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本多雄一が引退会見で語った、ファンへの感謝の思い【一問一答】

田尻耕太郎スポーツライター
引退会見を行った本多雄一内野手

 今季限りでの現役引退を表明していたソフトバンクの本多雄一内野手が3日、ヤフオクドームで引退会見を行った。

 本多雄一という野球選手、なにより彼の人柄が表れた素晴らしい引退会見だった。

 プロとして、どんな思いを持ち日々を過ごしてきたのか。

 ファンに対する感謝の思いも本当にストレートに表現した。

 最後には報道陣に向けても、わざわざその場に立って「直接御礼が言いたかった」とメッセージを送ってくれた。

地元福岡、ホークスひと筋13年

会見後、同級生の長谷川勇也外野手が花束を持って現れた。我慢していた涙があふれ出した。
会見後、同級生の長谷川勇也外野手が花束を持って現れた。我慢していた涙があふれ出した。

 福岡県出身のフランチャイズ・スター。‘10年に59盗塁、‘11年には60盗塁を決めて2年連続盗塁王に輝いた。この2年ともフル出場を果たし、チームは2年連続リーグ優勝、2011年には日本一にもなった。ホークスの中心プレーヤーだった。

 ‘12年に首を痛めて以降、出場機会は減少した。‘14年に国内FA権、‘15年に海外FA権を取得した。その間は複数年契約を結んでいたが、最終年となった‘16年のオフには去就が注目された。

「この世界、地元愛だけではやっていけないのは誰しも分かっていることです。だけど、自分が福岡で生まれ育ち、高校(鹿児島実業)と社会人(三菱重工名古屋)では離れましたが、プロ野球選手として福岡にまた戻って来られて今がある。その思いはずっと頭の中にありました。

 それに、これだけすごい声援を送ってくれるスタンドは、すべての球団を見渡してもなかなかない。やっぱり福岡がいい。またこのチームで優勝したい。他の球団でプレーする気持ちにはなれなかった」

 FA権を行使せずに残留を決めた後、このように話していた。

 そして、この日の会見後にも「自分の記録を伸ばすには他(球団)に行くという選択肢もあった。でも、今思うと、自分の記録よりも13年間ホークスでお世話になって良かった」と振り返った。

 ホークスファンに熱く愛された本多雄一。彼もまた、ホークスを愛し福岡を深く愛していた。

【以下、記者会見の要旨】

――今の心境は?

「正直この日が、今来るかと。それが率直な気持ちです。まだこの場にいることが自分でも信じられない。同時に13年間の思いが走馬灯のように思い浮かんでいます」

――色々なお気持ちがあると思います。

「後悔はないです、今は。13年間の思い出といえば、きつい時、苦しい時が多かった。嬉しい時の為に13年間やって来たと思います。今、後悔は全くないけど、寂しさはあります」

――決断の理由や時期は?

「プロ13年間やらせていただきまして、2012年に首を痛めました。その後プレーをしてきましたが、それから3,4年は、痛みが出たり出なかったりしました。(痛みが)出れば薬を飲みながらやっていました。しかし去年、そして今年は特に痛みが出る回数も多くありました。やる気はあったけど、体は反対の方向に。痛みが出て自分が納得する動きが出来なかった。それもあり引く決断をしました。決めたくはなかったんですけど、でも決めないといけないのが現実。まだやれる、まだやれるんじゃないかとずっと考えていました。でもやっぱり、首のことを考えると。気持ち的にすごく沈む時期もあった。その思いもあり、決断に至りました」

――ここ数年の思いは?

「全力で元気バリバリでプレーしていた時期もありましたが、出来ない時期でも周りの選手の活躍が凄く刺激になった。1つのプレー、1つの仕事を見て、僕もああしてやってたな、走ってたな、お立ち台に立ってたなと思いました。そして、また立ちたいと思わせてくれた。またあの舞台に立ちたいという一心で、今年は2軍生活を送っていました」

――350盗塁にあと僅か届きませんでした。こだわりはあったと思います。

「はい。今現役選手の中で歴代3位。改めてその数字を見ると、ルーキーの頃思えばよく走ってきたなと思います。でも、やっぱり首の事もあり思うように結果が出ないこともあり、成績不振で2軍行きにもなりました。すべて自分の責任です。350盗塁を達成したい気持ちは100パーセントありました。ただ、考え方があっているかわからないけど、342盗塁でもよくやったと思います」

――周りに相談は?

