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韓国の記録映画『きらめく拍手の音』のボラ監督に聞く〈前編〉ろう文化の中で生きる、ジェンダーへの視点

巣内尚子研究者、ジャーナリスト
イギル・ボラ監督。筆者撮影。

6月10日からポレポレ東中野で公開される韓国の記録映画『きらめく拍手の音』が注目を集めている。ろう者の親をもつ聴者の子ども「コーダ(CODA、Children of Deaf Adults)」であるイギル・ボラさん(26)が監督をつとめ、自身の家族の姿をとらえた。カメラがうつし出した“ろう者の家族”のあり方は、ろう者が持つ豊かな文化に加え、異なる文化を持つ人たちがともに生きていくことの可能性を示唆する。筆者は今回、こうした気づきをくれたボラさんをインタビューした。今回はその前編を掲載する。

◆ろう者の文化、手話による世界

イギル・ボラ監督の両親。記録映画『きらめく拍手の音』から。
イギル・ボラ監督の両親。記録映画『きらめく拍手の音』から。

――この映画から、ボラさんが最初に覚えたのは音声言語ではなく、手話だったと知りました。ボラさんの家族にとって手話でのコミュニケーションが普通のことだったと思います。子どものころ、手話でのコミュニケーションの世界と、音声言語によるコミュニケーションの世界が違うことをどう感じていましたか。

ボラさん

子どものころはその違いを正確には分かっていなかったと思います。でも、自然と、子どものころから(両親と音声言語を使う人の)通訳をするということが、私の役割だったんです。だから、それを自然に、流ちょうに、分からないながらに、やっていたんだと思います。

ただ、そのたびに、ちょっとおかしいなと思ったところはあったんですね。なぜかというと、私の両親が言っていることを音声世界の人に伝えたときに、なんて言いますか、偏見とでも言いますか。

私は単に言語と言語の媒介、そして一つの文化とまた違う文化の間で通訳をしていただけだったんですけど、でも、それを私が伝えるたび、音声言語を使う人たちというのは、「ああ、あの人たちはなにかこう欠如した言葉で話している」、何かが足りない言葉を使って話をしていて、その人たち自身もどこか欠如している、この人たちは障がい者なんだという認識を持ったようなんです。

そして、また、そういう人たちはとても憐みの目でこっちを見たりとか、同情の目で見たりとか、ある時にはポケットから500ウォン玉を出して握らせてくれるとか、または「あなたは良い子でいなければいけないんだよ」とかいうことを言われたりしました。

そのたびに私は、私が考えている両親の世界と、周りの人たちが見ている両親の世界は違うんだな、どうして違うんだろうっていうふうに、ずっとそういう疑問符がついてまわっていました。

◆ろう者への「距離」を映画が縮めた

イギル・ボラ監督の手。両親と手話によるコミュニケーションしてきた。筆者撮影。
イギル・ボラ監督の手。両親と手話によるコミュニケーションしてきた。筆者撮影。

――映画を公開後、どんな反応がありましたか。

ボラさん

日本の社会に比べると、韓国社会のほうが障がい者に対する偏見だったり、自分の人生の領域に障がい者の人たちが入っていくということに対し、まだまだ立ち遅れているところがあると思います。

私が子どものころから見てきた様子というのは、道端でろう者の人、それから身体の不自由な人たちが一緒に出会って道を歩いているという感じではなく、そういう人たちは施設に入っていたり、隔離されたり、あるいはそういう人たち同士で生きていたり、あまり外に出ないで家の中ばかりにいるっていう、そんな感じの光景が多かったんですね。

だから、子どものころから私は、私の両親がどんな人かっていうことを説明するのが本当に大変で、苦労したんですよね。私の両親は音声言語ではなく、顔の表情を使って、こんなふうにおいしいってことを表現する人たちなんですよって、いくら説明してもやっぱり相手は実生活でろう者の人に会ったことのない人たちばかりでしたから、なかなかわかってもらえなかったんですね。

