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研究は正にチームワークの成果・研究支援人材…OISTのSMの島貫瑞樹さんに伺う

鈴木崇弘一般社団経済安全保障経営センター研究主幹
OISTの研究力の高さには秘密がある。 写真:OIST提供

 筆者は、沖縄科学技術大学院大学(OIST)にあるレジデンスに滞在しながら、研究活動をしていた(注1)。

 OISTは、その高水準の研究活動によって、国際的にも高く評価されてきている(注2)。それは優秀な研究者や専門家が参集しているから生まれるものだが、彼らや彼女らの研究を支える技術者や科学者の存在や研究環境をサポートする人材の存在も非常に重要だ。

拙記事「研究成果演出の陰の立役者・研究支援人材…業界の先駆者・杉原忠さんに聞く」(Yahoo!ニュース、2022年10月27日)では、研究資金の獲得に奔走する人材を紹介したが、本記事では、OISTで、研究者の研究活動を支援するために活躍する、OISTのプロボストオフィスの研究リソース・シニアマネジャーの島貫瑞樹さんにお話を伺った。

研究リソース部門の役割や業務について 

鈴木崇弘(以下、S):島貫瑞樹さん、本日は、よろしくお願いします。まず島貫さんの担当されている業務や役割を教えてください。

島貫瑞樹さん(以下、島貫さん):研究機器などの研究リソース(資源)が有効に活用されて、最大限に研究の進展に貢献するように、管理や、いろいろな調整を行っています。具体的には、まず、学内の主要機器を網羅して利用者が予約できるシステムの運営や、どこかの部署で不要になった機器を引き取り別部署に再配分して利用してもらう仕組みの運営などです。

 また、OISTにはコアファシリティと呼ばれる共用研究基盤施設があり、さまざまな技術分野の先端研究機器とその利用を支援する専門の技術者科学者を備えていますが、新任の教員が着任するときには、その先生の研究分野に応じたコアファシリティとの打ち合わせを仲介して、共用機器や支援サービスを最大に利用していただきながら、どうしても専用で新規に購入が必要な機器についても無駄なく配備できるように調整をします。そして、学内のスペース配分の調整にも関わっています。

 OISTは、まだまだ発展途上の大学です。その意味で、本学は、その目標規模までの長期計画の下、拡大が続いていきます。これらの調整は大学全体にわたり、財務部門や施設部門そして教員採用部門などと密接に連携・協力をしながら行っています。

 さらに、研究リソースは他の大学や研究機関との連携で共同利用もされることもあります。ものにより、そのような連携構築にも加わります。おまけに(でもないですが)、公式のお客様がOISTを訪問され、研究施設のご案内が必要な場合に、私がガイドを依頼されて務めることなども、よくあります。

島貫瑞樹さん 写真:本人提供
島貫瑞樹さん 写真:本人提供

キャリアや経験について

S:ありがとうございます。OISTにとっても非常に重要な役割ですね。島貫さんは、博士号をお持ちで、元々研究職でいらっしゃったと伺っています。これまでのキャリアやご経験について教えていただけますか。

島貫さん:研究者になろうと決心したのは高校生の頃(福島県立福島高等学校に在学中)です。生命の研究で自分の存在を解くことにつながる正当な努力をする、ことを生業にしよう、と考えました。浪人して京都大学に入学し、京大大学院に進学して分子細胞生物学を学びました。遺伝子やタンパク質分子の言葉で細胞の機能を理解しようとする学問です。学位をいただいて卒業後、千葉県の「かずさDNA研究所」に研究員として赴任し、分裂酵母(注3)という微生物を材料に、細胞が染色体を組み換えて子孫に残すために染色体を動かす仕組みを10年間、研究しました。

 そして、2004年開始のOIST先行研究事業の公募があり、その際に大学院の恩師である柳田充弘先生が新規の研究プロジェクトで応募するにあたって、私をグループリーダーとして誘ってくださり、それが採択されました。そこで、かずさDNA研を退職して沖縄に赴任し、OIST設立の先駆隊として、空っぽのプレハブのラボで研究室の立ち上げをしました。それから5年間、細胞の分裂増殖しない仕組みの研究に従事しました。

