジョンに寄り添うことを心がけてシーズンをスタートしました。しかも彼の場合、コロナ禍で家族のビザが下りるのに時間がかかったため、夏過ぎまで家族と離れて暮らさなければいけない状況に置かれていましたから。誰だって、慣れない環境での暮らしは心細くなって当然だし、それにも増してコロナ禍での様々な制限やチームの活動休止もあり…。特にシーズン序盤はフィットに時間がかかったせいか表情が晴れない日も多かったというか。気持ちの部分で少ししんどそうに見えたので、僕も可能な範囲で昼ごはんを一緒に摂るとか、ピッチの内外で孤独を感じないように、できるだけ会話をしようと心がけていました。またウォノも実は鎖骨骨折で入院していた時期があったんですけど、コロナ禍で僕は病院に立ち入れず、サポートできたのは入院手続きまでで…。入院後は一切会えなくなってしまったので、ウォノが孤独な入院生活で気が滅いらないように毎日、メールでやり取りもしていたし、マネージャーとしての業務の合間に電話をつないで冗談を言い合うようなことも意識的にやっていました(李)」

 中でも約3週間に及んだウズベキスタンでのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の戦いは、木村や李が最も気持ちをすり減らした時間になった。チームとして、慣れない場所で寝食を共にしながら連戦を戦う難しさに直面しただけではなく、チアゴやセジョンのように遠征には帯同しながら登録メンバー外になった外国籍選手もいたからだ。

「今回のウズベキスタン遠征には、ACL後の連戦も意識して長期ケガ人を除く全員で現地に乗り込みましたが、メンバー外になったチアゴは、試合がない分、必然的に練習強度が高くなり…でも、どれだけ練習を頑張っても試合には出られないわけですから。そのことに彼が悔しさやストレスを感じているのは気づいていたし、だからこそ、ただ『頑張ってやろう』というだけではなく、彼の気持ちが少しでも上向きになれるような働きかけを心がけました(木村)」

「セジョンは加入した時からACLへのモチベーションがすごく高かっただけに自分が試合を戦えない状況で、目標の1つを失ってしまったショックは相当大きかったと思います。実際、ウズベキスタンでの彼は見たことのないような表情を見せることもあって…。チームメイトの前では明るい表情で振舞っていても、ピッチを離れるとそうではなかったりもしたので、できるだけセジョンに寄り添うことを考えていました(李)」

 もっとも、この1年、木村や李は外国籍選手に対してただただ優しく寄り添ってきたわけではない。外国籍選手がピッチで結果を残すには、彼ら自身が日本での仕事、生活に適応しようとすることも不可欠だと思えばこそ、状況によっては心を鬼にして外国籍選手を突き放すこともしながら、サポートにあたってきたと聞く。通訳歴としては20年以上のキャリアを数える木村の言葉がそれを物語る。

「コロナ禍で、外国籍選手が例年以上に大変な思いをしているのは理解していましたが、甘やかすこととサポートすることは別だと思っているので、僕は外国籍選手に求められることを1〜10までやることはまずありませんでした。彼らの要望が単なるわがままなのか、本当に必要なことなのか見極めないと、チーム内で浮いた存在になってしまったり、甘えが邪魔をしてパフォーマンスの低下につながることもあるからです。スタメンに選ばれないとか、試合に出られなくて悔しい思いをしているのは日本人選手も同じです。そのことは外国籍選手にも理解してもらわなければいけないし、だからこそ彼らが間違っていると感じた時にはそれを素直に伝えてきました。ただ、一方で異国の地で仕事をする、生活をする息苦しさ、難しさは僕なりに理解しているつもりなので、例えば練習中、監督やチームメイトの言葉をダイレクトに伝えることでモチベーションを下げてしまいそうだなと思ったら、少し表現を柔らかくしてみたり、言葉のチョイスを考えるといった工夫はしていました。グラウンドで誰かと意見の言い合いになった時も…それは日本人同士でもあることなので決して悪いことではないですが、場合によっては頭に血がのぼっている時より練習後、冷静になってから伝えた方が、正しく伝わることもある。そのあたりは選手の性格も踏まえて対応を変えてきたところもあります(木村)」

 それもすべては『助っ人』として獲得された個性豊かな外国籍選手が、それぞれにピッチで輝くことを願えばこそ。さらに言えば、通訳である彼らもガンバの一員として、自身の役割を全うすることでチームの結果に貢献しようと思えばこそ、だ。

「最初にお話ししたパトのように、ガンバを応援してくれる方たちが『ガンバを助けてもらった』と思ってくださるような活躍を外国籍選手が見せられた時には、僕も本当に家族のことのように喜んでいるし、少しはガンバの力になれたのかなと思えてすごく嬉しい。それがまた自分が頑張る原動力にもなります(木村)」

 そういえば、韓国人選手の通訳を務める李も、8月の天皇杯3回戦でトップチームデビューを飾ったウォノから「試合後にめちゃめちゃ嬉しい言葉をもらいました」と表情を緩めていた。

「ウォノは本当に兄弟のように慕ってくれて、しんどい時には素直にその胸の内を聞かせてくれていました。デビュー戦後に『おめでとう、良かったな』って伝えた時も僕に『ヒョン(兄)の存在が本当に大きかったです。ありがとうございます』と言ってくれて…もうめちゃくちゃ嬉しくて、倒れそうでした(笑)。その言葉をもらえただけで疲れが全部吹っ飛びました!(李)」

 『通訳』として奮闘した彼らを含め、多くの裏方スタッフもまたそれぞれの持ち場で、自分の仕事を全うすることで戦い抜いた2021シーズン。普段は決して目立つことのない彼らの存在も、今シーズンのガンバが苦境を乗り越える上で欠かせない力になったことを、ここに記しておく。

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著 高村美砂

発行 ベースボールマガジン社

2021年10月にクラブ創設30周年を迎えたガンバ大阪の歩みを選手、スタッフの『言葉』に焦点をあてて振り返る。クラブ史に残る名場面やクラブレジェンドの懐かしのシーンがここに。

フリーランス・スポーツライター

雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。著書『ガンバ大阪30年のものがたり』。

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