そして、この映画を観た後でみなさん口を揃えてびっくりしたと言っていたんです。映画を観たら、ここに出てくる人たちは近所のおじさん、おばさんみたいだ、隣の家に住んでいるおじさん、おばさんみたいだっていうことで、その距離感が一気に縮まったということを言ってくれたので、すごく嬉しかったですね。

これを観た大勢の人たちが、「ああ、ろう者の人はこんな生活をしているんですね」とか、「ちょっとこういう違う感覚を持って、でも私たちと同じ世界を生きているんですね」っていうふうにみなさん思ってくれて、それぞれみなさん発見があったようなんですね。

それから、「地下鉄で手話をしている人たちを見ると、自分もなにか話しかけてみたいなというふうに思ったり、関心を持ちました」と言ってくれる人や、実際に手話を勉強し始めた人たちもなかにはいたんです。だから、そういうお話を聞くと、映画というのはただ観て終わるのではなくて、その先があるんだなと思いました。人々を動かすことができる、人々の心だけではなく、体も動かすことができて、そしてまた距離感を縮めることができる。自分はそういう仕事をしているんだなと知って、個人的にすごく嬉しかったですね。そういう反応を見ると、すごく嬉しいです。

◆社会の主流と異なる家族の在り方

イギル・ボラ監督の父(左)と弟。記録映画『きらめく拍手の音』から。
イギル・ボラ監督の父(左)と弟。記録映画『きらめく拍手の音』から。

――映画の中で、お父さんが料理をするなど、家事をしているんですけど、これは韓国の社会ではよくあることなんですか。

ボラさん

よくあることではないです。この映画はいろいろな見方がなされ、いろいろな方式でみなさん読み解いてくれたんですが、私の両親の世代の人たちがこの映画を観たときに、「えー、あの家では、父親が料理をしているんだ」と思って、びっくりしますね。韓国は家父長的な部分が残っていますので、私の両親の世代では男性があんなふうに家事をするというのはめったにないことなんです。

――なぜお父さんは家事をするのですか。

ボラさん

やはり、私の家庭の場合では、韓国社会の文化とまた違った文化を持っている家庭でしたので、伝統だったり、家父長的な部分だったり、時代の流れだったり、そういうのからはちょっとかけ離れていたと思いますね。

だから、普通だったら、妻は夫に尽くすとか、夫に従順に従うとかいうようなことがあると思うんですけど、父親は父親の役割、母は母の役割、娘は娘の役割っていう、あんまりそういうのにとらわれていなかったと思います。全員が対等な関係でいたと思います。

韓国社会だと、私が子どもであり、娘でありますから、父親の言うことを聞く、母親の言うことを聞くというのが、当たり前のように考えられているんですけど、うちの場合は私が子どものころから通訳をしてきたし、私が大人になるのも早かったんです。だからあるときには私が出した意見が両親の出した意見よりも強く反映されたりとか、時には私が両親に対して何かを教えてあげたりするということもよくありました。

◆ジェンダー役割に縛られなかった私の家族

イギル・ボラ監督。筆者撮影。
イギル・ボラ監督。筆者撮影。

――映画の中でボラさんたちが赤ちゃんだったころ、ご両親の不安は赤ちゃんの泣き声が聴こえないことでした。そんな中で、音がかすかに聴こえるお父さんが夜中に赤ちゃんの授乳をしていたんですけれど、そういうあり方も固定的・家父長制的な父親や夫の役割に縛られない、そうしたお父さんのあり方に関係しているのかなと感じたんですが。

ボラさん

韓国文化の中で音声言語を話す人、絶対的多数で、いわゆる大衆と呼ばれている人たちがいますよね。でも、私の場合は別の言語を使っている、いわば、少数民族として生きてきたと思うんです。

