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51歳の絶頂で終止符 自ら決めた引き際へのこだわり 林満明騎手が障害2000回騎乗で引退へ

花岡貴子ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家
林満明騎手が障害2000回騎乗で引退へ

 中央競馬には平地競走と障害競走がある。平地競走は日本ダービーなどの有名レースがたくさんあるが、障害競走は1日に1鞍あるかないかのマイナーな競技である。

 そして、障害競走は竹柵や生け垣をジャンプする様子はとても鮮やかだが、平地に比べて落馬の危険も高いため、平地競走の主力騎手たちの多くは障害競走には乗らない。

 6月23日、ある障害騎手が鞭を置いた。51歳、林満明騎手だ。林騎手は障害界の大ベテランで、障害競走の歴代最多騎乗記録を更新中だった。しかし、その数が2000になったら騎手を辞めると公言した。騎手免許の更新は毎年2月末日。その時期か調教助手などへの転職が決まるまで騎乗依頼を受けて乗り続ける騎手が多いが、林騎手はあえて自ら決めた区切りを最後の騎乗としたのだ。騎乗依頼を受けてレースに参加するという騎手の職業柄、この決断はとても珍しいものだった。

「お世話になっていた馬主さんや調教師の方々が減って、騎乗馬が集まりにくくなったので引退を考えるようになりました。そんな中、障害での騎乗数2000回に届くまで残り僅かだったので、障害2000回騎乗を区切りにしようと決めました。」

 実は2000回を迎える少し前、林騎手にとって悪くない転職の話があった。現在、競馬サークルは従業員の総数を削減する傾向にあるため、厩舎従業員の枠も限られている。それゆえ、この誘いはとても貴重なものだった。

 しかし、林騎手は2000回騎乗を達成するため、この話を断った。

 一度、自分で決めた引き際を全うするためだった。

林満明騎手
林満明騎手

 記録によれば、林騎手の落馬は通算106回。少々の怪我では休まずにやってきた。

「障害レースは何度乗っても怖いですよ。ゲートが開いてしまえば開き直るんだけど、それまでが怖い。アップトゥデイトでGI(2015年12月、中山大障害)を勝ったあと、落馬(2016年2月)して胸椎を骨折(診断は第5胸椎圧迫骨折)。この怪我でアップトゥデイトの次のレース(2016年3月)に乗れなかったし、今でも長い時間あおむけに寝れないんです。

 それでも、障害というレースが好きだから。障害物を跳ぶたびに充実感があるし、1頭の馬に携わり続けることができる。普段の調教からレースまで一緒に戦い続けることができるのはやりがいがあります。」

 引退を決めた2018年の成績は凄まじい。8勝をマークし障害リーディング、勝率は約4割とズバ抜けて高い数字を記録した。この成績に当人は

「出来過ぎ。ローソクの火が消える前みたいにパッと燃えたね」

とおどける。

 こんな絶頂期で辞めるなんてもったいない、と引退を惜しむ声もある。しかも、この先の転職先も決まってはいない。が、しかし。それでもあえて自分の決めた区切りで終止符を打ったのだ。

「もう、満腹です。ひと区切りついてホッとしました。」

 そう言う林騎手の笑顔には少し影があった。目標をやり遂げた満足感、鞭を置く安堵感、そして華やかな表舞台から去る一抹の寂しさ…。いろんな気持ちが交錯していたのだろう。

 これからしばらく、林騎手は騎手免許を持ったまま騎乗はせずに転職活動をしていく。JRAの免許システムの都合上、調教を手伝うためにも何らかの免許が必要なのだ。騎手免許を返上するのは転職が決まってからとなる見込みだ。

「騎手としてやり残したことはない。ありがとうございました。」

 潔い、男の引き際だった。

ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家

競馬の主役は競走馬ですが、彼らは言葉を話せない。だからこそ、競走馬の知られぬ努力、ふと見せる優しさ、そして並外れた心身の強靭さなどの素晴らしさを伝えてたいです。ディープインパクト、ブエナビスタ、アグネスタキオン等数々の名馬に密着。栗東・美浦トレセン、海外等にいます。競艇・オートレースも含めた執筆歴:Number/夕刊フジ/週刊競馬ブック等。ライターの前職は汎用機SEだった縁で「Evernoteを使いこなす」等IT単行本を執筆。創作はドラマ脚本「史上最悪のデート(NTV)」、漫画原作「おっぱいジョッキー(PN:チャーリー☆正)」等も書くマルチライター。グッズのデザインやプロデュースもしてます。

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