 そのうちに、キャリアチェンジを思い立って研究支援の管理部署に異動し、そこからはコアファシリティの設立・運営と整備拡張を中心とした研究支援に関するさまざまな管理や調整に携わってきました。

研究職から研究リソースの管理に転身したことについて

S:なるほど。研究職から現在の研究リソースの管理の分野に移られたのはなぜですか。その経緯やきっかけは何ですか。私は、研究リソースの管理や研究支援は、研究推進において非常に重要な役割だと考えていますが、違った考え方もあるかと思います。その視点も含めて、島貫さんのお考えをお教えいただきたいと思います。

島貫さん:研究して未知の物事を解き明かしていく活動には他のことにはない楽しさがあります。

 でも、研究室を主宰して自分の研究テーマを追求していくには、アイディアや知識などの知力や技術だけでなく、このテーマが世界で最高最優先の価値であると心から信じ、周りの人や社会を巻き込んで爆進する自信やワガママさや集中力や思い切り(思い込み?)も必要です。それらの総合が研究リーダーの才能だ、とも思うようになっていました。

 何らかの形でより自律的な立場で働きたいとは思いましたが、自分を最大限に活用したい欲もあり、どうも自分は研究主宰の向きではないが、研究者のパートナーとなる環境や体制整備の役割には、我が身はたいへん有効なのではないかと考えました。

 その意味で、これから作り上げて行かなければならないOISTの状況はうってつけで、研究支援部門を立ち上げる管理職の一般公募に内部応募したところ、研究経験その他(?)を買われて採用されました。

 研究者にとって、自分の研究室内だけで完結する範囲以外の物事は、全て誰かの手助けがなくては実現できません。必要なもの全てが自分専用に揃っていたら便利には違いありませんが、現実には、資金にも資源にも時間にも労力にも限りがあります。研究者が何もかも自前で調達したり技術を磨いたりして賄い切れるものではありません。また共用できる研究リソースや技術支援サービスが体系立って準備されていることは、研究の幅を広げたり進展を加速したりするための大きな戦力になります。

 研究者が自分の利用したい技術についての基本的な知識を持っていることももちろん必要ですが、対等に議論できる専門家がコアファシリティにいて、高度な技術的助言や支援をしてくれることは、研究者の研究の質が大きく向上することにもつながります。

優れた研究が遂行されるには多くの機材、施設、人材が必要だ 写真:OIST提供
優れた研究が遂行されるには多くの機材、施設、人材が必要だ 写真:OIST提供

研究職と研究のリソースや支援に関係性や視点について

S:今の質問にも関係するのですが、島貫さんのように元研究職の経験者だからこそできる、研究のリソース管理や支援というものがあると思います。その点について、島貫さんの考えや視点をお教えいただけませんか。

島貫さん:研究者が雑用に煩わされることなく、必要なものをなるべく簡便に、時には手厚い支援のもと、効果的に利用できることが理想です。それを実現するためには、管理や支援の体制が利用者である研究者の立場から見て構築されていなければなりません。

 一方で同時に、限られた予算や人手や機器やスペースを活用して、大学にいるさまざまな分野の研究者に役立つものとしなければならない面もあります。

 それらの意味からも、最大効果を考えた優先順位を意識して運用することも必要です。

 また場合によっては、どこにどんな機能や情報があるのか、どの問題を誰に相談すればいいのか、研究者側からも、研究支援側や事務方からも、わかりにくい場合があります。そのような場合、そんな状況を見抜いてコミュニケーションを繋いだり、必要なものが見えやすくかつ見つけやすいようにシステムやワークフローを整備したりすることも重要です。