「もちろん家内、両親、今までお世話になった方に相談というか報告はしました。両親は『あなたの野球人生。親がとやかく言うつもりはない。自分で決めたのなら納得する』と言ってくれました。ただ、家内はその現実を受け入れることが出来ず、悩んだ時期がありました。僕より家内の方が気持ちが沈んだと思います。だけど、いつか決断をしないといけない。相談しながら、いろんな言葉を掛けあい、励まし合いました。お世話になった方では、僕はプロに入った頃から『スラッガー』の野球用具を使っているのですが、担当者が毎日、毎時間のように電話をくれて、気にしてくれた。その人もきついはずなのに、自分のことを盛り上げてくれて、精神的にもカバーしてくれて。その思いもあり決断に至ったと思います」

――周りの言葉は?

「自分を元気づけようとしてくれたのかもしれないけど『よくやった』と。僕は、それは周りが決めることと思っている。その言葉だったり『自分で決めたのなら納得いく』と聞いて、自分のことは自分で決めないといけないと改めて思った。決心できた」

――印象に残るシーンは?

「13年間、たくさんの経験をさせて頂いた。苦しい時の方が印象は多いけど、初めて優勝した2010年。最終戦で優勝を決めた時のことは印象に残っている。それと盗塁王を初めて獲得できた。その時が印象に残っている」

――現役生活で大事にしたこと。

「プロ野球だから結果がすべてという方もいる。もちろんそうだと思う。でも準備や練習はプロ野球に限らずいろんな仕事でも大切だと思う。試合前の練習が始まるよりも早く球場に来ていた。ルーティンではないけど、準備の大切さ、大事さを分かっていた。結果ではなく、試合に対する意気込み、準備が大切と思って毎日やって来た」

――それが誇れるもの。

「準備がなければいいパフォーマンスも出来ないでしょうし、自分の気持ちが落ち着かない。その思いでやってきた。自分の為だし、怠ると罰が当たると思って、一日一日を大事にした」

――先輩の杉内投手、生年月日が同じ大隣投手も今季限りで引退します。

「まず先輩である杉内さん。正直ショックは大きかったです。プロでも一緒だけど、中学校からの大先輩。高校、社会人(杉内投手は三菱重工長崎)と全部同じルートを通った。僕が同じシーズンに引退は少し情けないかなと思う。だけどたくさんの教え、ご指導を頂き、特別な思いがあります。寂しかったです。大隣も誕生日が一緒ということもあり、仲良くさせてもらった。怪我で苦しんだのも見ていた。尚更寂しい。ともに戦ってきた仲間も引退するのは言葉には言い表せないくらいの気持ちもある。今日(10月3日)の(大隣投手の)登板は目に焼き付けたい」

――今後について。

「もちろん13年間やらせていただき、ホークスに残れることが一番と思っている。球団としっかり話し合って決断しようと思っている」

――チームメイトへの思いは?

「ホークスは常勝軍団と思っている。強いホークスをさらに強くするために日々精進してもらいたい。選手1人1人、勝とうと思ってやっていますし、性格も野球の仕方も違うけど一致団結となって戦うホークスの素晴らしさを継続していってほしい」

――本多選手はファンも多かった。

「ありがとうございます。プロ野球にはいろんなファンの方がいらっしゃいます。好きな選手はそれぞれ違います。その中で、僕のファンになってくれたファンの皆様。盛大な応援をしてくださったり、自分の時間を削ってでも応援くださった。それを思うと準備を怠れない、ファンの為にと思っていた。試合で拍手を頂きたいから一生懸命パフォーマンスをしていた。応援団、ファンの声援がなければここまで来ていない。良い時も悪い時も『ポンちゃん』と言葉を頂いたことで、自分がここまでやって来られたと思う。ファンの皆さんの力は自分の想像よりすごかったし、素晴らしかった。そのおかげでプレーが出来たと思う」

――今日も球場の周りには本多選手のボードを持った方などがいました。

「(球場に到着して)声は聞こえた。自分の時間を割いてまで来てくださった。感謝の気持ちは常々忘れていないつもりです」

――改めてメッセージを。

「応援団、ファンの皆様。叱咤激励、応援していただき誠にありがとうございました。ありがとうや感謝という言葉では示せないくらい、本当にお世話になりました。この先の人生はどうなるか分かりませんが、本多雄一をよろしくお願いします」

――思い出に残っている盗塁は?

「2010年の片岡さんとの同じ数字の盗塁王。初めての盗塁王の瞬間は、忘れません」

――引退試合について。

「最後の1試合になると思うと寂しい。だけど、今まで野球をしてきて、心の底から楽しいと思ったことはそんなにない。最後の引退試合は思う存分楽しんで、感謝の気持ちを持って、試合に臨みたい」

※文中写真は筆者撮影

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。現在は「Number web」「文春野球」「NewsPicks」にて連載。ホークス球団公式サイトへの寄稿や、デイリースポーツ新聞社特約記者も務める。また、毎年1月には千賀(ソフトバンク)ら数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。2020年は上野投手、菅野投手(巨人)、千賀投手が顔を揃えた。

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