自分の関わる愛馬・ツルマルツヨシが"ウマ娘"になった日
18日12時、突然過去のTweetがまわりだした
それは2022年3月18日、昼12時を過ぎたころだった。
何やらTwitterのタイムラインが騒がしい。特にタイムラインが回転するような投稿をしていないのに、過去のTweetがクルクルと回っている。Twitterは誰かがリツイートなり、ハートをつけるなりするとお知らせとして再度上段に上がってくる。なので、私自身は何もしていない段階で過去にツルマルツヨシについて書いた話が繰り返し上位に回るように騒がしく上がっていたのだ。別の作業をしていたが、手を休めてTwitterをよく見るとツルマルツヨシがウマ娘になったらしく「おめでとうございます」と祝辞が何件も飛び込んでいた。そうか、その日が来たのか、と作業を中断してスマートフォンに入っているゲーム「ウマ娘 プリティーダービー」のアプリを開いた。
ウマ娘は昼の12時に新しい機能が実装されると聞いている。ログイン後、まず目立つところからツルマルツヨシを探した。ゲームの主人公である育成ウマ娘や、主人公を支える"サポートカード"のウマ娘には採用されてはいないようだ。
そして、"ストーリー"と呼ばれるウマ娘のドラマを見る。すると、そこには「ツルちゃん」と呼ばれる女の子、つまりウマ娘がいた。確かに「ツルマルツヨシ」と書いてあった。
私が何度もこのYahoo!ニュースで取り上げた、自ら関わる元競走馬をモチーフにしたゲームのキャラクターがそこにいた。
他人事だったはずが…改めて実感した人気ゲームの威力
ツルマルツヨシのウマ娘実装を確認した直後、まずツルマルツヨシの老後を支える会である「ツルマルツヨシの会」の会長である中西氏に連絡をした。中西氏は元JRAの厩務員で、ツルマルツヨシが競走馬として走っていた時代、担当者としてツヨシと苦楽を共にし育て続けてきた方だ。中西氏をはじめ、競馬サークルの皆さんは"ウマ娘"についてはほぼ皆、"競走馬をモチーフにした娘がキャラクターとして登場するゲーム"として認識している。ウマ娘効果で、忘れされられていたはずの数十年前の競走馬たちが話題にのぼっていることと、それにより競馬業界についてこれまで知識のない方々がたくさん競馬に興味を持ってくださっていることくらいは理解していた。
しかし、良いことと悪いことは一緒にやってくるもので、見学を希望される方と意思の疎通がうまくいかず、トラブルになるケースもある、という事実もあり、それを知ってはいた。ただし、あくまでも"他人事"として、だった。
協議の末、このコロナ禍で「ツルマルツヨシの会」の会員さんですら愛馬・ツルマルツヨシの見学は遠慮いただいていることも踏まえて、ひとまず見学は不可、という取り決めをした。すぐに私はTwitterでその告知をしたが、すると昼の12時過ぎとはくらべものにならないスピードでTwitterがくるくると回りだした。そして、それは日が変わってもスピードを落とすことなく回り続けていた。新キャラクターとはいえ、ほんの少し脇役として登場しただけなのに、こんなにツルマルツヨシのことを知りたがる人がいるとは…。改めて人気ゲームに採用される威力を実感させられた。
■1999年 天皇賞(秋)GI 優勝馬スペシャルウィーク ツルマルツヨシは8着
「右前、次は左トモ、次は…と痛いところだらけ」
ツルマルツヨシはGIを勝てずに引退した競走馬だ。「れば」「たら」を言えばキリがないが、もう少し体質が強ければもっとたくさん勝てただろう、と言われていた競走馬だった。
ツルマルツヨシが栗東トレーニングセンターに初めてやってきた日のことを中西氏はまるでつい最近のことのように話す。
「忘れもしない、1997年10月4日でした。賢くて大人しい馬でしたが、とにかく体質が弱くて…。デビューに向けて調教を積んでいくのですが、右前が痛い、と治療をしたら、次には左トモ(左後肢)、次は左前、今後は右トモ…と順番にあちらこちら痛くなっていく。一体、いつになったらデビューさせられるだろうか、と気を揉みましたが、幸いカイバ食いはとてもよくて。大人しく賢い分、余計なことはせず治療や調教にも耐えてくれました。」