 それらのことに対応できるためには、研究職の経験はもちろん有用な要素であるわけですが、本質としては、さまざまな立場や役割等に成り代わって考えることができる広い視野と多角的な視点が必要ですし、それらを支える知識の習得と共にそれが常にアップデートされ磨き続けられていなければならないと思っています。

OISTの前史と現在への変遷や展開について

S:島貫さんは、今のOIST「学校法人・沖縄科学技術大学院大学学園(2011.11~)」の前身の組織である「独立行政法人・科学技術振興機構(JST)の新大学院大学先行研究事業(2004.04 ~2005.08)」や「独立行政法人・沖縄科学技術研究基盤整備機構(2005.09~2011.10)」の活動や業務にも関わられてきました。それは先に伺った島貫さんのご経歴等にも関係します。そのようなご経験を踏まえて、OISTの前史から現在への変遷や展開についてどのように考えていらっしゃいますか。

島貫さん:先行研究事業(Initial Research ProjectでIRP)の時代は、私を含め各地から沖縄に移民(!)して来た研究者たちが、何もない荒地でそれぞれ研究しながら、協力し合って環境整備の相談もしながら、研究者も事務職員も、不便ながらも全員の顔が見える牧歌的なコミュニティのスタートでした。この時にOIST(Okinawa Institute of Science and Technology) の呼称は使っていましたから、大学(OIST Graduate University)になってからは11年ですが、OISTの本当の歴史はほぼ19年です。

 先行研究開始後一年半で「整備機構(OIST Promotion Corporation)」になり、外国人の採用も進んでくると、英語が公用語となると共に、欧米式の組織体制やワークフローの導入も進みました。そうして、国際的なだけでなく自然科学の多くの分野を一つの研究科として学際的に(Interdisciplinaryに)運営する挑戦的な方針のもと、内閣府が直轄する大学院のみの私立大学という独特な形態の学園になり、その後も拡張を続けてきています。

 今では人数もだいぶ増えて、外国人の割合も教職員で半数近く、学生では8割、出身地も50ヵ国を超え、人員構成も非常に多様性に富んだものとなりました。さまざまな異なる文化や背景を持った人々の集団ですから、誰かの常識は他の誰かの非常識であるかもしれません。

 しかし、法律や研究倫理や大学のルールがありますから、お互いの違いを尊重しながらも理解と信頼と合意を築いて協力していかなければなりません。また、ユニークな組織であるということは、裏を返せばお手本がないということでもありますし、学長始め外国人を多く含む上級幹部職の入れ替わりも多々あり、それなりの揺らぎや困難もあるわけです。

 そんな中で、しなやかで強靭かつ頑健な研究教育機関として発展していくためには、OISTの存在意義に根ざした進むべき方向やあるべき姿というものの共通理解が組織全体に浸透していくことも大事な要素だと感じています。

研究ではチームワークが重要だ
研究ではチームワークが重要だ写真:イメージマート

新しい試みについて

S:今の質問を踏まえて、OIST内で何か新しい試みを考えていらっしゃいますか。もしあれば、教えてください。

島貫さん:だいぶ間接的というか長期的な取り組みになるのですが、研究者と研究支援スタッフだけでなく、研究活動そのものに直接関わりを持っていない事務職員も含め、OISTに所属する個々人が自分の日々の業務の意味や意義を理解して、自分の立ち位置をしっかり踏まえることが、仕事に誇りを持てるための第一歩だと思い至りました。そして、一人一人がそういう自負を持って日々の業務にあたることが、目に見えない仕事の質を上げ、組織全体の向上に繋がっていくと考えました。

 そこで、私ができる材料提供をまずとにかく自分自身で実行すると決意して、自然科学の大学院の研究教育活動がどういう役職構成・役割分担やルールのもとに成り立っているか、研究者は日々どんな苦労と戦っているのか、などを学内の事務職員向けに紹介するセミナーを3年前から始めました。

