義務的パリテ制の導入で、政治のプレイヤーを代えよう
最近日本はどうしてしまったのだろうかと思う。
確かに、日本は、安定していて、ある意味「居心地のいい社会」だ。この居心地のいい社会や環境を今のまま今後とも維持できるのであれば、それはそれでいいのかもしれない。
だが、この30年の世界の大きな変化のなかで、日本は相対的にまた急速にその存在感を失ってきており、その結果自国の社会を支える基盤を崩してきてしまっているように感じざるをえない。そのように考えると、今のままでは、今の日本も守れないと思う。
他方で、今の日本は、国際社会の激動ともいうべき大きな変化のなかで、「変化をすることをしない国」、否「変化を忘れてしまったような国」になってきている。日本は、1970年代、80年代は政府主導の経済成長や日本型経営等で、世界を席巻し、日本経済はそのうちに米国経済をも超えて、世界一になるかのような勢いがあった。当時は、日本はダイナミックに変化し、動いていたのだ。ところが日本そして日本人は、その変化の中で、「日本こそは世界一の国」と考えるようになり、慢心したのかもしれない。そして、いつしか学ぶことをしなくなり、学ぶことを忘れてしまったようだ(注1)。
筆者は、社会や国が単に経済が拡大したり成長したりすることだけが良いことであると考えているわけではない。しかし、世界が大きく変貌するなか、社会や国もその変化に応じて変わっていかなければならないと考えている。歴史的にみても、変化できない社会や国はなくならざるを得ないのが鉄則ではないかと思う。
その意味から考えると、現在の日本は、今後を考えると非常にヤバい状況にあるのではないだろうか。
2000年代のはじめごろは、筆者も、今となれば自虐的に聞こえるが「日本を変えられる」と考えていた。そしてその後も、2009年の政権交代の頃までは、日本は、いろいろな問題・課題はあるが、何とか変わっていける、まだまだ成長できるのではないかと考えていた。だが、その後をみると、日本はそれまでの延長のなかでの微調整に終始し、変化に対応できるように大きく変わることができず、世界の他の国や社会・地域との相対的関係においてズルスルと力を低下させてきていると感じるのである(注2)。
筆者は、上記のような状況における認識から、日本の現在の環境や状況の微調整だけでは今後はさらに厳しい状況に直面せざるを得ないと考えている。
筆者は、政治や政策形成が専門であるので、本記事では、その分野での日本での変化にフォーカスして論じていきたい。
では、どうするか?
その手始めでかつ有効なのは、政治のプレイヤーを大きく変えることだ。
現在の日本の政策形成、特に立法(国会)にはあまりに多様性がない。国会議員の職歴、学歴そしてジェンダーなどにおいてあまりに多様性がないのだ。そこで、日本の政策や政策形成の在り方を変えるという意味で、まず一点突破的にいえば、国会議員の半数を女性にするようにすべきだろう。
拙記事「国政で女性議員約5割を実現するメキシコに学ぶ女性の政治参画(下)」でも述べたように、日本でも、政治分野における男女共同参画の推進に関する法律(2018年5月23日公布・施行)およびその改正(2021年6月16日公布・施行)が行われ、「衆議院、参議院及び地方議会の選挙において、男女の候補者の数ができる限り均等となることを目指すことなどを基本原則とし、国・地方公共団体の責務や、政党等が所属する男女のそれぞれの公職の候補者の数について目標を定める等、自主的に取り組むよう努めることなどを定めています」(注3)となっているのである。
しかし、単なる努力規定となっており、列国議会同盟(Inter-Parliamentary Union[IPU])によれば、2022年1月時点で、女性国会議員比率において、日本は、世界189か国中166位(女性は、衆議院465議席中45議席、割合で9.7%、参議院242議席中56議席、割合は23.1%、なお2021年10月の衆議院選挙が最新)となっている。女性国会議員比率においては、OECD先進諸国の中で最下位であり、全世界的にみても「後進国」といってもいい状況にあるのだ。
では、どうすれば、日本の立法府である国会の女性議員比率を大幅に増やせるだろうか。
それは、現状のように努力規定だけではダメであり、短期間で国政での女性議員半数を実現できたメキシコなどのように(注4)、各政党に国政選挙の候補者の半数は必ず女性にするように厳格に義務付けるようにする(つまり義務的パリテ制の導入)しかないだろう。
日本は、メキシコのように女男の正候補者・補充候補者によるペア(異性間ペアリング)の仕組みはないので、各政党に、小選挙区では候補者の半数は女性、比例選挙区は男女が交互に候補者名簿に掲載されるように義務付けるのである。そしてそれができない政党は政党とは認めず、選挙に出馬できないようにするのだ。
このような制度を提案すると、「議員を担える女性候補がいない」「女性は出産や育児・家事などがあり行動や時間に制約がある」というような意見がでる。だが、議員は、飽くまでも社会の現状を映し出す鏡であり、民主主義社会では制約も含めた多様性が政策形成過程や政治に活かされることこそが重要であるので、誰でもが議員になって問題ないはずなのである。またもし政治に関わる上で制約があるなら、政治や政策形成過程そのものやそのプロセスを変更して、女性も関われるような仕組みに変更していくべきだろう。
そしてこのようなパリテ制導入に対しては、それでは男性等が選挙に出にくくなり、「職業選択の自由に反する」という議論がなされることがある。だが、議員とは、一般的な職業と同じなのだろうか、そもそも社会を運営していくための役割であり、社会を反映する制度に過ぎず、考えようによっては職業ではないともいえる。その意味からも、今の国会や地方議会で男性が多数を占めていること自体、実は大きな問題だともいえるのである。
筆者は、本記事において、日本の停滞および低下傾向およびその改善がみられない現状について指摘した。またその状況を変えるために、まず国政におけるプレイヤーを「変える」と共に「代える」べきであると考えた。そしてそのプレイヤー変更のために、義務的パリテ制を導入し、国政の半数を女性議員にすることを提案した。
この提案が実現しても、日本がすぐに良い方向に向かうかは定かではない。ただ確実に、日本は変化し始めると断言することができる。
今の日本を変えていくには、まずは政治のプレイヤーに変化を起こすことが重要なのだ。
(注1)日本は、歴史的にみても、絶えず学び、変化してきた国・社会であるのだが。
(注2)拙記事「棄国(キコク)…若い世代に日本を捨てる選択を迫る現状」(Yahoo!ニュース 2021年11月23日)参照
(注3)出典:「政治分野における男女共同参画」男女共同参画局HP
(注4)次の拙記事を参照のこと。
・「国政で女性議員約5割を実現するメキシコに学ぶ女性の政治参画(上)」(Yahoo!ニュース、2022年2月6日)
・「国政で女性議員約5割を実現するメキシコに学ぶ女性の政治参画(下)」(Yahoo!ニュース、2022年2月7日)