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<ヴィッセル神戸>『キリンチャレンジカップ2019』を戦う日本代表に古橋亨梧が初選出!

高村美砂フリーランス・スポーツライター
日本代表初選出の喜びを語る古橋亨梧(筆者撮影)

11月6日、人生初となる『日本代表選出』の知らせを受けると、「変な汗が出てきました」と言って表情を緩めた。

「選ばれるとは思っていなかったので、素直に嬉しいです。サッカーをしてきた中で『日本代表』は目標の1つだったので、こうして選ばれたことをとても誇りに思います。達成できたのはチームや家族の支え、どんな時も変わらずに後押ししてくれたファン、サポーターの皆さんの応援、僕を起用してくれた監督、スタッフ、チームメイト、強化部の皆さんのおかげなので心から感謝していますし、その気持ちをしっかりプレーで表現したい。出場チャンスをもらえたら、スピード、運動量、1対1の仕掛け、ゴールに向かう意識、シュートを打つ意識、ゴールだけじゃなくてアシストできる姿を示していきたいです」

 昨年の8月、完全移籍でFC岐阜からヴィッセル神戸に加入した。岐阜の主軸として信頼され、活躍していた最中のオファーにかなり頭を悩ませたが、最後は仲間からも背中を押されて移籍を決めた。

「今の自分があるのは、大学卒業に際してなかなか行き先の決まらなかった僕を岐阜が拾ってくれたから。その感謝の気持ちがあったからこそ、かなり迷いました。でも、チームメイトを含めていろんな人が『チャンスだから恐れずに行け』と言ってくれたし、話をもらったのが世界的に有名なアンドレス(イニエスタ)やルーカス(ポドルスキ)のいるヴィッセルだったからこそ、みんなが『一緒に行きたいくらいだ。頑張ってこい』と言葉をかけてくれた。また、自分としても新しい環境に身を置くことで、もっと成長したいという思いが強かったです。スタメンで出場できる保証はないけど、この環境で揉まれてピッチに立つことができたら、確実にステップアップができるという考えもありました」

 移籍に際して、ポジション争いを制するために武器にすると心に誓ったのは、スピードと走力だ。「ヴィッセルの試合のDVDを見た時に、僕のようなプレースタイルのアタッカーは少ないと感じた」からこそ、まずは『自分』を発揮することに集中した。

 いきなり『答え』を出したのはデビュー戦となった2018J1リーグ・20節のFC東京戦だ。途中出場でピッチに立った古橋はいきなり、その『スピード』を武器に見せ場を作り、初先発となった翌節の21節・ジュビロ磐田戦では移籍後初ゴールを叩き込んだ。

「移籍してすぐに結果を出せたことで、少しですが自信になったところはありました。東京戦では自分の良さを出すことと、どんな形でもいいからゴールを決めてやる、という気持ちで臨んだらシュートまでいけたし、磐田戦もこのチャンスを逃したら先はない、と覚悟を持って臨みました。シュートは何本も外しちゃいましたが諦めずにゴールを狙い続けたことで1つだけ得点につなげることができました」

 その姿は今年に入っても変わらず、ここまでのJ1リーグには30試合のうち、27試合に出場。ケガで離脱した以外の時間はほとんど、先発のピッチ立ってきた。シーズン当初に語った「目に見えた数字で結果を残したい」という言葉のままに、だ。『9得点8アシスト』はそれを証明するもの。J1リーグ12位タイの『9得点』はチーム内で最多ゴールを挙げているFWダビド・ビジャに次ぐ数字で、『8アシスト』はチーム、J1リーグでトップを数える。彼にとっては初めて1年を通してJ1リーグを戦っているシーズンだと考えても上々の結果だろう。それについては、ヴィッセルに加入したからこその『変化』があったからだと仲間に感謝の気持ちを述べる。

「岐阜でもいろんな成長ができましたが、神戸に加入してさらに、人としても、プレーでも一回り成長できました。岐阜時代はがむしゃらに自分がドリブルをして、シュートを打って、とプレーしていましたが、ヴィッセルに来て、パスの質、パススピード、シュートのパターンなどの部分で成長できた。中でも一番大きかったのは、パスの出し手であるアンドレス(イニエスタ)の存在。彼から素晴らしいパスが送り込まれる中で自分自身も動きの質を意識しながらプレーできるようになったし、彼以外にも、ルーカス(ポドルスキ)や自分にとってはすごくお手本になるダヴィド(ビジャ)がいて、セルジ(サンペール)やウェリントンがいて、この夏にはトーマス(フェルマーレン)も加わって…それら外国籍選手に限らず、日本人選手にも素晴らしい選手がいるこの環境で育ててもらったところは大いにある。実際、ポジション争いということでも、日々の練習を怠たればすぐに外されてしまうという危機感や、試合中のほんの少しのミスで外されることもあるという厳しさに直面して、FWとして貪欲に点を取る意識や、周りがなんて言おうと自分でシュートを打つというメンタリティがより強くなりました」

 加えて言うならばFC岐阜でプロサッカー選手になったことで近づいた『日本代表』が、ヴィッセルへの加入によって「夢から現実的な目標に変わった」ことも彼の欲をより膨らませたと言っていい。また「どんなときも自分がチームの中で一番下手だと思ってやってきた」という謙虚な姿勢や、それに伴う努力を怠らない姿勢も今の彼を支える大きな武器だ。日々のトレーニングには誰よりも早くクラブハウスに顔を出し、ランニング、超音波などによる体のケア、ストレッチなど、「いいパフォーマンスをするための準備」は欠かさずに続けてきたし、練習後も多くの時間を体のケアに費やしてきた。本人曰く、サッカー以外の時間は「家にいるか、体のケアをしているか」くらいの徹底ぶりだ。もっとも、日本代表に選出されたからと言って慢心はない。ここでも求めるのは結果と継続だ。

「今回の選出でようやくスタートラインに立てただけというか…まだ日本代表に選ばれたというだけで何かを残したわけでは決してない。ただ、僕には失うものはないと思っているので。代表では自分の持っているものを精一杯出し切ることでアピールにつなげたいと思っていますし、代表に限らずヴィッセルでもしっかり結果を残し続けることが、この先も日本代表に選ばれ続ける選手になるには必要だと思うので、そのことをしっかり自分に求めてやっていきたいです」

 子供の頃から日本代表には無縁で、アマチュア時代に『全国』を経験したのも、中学生の時に出場し、優勝したフットサルの全国大会のみ。興国高校サッカー部では今の彼のベースとなる『技術』に磨きをかけたものの、高校総体や全国高校サッカー選手権大会といった『全国』の舞台には無縁だった。中央大学時代は1年生のときに1度だけ全日本大学選抜に選ばれたが「選考を兼ねた最初の合宿でメンバー外になった」と苦笑いを浮かべる。プロになるにあたっても、「最後の最後になんとか拾ってもらった」のがFC岐阜だった。

 そんな人生を振り返り「少しでも可能性があるのならと思い、夢を追い続けてきた。たとえその夢を達成できなくても、その経験は自分に絶対に活きると思ってやってきた」と古橋。もっとも、彼の言葉にもあったように、今回の日本代表選出はあくまで、『スタートライン』。まずは11月19日のベネズエラ代表戦(@パナソニックスタジアム吹田)で輝く姿を見たい。

フリーランス・スポーツライター

雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。著書『ガンバ大阪30年のものがたり』。

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