 すると幸いそれがなかなか好評で、続編を期待する反響などもいただけたので、そのセミナーを拡張して、シリーズ展開しつつ定番プログラムとして確立するための相談を、ちょうど昨年に新設された多角的人材育成支援の部署(注4)と始めたところです。私ひとりがゲリラ的単発的に行うのではなく、ゆくゆくはいろんな方が講師の役割も分担して受け継いでいく持続的なプログラムにできればと思っています。

研究、日本社会、沖縄などへの考えについて

S:それはいいですね。今のOISTもできてから10年以上が経ち、OISTの全教職員が、OISTそのものの原点というか何をする組織であることを再確認し、今後に向けて一体感を持つ機会になりそうですね。

 そのようなご経験を踏まえて、日本の社会や沖縄、特に研究状況の面からどのように思われていらっしゃいますか。また、今度どのような方向に向かうべきだと思われますか。日本の今後の可能性についてもご意見をいただければと思います。またもしご提案などあれば、それもご教授ください。

島貫さん:いろいろな方が折に触れて仰っていることですが、国が、「役に立たない研究」を研究者が存分にやれる環境を確保することは大事だと思います。「役に立たない」、というのはもちろん言葉のアヤですが、研究の裾野を広げて維持する努力が国の底力を上げることにつながるということです。そのためには、研究者への直接の投資だけでなく、研究を支える技術人材や支援事務人材の育成・配備も非常に重要だと思います。

 そして、基礎研究の意義の認知です。純粋な真理の探究で解明された知識がその後に具体的に何にどう役に立つかはわからないことが多いのも事実です。しかしながら、知的好奇心に基づいて探究され解明された新しい知識のさらなる蓄積がなければ、応用も発明もじきに枯渇してしまいます。

 一方で、「役に立つ」ことを目的とした応用研究や開発研究も重要です。しかし、性急に短絡的に役立てることが目的になると、虚心坦懐に真理に向き合う姿勢や筋道や解釈が歪んでしまう虞さえあります。

 それらのことを考えると、OISTは、生活の質の向上に直結する応用研究や開発研究で地元の沖縄に貢献するというのも重要な使命のひとつですが、それだけでなく、大学として、OISTが未知の真理の解明に取り組むという人類の探究、知的活動の場であり、そういう文化拠点が地元沖縄にあること自体をもって、沖縄の皆さんの誇りに思ってもらえるようになれることが理想の姿だと思っています。OISTは、沖縄の地域や人々から首里城のように愛されるような存在になる使命を背負っている、と言ってもいいかもしれません。

OISTにこれから来られる方々へのメッセージについて

S:最後に、若い世代、特に今後OISTで研究したい、仕事をしたいと考えている方々へのメッセージ等をお願いします。

島貫さん:OISTは、郷土愛と地域色の強い沖縄にありながら、国際的かつ多様性に富んでいて、恵まれた研究環境や南国リゾート的自然環境のなかにあります。そして良くも悪くもお手本がなく、発展途上であり、そして高い矜持と成果を掲げ模索し邁進する研究教育機関です。

 ここで研究したい、あるいは仕事をしたい方々は、さまざまな違いや反発や変化や不足を恐れず、物事を謙虚に受け止めながらも前向きに工夫しつつ、積極的に他の方々と協力し合いながら、主体的に行動していけば必ず大きな手応えを実感できる、と信じています。ただし、それは飽くまで私自身も含めた、その個々人の本人次第でもありますよね。

 私たちは、OISTで研究および研究支援や事務業務に携わっているみなさん方と、OISTに籍を置いて学び日々修練されている大学院生の皆さん方などと共に、全員一丸となって、それを具現化していきたいと思っています。

 その意味でも、そんな挑戦地である、このコミュニティへの参画を歓迎します。私も、そのようなチャレンジャーである参画者の方々のお役に立てる機会や新しい出会いを楽しみにしています。

S:本日は、お忙しいところ、ありがとうございました。

島貫 瑞樹さん略歴:

博士(理学) 、沖縄科学技術大学院大学(OIST) 研究リソース・シニアマネジャー

                  島貫瑞樹さん  写真:本人提供
                  島貫瑞樹さん  写真:本人提供

1994 年 京都大学大学院理学研究科 生物物理学教室 博士後期課程修了 博士(理学)