だから、私の家庭の中では、一般の韓国文化とは違う生活様式で自然に暮らしてきたと思います。男性はこうでなければいけない、女性はこうでなければいけない、っていうことがほとんどなかったと思うんです。もちろん多少はそういうことが家族の構成員の中で影響はあったと思いますが、あまり縛られていなかったですね。

今、家族にとって何が必要かを考えて、それを自らがしていたといえると思います。韓国文化がこうだから、こうはしてはいけないとか、これはしないといけないとか、そういうのではなく、あくまでも家族の中で必要なことを各自がするという、時代に流されたりとかもなく、してきたと思います。

◆誇らしかった父のお弁当

記録映画『きらめく拍手の音』の一コマ。
記録映画『きらめく拍手の音』の一コマ。

ボラさん

子どものころに面白い話がありました。私が中学校に通っていたころ、夜間自習っていいますかね、夜まで残って自由に自習をするという時間があったんですが、その時のためにお弁当を持っていかなければいけなかったですね。その当時、私の両親は2人とも仕事をしていたんですが、母が朝早く起きるのが苦手だったので、母は遅くまで寝ていて寝坊をして、父のほうが映画の中であったように早く起きて何か料理を作ってくれたりとか、前日に母が作っておいてくれた汁物を温めてくれたりとかしていたんですね。

ある日、父が料理をすることになったんですが、料理をするといっても、普段は母がメインでやってきて、父の場合は朝ごはんしか、実はあまりやっていないんですね。そのときに、韓国式のお雑煮を作ってくれたんですけど、お雑煮を作るためにまずお水を入れて、それを沸かしますよね。その後にお餅を入れて、ねぎを入れて、卵を入れて出してくれたんですよ。でも、本当においしくなかったんですよ。実はちゃんと出汁をとってやらなければいけなかったのに、ただお湯を沸かしてお餅とねぎと卵を入れただけなので当然まずいですよね(笑)。でも、せっかく父が作ってくれたっていって、みんななにも言わずにそれを食べたんですね。

それにまた、父がお弁当を作ってくれたこともありました。そして、たまに父が得体の知れない、本当にもう何がなんだかわからないようなおかしなお弁当をつくってくれて、学校に行って、そのお弁当のふたを開けたときに、まわりの子たちが、「なにこれ?」って言ってきたんです(笑)。

そのとき、「これはうちの父がつくってくれた」って言ったら、みんなびっくりしてくれたんです。「あなたの家ではお父さんがお弁当つくるの」って言って、びっくりしていました。でも、それがすごく誇らしかったです。(韓国の記録映画『きらめく拍手の音』のボラ監督に聞く〈後編〉に続く。)

<ドキュメンタリー映画『きらめく拍手の音』>

ろう者の父母の姿を娘の視点から写したドキュメンタリー映画。韓国で2015年にロードショー公開された。山形国際ドキュメンタリー映画祭り2015「アジア千波万波」部門で特別賞受賞。6月10日からポレポレ東中野で公開される。東京以外では大阪/第七藝術劇場、愛知/名古屋シネマテーク、神奈川/横浜シネマ・ジャック&ベティで上映予定。

公式サイトhttp://kirameku-hakusyu.com/

<イギル・ボラ監督>

1990年生まれの26歳。両親はろう者であり、自身は「コーダ(Coda、Children of Deaf Adults)」。高校の途中で東南アジアを旅し、その経験を描いた映画『Road-Schooler』 (2009年)を制作した。2009年に韓国国立芸術大学に入学し、ドキュメンタリー映画の制作を学ぶ。

研究者、ジャーナリスト

東京学芸大学非常勤講師。インドネシア、フィリピン、ベトナム、日本で記者やフリーライターとして活動。2015年3月~2016年2月、ベトナム社会科学院・家族ジェンダー研究所に客員研究員として滞在し、ベトナムからの国境を超える移住労働を調査。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了(社会学修士)。ケベック州のラバル大学博士課程に在籍。現在は帰国し日本在住。著書に『奴隷労働―ベトナム人技能実習生の実態』(花伝社、2019年)。

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