陣営は、いつか来てほしいが、いつになるやら計画が立てられないデビューの日に向けて淡々とツヨシを育て続けた。
「それでも、速いところをやりだしたら(注:調教でコースを走り、1ハロン15秒を切るくらいのタイムで走るようになったとき)いい走りをするんです。これはいいものを持っている、ということで調教していくんですが、やはり体が痛くなっての繰り返しでした。」
日はどんどんと過ぎ、新馬戦の番組がなくなり、目指すはずのクラシックレースのトライアルは終わっていく。ようやくデビューにこぎ着けたのはダービーへの最終トライアルが行われる5月のはじめのことだった。ツヨシが入厩してからすでに7か月が過ぎようとしていた。
「1998年5月2日、ダートの1400m戦でした。人気はなかったですが、藤田伸二騎手を背に無事勝ってくれました。やはり光るものを持っているな、と実感させられた一戦でした。」
■1999年有馬記念 優勝馬グラスワンダー
スペシャルウィークは2着ツルマルツヨシは4着
会長「ちょっと笑ってしまいました(笑)」
その後、ツルマルツヨシは朝日チャレンジカップ(GIII)、京都大賞典(GII)などを優勝したが、GIには残念ながら手が届かなかった。
縁あって京都競馬場での誘導馬を経て乗馬となったが、現役時代のオーナーが亡くなったことにより行き場がなくなりそうなのを知った中西氏が引き取ることを決意し、旧知だった私に声をかけたのが「ツルマルツヨシの会」のはじまりだった。
ツヨシを引き取った後の話はこれまでもYahoo!ニュース等で書いているが、今年で会ができて10年になった。この節目の年に奇しくもツヨシが"娘"になるとは思いもしなかった。人生、何があるかわからないものだ。
中西氏はゲームはしないので、いくつか"ウマ娘"になったツヨシの姿を見せた。すると、「ちょっと笑ってしまいました」と微笑ましい返事がかえってきた。
ツルマルツヨシとマチカネフクキタルは史実で同厩の先輩後輩
ちなみに、"ウマ娘"にも登場するシンボリルドルフは史実ではツヨシの父であり、マチカネフクキタルは同じ二分久男厩舎で同じ"カイバ"の飯を食った仲。ゲームでも史実でも1年先輩だ。
この時代に二分厩舎にいた方々に「ツルマルツヨシとマチカネフクキタルは併せ馬をしたのか?」と聞いてみたが、あまり記憶にない様子だった。もしかしたら、ちょっと一緒に走ったことはあるかもしれないが、本格的に胸を借りた、ということはなさそうだ。そのあたりの史実もいつか探ってみたいし、今ならそれを興味深く読んでくれるであろう方々がたくさんいるのが嬉しい。ウマ娘サマサマ、である。
そして、筆者はいつかツルマルツヨシが育成キャラクターになったら、クラシックレースを走らせてあげたい気持ちでいっぱいだ。
ツヨシは前述のとおり、体質が弱くてクラシックレースに出走することが叶わなかった。しかし、競走馬として生まれた以上、クラシックレースを目指すべく期待をかけられてきたし、距離の合いそうな日本ダービーに参加して欲しかった。そんな現実には叶わなかった想いを託せるのが、この「ウマ娘 プリティーダービー」の良いところだ。
もちろん、これが所詮ゲームだ、仮想の世界だし実在の馬が走るわけではない、というのは十二分に承知している。
だが、現実の競走馬とは似ても似つかぬ姿とはいえ、チャームポイントにはモチーフである馬に纏わる何等かのデザインが用いられている(ツルマルツヨシの場合は顔の中央にある白く大きな星が前髪に、勝負服のデザインがヘアピンに表現されている)し、何よりレース実況や走る姿のスピード感は迫力満点。私はこれまでも、実際にはダービーを勝ちきれなかったメジロアルダンやマチカネフクキタルにダービーを勝たせて感激したものだ。
いつか、ツルマルツヨシをダービー馬、いやダービーウマ娘にしたい。それが、いまの私の夢なのだ。
◇ツルマルツヨシについて取り上げた過去記事