1991 年 京都大学大学院理学研究科 生物物理学教室 修士課程修了

1989 年 京都大学理学部 卒業 (生物学)

(管理職歴)

2019 ‒ 現在 OIST プロボストオフィス、研究リソース・シニアマネジャー

2017 - 2019 OIST 研究担当ディーンオフィス、研究リソース・シニアマネジャー

2016 - 2017 OIST 研究担当ディーンオフィス、研究リソース・マネジャー

(研究機器共用・予約管理、スペース配分、大学間技術連携、

新任教授研究室の立ち上げ支援・調整、職員のキャリア育成、等)

2015 - 2018 OIST 研究支援ディビジョン / イメージングセクション、マネジャー

(光学顕微鏡、電子顕微鏡等の共用研究施設の運営)

2015 - 2017 OIST 研究支援ディビジョン / 機器分析セクション、マネジャー

(質量分析、フローサイトメトリー、NMR 等の共用研究施設の運営)

2011 - 2015 OIST 研究支援ディビジョン / 生物研究支援セクション、マネジャー

(生命科学系に利用される共用機器施設の運営)

2010 - 2011 沖縄科学技術研究基盤整備機構、研究支援課 課長

(OIST の研究支援組織の基礎の構築と運営)

(研究職歴)

2005 - 2009 沖縄科学技術研究基盤整備機構、G0 細胞ユニット、グループリーダー

2004 - 2005 科学技術振興機構(JST)、新大学院大学先行研究事業、

G0 細胞ユニット、グループリーダー

「細胞が成長・増殖しない静止期に誘導・維持される制御機構の研究」

1994 - 2004 かずさ DNA 研究所、染色体機能領域第一研究室、研究員

「減数分裂前期の染色体組換えのため相同染色体が対合する機構の研究」

1993 - 1994 日本学術振興会(JSPS)、特別研究員

「細胞周期制御におけるタンパク質脱リン酸化酵素 Ppe1 の役割の研究」

(注1)今回このような機会を提供していただいた、ピーター・グルース学長をはじめとしてOISTおよびその教職員の皆さん方には感謝申し上げたい。

(注2)この点については、次の記事等を参照のこと。

「OISTのスバンテ・ペーボ教授がノーベル賞を受賞」OISTのHP 2022年10月3日

「沖縄の大学院『東大超え』論文実績のなぜ――領域の垣根を崩す研究環境」 yahooニュース 2020年3月3日

(注3)分裂酵母は、「学術名をSchizosaccharomyces pombeといい、東アフリカの地ビール(スワヒリ語でpombe)から単離されたことでこの呼び名があります。出芽によって増殖する一般的な酵母とは異なり、高等生物のように分裂し、染色体構造にも高等生物細胞と類似性が見られる変わり種の酵母です。」(出典:「開発ストーリー紹介:タンパク質製造技術」 AGCのHP)

(注4)これは、「プロフェショナル・ディベロップメント&インフルーシブ・エクセレンスセンター(C-HUB)」のこと。

一般社団経済安全保障経営センター研究主幹

東京大学法学部卒。マラヤ大学、イーストウエスト・センター奨学生として同センター・ハワイ大学大学院等留学。日本財団等を経て、東京財団設立に参画し同研究事業部長、大阪大学特任教授・フロンティア研究機構副機構長、自民党系「シンクタンク2005・日本」設立に参画し同理事・事務局長、米アーバン・インスティテュート兼任研究員、中央大学客員教授、国会事故調情報統括、厚生労働省総合政策参与、城西国際大学大学院研究科長教授、沖縄科学技術大学院大学(OIST)客員研究員等を経て現職。㈱RSテクノロジーズ 顧問、PHP総研特任フェロー等兼任。大阪駅北地区国際コンセプトコンペ優秀賞受賞。著書やメディア出演等多数

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