筆者は、これまで「民主主義」を現在ある政治制度として最善あるいはベター(よりまし)な仕組みであると考えてきた。しかし、近年の世界における国々の状況をみると、本当に「民主主義」が良いのだろうかという疑問も持ち始めてきていた。そのような思いや疑問も踏まえて、本記事を備忘録として記しておきたい。

 「民主主義」は、その本来の意味からすると、「人々による支配」を意味する制度であり、何かの理想があるイデオロギーではなく、社会や国・地域を決めるためだけの政治制度であるにすぎない。その意味では、「民主主義」ではなく、「民主制度」と呼ぶべきものだ。

 そのことは、現米国副大統領であるカマラ・ハリス氏が、2020年11月7日にデラウェア州ウィルミントン「チェイスセンター」で行った勝利宣言スピーチにおける次の一節にも表れている(注1)。

カマラ・ハリス米副大統領
カマラ・ハリス米副大統領写真:ロイター/アフロ

 ジョン・ルイス議員は、亡くなる前にこう書きました。「民主主義とは状態でない。それは行為である」と。そして、彼が言わんとしたのは、アメリカの民主主義は保障されているのではないということです。民主主義は、それを求めて戦うわれわれの意思の強さや、それを守り、それを当然のこととは決してみなさないわれわれの意思の強さと、同等の強さでしかありえないのです。そして、民主主義を守るのには大きな努力が必要ですし、それには犠牲が伴います。しかし、そこには喜びがあり、進歩があります。なぜなら、われわれ人民にはより良い未来を築く力があるからです。

故ジョン・ルイス議員(米)
故ジョン・ルイス議員(米)写真:ロイター/アフロ

 要は、この民主主義というものは、飽くまで「制度」であり、「理想」や「状態」ではないので、それがより有効に機能するように、絶えざる改善や努力が必要なのだ。別のいい方をすると、民主主義は、「未完の更新」であり、その政治制度を採用した社会や国の構成員、より具体的には主権者は、その制度が機能するように様々なコミットメントをし続けていくことが必要なのだ。

 しかし、これに対して、日本は、「民主主義」の導入の歴史的な経緯等から、主義・イデオロギー的な意味合いが先行しており、それが何か理想のものであるかのように考えがちだ。そのために、選挙に象徴される仕組みさえあれば、私たちは、日本は、「民主主義」の社会・国だと思いがちなのだ。その意味でも、私たちは、自分の社会へのコミットメントの必要性について的確に理解していないし、その意識や認識も低い。

代表民主制・間接民主主義はもう古い政治制度ではないか
代表民主制・間接民主主義はもう古い政治制度ではないか提供:アフロ

 欧米の国々におけるように、「民主主義」という政治制度を、その歴史や経験の中から創り出してきた国や地域では、その必要性やその認識については、ある程度は社会の根底に根付いているといえるだろう。

 他方、日本は、元々専制的な政治の仕組みであったという歴史的背景があり、第二次世界大戦の敗戦の流れから、「民主主義」が導入されたので、私たち国民は、どうしても政府や行政との距離感を感じやすいし、選挙という仕組みで自分たちの代表を選び、代表に政治や政策づくりをしてもらっていると考えがちだ。これでは、たとえ「憲法」に国民に主権があると謳われていても、私たちはその自覚や社会へのコミットメントの必要性を感じられないといえるだろう。

 その結果が、日本は「観客民主主義」の国であるといわれたり、その実態は「民主主義の国ではない」のではないかといわれたりする現状を生んでいるのだといえよう。

 しかし、筆者は、「民主主義」に対する最近の不信感から本記事を書きはじめた。だが、やはり「民主主義」が良いのだとも感じている。

 なぜかというと、それは現代社会の拡大化や複雑化にある。現在の各々の社会や国・地域は、人類の歴史上においてこれまでになく、拡大化し複雑化してきている。その社会・国・地域における問題や課題も、混迷し錯綜し、複雑に絡み合い、それらの解決は、到底特定の個人や組織だけでは対応できるものではない。

 これに対して、民主主義は人々による支配である。それらの人々の間には多様性や様々な価値観や多種多様な意見・考え方がある。つまり、多様な人々が、政治や政策形成過程に関われば、多種多様な問題・課題が政策形成過程に挙げられ、議論され、関与され、決まっていくことになる。その意味では、現時点で「民主主義」に勝る政治制度はないといえるだろう。

 だが「民主主義」は実際には、従来の代表民主主義・間接民主主義のままであれば、手間・労力や時間(しかも多くのお金も必要だ)がかかり、選挙により選ばれた代表者や政策の専門家の行政・官僚、その他の関心や意識などのある一部の人しか、政治や政策形成には現実にはなかなか関わることはできない。要は、政治や政策形成はインナーサークルの活動だったのだ。また極端ないい方をすると、社会や国・地域にもよるが、「民主主義」は、社会全体からみると政策に関わる一部のアクター・プレーヤーが形成する政策市場のオタクの活動、オタクの領域だったのだ。

テクノロジーが社会や政治を大きく変える
テクノロジーが社会や政治を大きく変える写真:PantherMedia/イメージマート

 ところが、実は、近年のテクノロジーの急速な新たな展開によって、その状況は大きく変わってきたのだ。ICT、AIやコンピュータ、ビッグデータなどの最新の技術などを十二分に活用すれば、これまでの代表民主主義や一部の政治・政策オタクだけによる政策形成でなく、一般の人々(国民や市民)が政策づくりに関わったり、数年に一度の選挙による民意の表明に代わる頻繁にかつ安価で民意を表明できる仕組みの構築も可能になってきているのである。少なくともテクノロジー的にはそういえるのである。それは、別のいい方をすれば、新しいテクノロジーを駆使すれば、複雑化した社会や国・地域においても、今だからこそ、主権者が関わり政策を創ることのできる直接民主主義的な政治に近い仕組みを実現することが可能になってきているということを意味するのである。

市民・国民の役割も大きく変わる
市民・国民の役割も大きく変わる写真:CavanImages/イメージマート

 ギリシャ時代の「民主主義」が「民主主義1.0(直接民主主義1.0)」であるなら、その後のこれまでの「民主主義」を「民主主義2.0(一部で行われていたものを「直接民主主義2.0」と呼ぼう)」と呼ぶ。そしてこれからの「民主主義」を「民主主義3.0(直接民主主義3.0)」と呼びたい。

 この「民主主義3.0」においては、市民・国民が、国・地域の主権者、中心的なアクターとして活躍し関われるように、テクノロジーが利活用された、「オープンな政策市場」(注2)が形成される必要がある(注3)。その市場においては、次のようないくつかの特徴があります。

①主体性

 この市場においては、市民・国民は、単なる政策の受け手や政策策定者・政策執行者のチェッカーや批判者ではなく、これまでとは大きく変わり、政策形成・策定や政策決定にオープンな形でコミットする者に近くなる。その意味では、個々の市民・国民の「主体性」が重要であり、その自覚と責任感を有することが求められる。

②多様性

 その市場においては、様々なアクターやプレーヤーが存在する。その場合、従来とは異なる役割や機能を担うこともある。例えば、選挙で選ばれて議員や行政・官僚は、裁判員制度における裁判官と裁判員との関係のように(注4)、「政策のプロ」として、市民の政策活動や社会活動に並走し、政策などに関わる活動に関わることになる。

 また市民・国民が、政策や社会に関わる活動により積極的に関わり、社会的に貢献できるには、彼らに情報や専門的知見をオープンな形で提供できるシンクタンク(民間非営利独立系政策研究機関)や市民活動団体などもこれまで以上に必要かつ重要になるだろう。

 いずれにしろ、その市場に、多様で様々な価値観を有するプレーヤーやアクターが、オープンな形で存在していることが必要である。

 そのためには、それらの活動や人材を支える多様で社会的なオープンな資金も必要だろう。またその市場では、人々が、官や民の間を何度もオープンに行ったり来たりでき、相互のカルチャーや言葉の違いの差も低くなっていくことが期待される。

③共有性

 政策や社会に関わるには、市民・国民の各々が、それらに関する情報に容易にアクセスしたり、その情報を良く知っていたり理解していることが必要である。そのためには、関連情報が的確に社会的にオープンに共有されている必要がある。そのオープンな共有性の向上のためにも、市民・国民、議員および行政の相互の理解・信頼と連携が必要である。

④競争性

 その市場においては、様々なプレーヤーやアクターの間、他の国・地域との関係性、狭義の政策だけでなく多種多様な政策実現や社会問題・課題の解決の手法やアイデア間の競争や切磋琢磨が生まれるような工夫なども必要だ。例えば、政府・行政などは、社会的に有用な情報やデータ(対外的に活用されやすくする公開上の工夫は必要だ)をオープンに公開し、民間はそれらを活用して、様々なアプリの開発や活動などが生まれるようになっていることなどがこれにあたる。

⑤即時性

 政策は、その成果や問題・課題が生まれるには、その形成過程も含めると、時間がかかることが多い。国政の場合には特にそうである。他方、地方や地域の場合は、その成果は比較的短期的に表れ、その作成者も含めた評価も比較的しやすい。  

 そうであれば、政策などの策定に関わる市民・国民も、モチベ-ションも持ちやすく、コミットメントへの意欲が生まれやすい。その意味からも、即時に開始し、成果が出ることを、特に地域の政策市場で試行錯誤しながら実行していき、経験を積んでいくことが重要である。

日本の政治や政策形成は大きく変わらないといけない
日本の政治や政策形成は大きく変わらないといけない写真:ロイター/アフロ

 日本における国会や行政等の現在の動きをみていると、2,30年前から時計の針が完全に止まってしまっているように感じる。少なくとも、いろいろな評価はあるだろうが、2000年代はまだ変化の兆しがあったが、今はその兆候もないように感じざるをえない。

 世界中の国々や地域をみると、問題・課題は山積し、そのどこをとっても順調にうまくいっているところはないといえる。しかし、それらの問題・課題に悪戦苦闘しながら、厳しくとも、新しいトライアルや挑戦をしながら前に進もうとしている。

 日本でも、同様の社会環境を創る必要がある。そのためには、以前からのプレーヤーやアクター以外の新しいプレーヤーを巻き込んで、オープンな「政策市場」を創り、新しい政策形成の仕組みを構築する必要がある。

 そのためのキーは、やはり「テクノロジー」であり、それを活かしていく「市民・国民」だといえる。

(注1)『バイデン&ハリス勝利宣言』(朝日出版社、2020年)p33参照。なお、ジョン・ルイスは「キング牧師らとともに1960年代の公民権運動で指導的役割を果たす。その後、南部ジョージア州選出の連邦下院議員(民主党)に当選し、1987年から2020年まで連続17期務めた。2020年7月80歳で病没」(同上書 p12)で、キング牧師たちと共に黒人たちの公民権獲得のために戦った「最後の生き残り」としても知られている。

(注2)政策市場とは、政策形成に関して、「政策[案](研究成果の情報)」を商品ととらえ、それに関わるアクターやプレーイヤーをその売り手と買い手と考えて、ある意味の市場が成立しているという考え方のこと。

(注3)次の資料や情報を参照のこと。

『未来政府…プラットフォーム民主主義』(ギャビン・ニューサム、東洋経済新報社)

「【動画あり】デジタル民主主義って何?電子投票、高齢者スマホ教室…市民主体の新しい政治や政策の仕組みを考える」(東京新聞WEB 2021年11月18日)

「デジタル民主主義…今こそ、新しい政治制度の構築を!」(鈴木崇弘 Yahoo!ニュース 2021年9月10日)

(注4)裁判員制度とは、「刑事裁判に、国民のみなさんから選ばれた裁判員が参加する制度です。裁判員は、刑事裁判の審理に出席して証拠を聞き出し、裁判官と対等に論議して、被告人が有罪か無罪か(被告人が犯罪を行ったことにつき「合理的な疑問を残さない程度の証明」がなされたかどうか)を判断します。「合理的な疑問」とは、みなさんの常識に基づく疑問です。常識に照らして、少しでも疑問が残るときは無罪、疑問の余地はないと確信したときは有罪と判断することになります。有罪の場合には、さらに、法律に定められた範囲内で、どのような刑罰を宣告するかを決めます。裁判員制度の対象となるのは、殺人罪、強盗致死傷罪、傷害致死罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪などの重大な犯罪の疑いで起訴された事件です。原則として、裁判員6名と裁判官3人が、ひとつの事件を担当します。」(出典:日本弁護士連合会HP 閲覧日:2022年1月5日)