DV被害者やシングルマザーを支援するフィリピン人女性たち【後編】”女性”であることの困難と連帯の力
世界的にみて女性の地位が低く、政治や経済を中心の女性が男性よりも劣位に置かれている日本だが、その中でも外国出身の移住女性たちは女性であるだけではなく、外国出身者ということでさらに不利な立場に置かれやすい。私は、前回、埼玉県を中心にフィリピン人女性をはじめとする移住女性の支援を行う団体「KAFIN(カフィン)」について伝えた。国際女性デーを迎えた今日3月8日、カフィンの成り立ちを見ることで、移住女性の状況をさらに掘り下げ、女性の直面する課題について考えたい。
◆紛争地域での経験を日本での支援に生かす
カフィンはフィリピン出身の長瀬アガリンさんが立ち上げた団体だ。
なぜ彼女はカフィンを設立したのだろうか。
カフィン立ち上げの経緯には、アガリンさんがフィリピンの南部ミンダナオ島の生まれであることが影響を与えている。
ミンダナオ島はフィリピンでマニラ首都圏のあるルソン島に次いで大きな島で、農業や漁業が盛んな地域だ。大規模なプランテーションが立地する。
かつて日本人がミンダナオ島のダバオで麻の栽培を手掛け、日本人街もあったなど、日本にゆかりの深い島だ。
また、ミンダナオ島はフィリピンの「国民的英雄」と呼ばれるボクサーのマニー・パッキャオ氏の出身地でもある。
さらに、「麻薬戦争」とそれによる超法規的殺人や米国と距離を置く政策で国際的に注目されるフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領が、ミンダナオ島のダバオ市の市長を長年務めたこともよく知られている。
一方、ミンダナオ島は、モロ・イスラム解放戦線(MILF)や新人民軍などの反政府勢力とフィリピン国軍の戦闘が続いてきた「紛争」の島でもある。
私はかつて、フィリピンのマニラ首都圏で1年ほど働いていたことがある。近代的なオフィスビルや商業施設が立地するマニラ首都圏にいると、ミンダナオ島の紛争のことがどこか遠いところでの出来事のように感じられることもあったが、実際にはマニラ首都圏にいてもミンダナオ島での紛争のニュースに接することは少なくなかった。
農業や漁業資源に恵まれたミンダナオ島だが、紛争が続く中で開発が進まずに貧困にあえぐ地域が残されている。フィリピン人にとって特別な存在であるパッキャオは、ミンダナオ島の貧しい地域の出身だという。「英雄」として常に注目を集め、政界にも進出したパッキャオだが、彼の出自がフィリピンの一般の人たちの琴線に触れるのだろう。
アガリンさんはそうしたミンダナオ島のジェネラルサントスで1963年に生まれた。
アガリンさんはこのミンダナオ島で生きていく中、紛争により傷つけられたり、家を失ったりした女性や子どもをみてきた。そうした人々を支援するため、アガリンさんは1980年代から10年以上にわたり紛争で被害を受けた女性を支援する女性センターで働いた。そして、紛争によって家族を亡くしたり、攻撃を受けて傷ついたりした女性たちをサポートする中で、女性に対する支援活動の知識やノウハウを身につけていったのだ。
その後、アガリンさんはボランティアでフィリピンに来ていた日本人男性と結婚し、1996年に来日した。
アガリンさんは当初、日本に多数のフィリピン人女性がいることを知らなかったというが、日本で暮らすうちに、フィリピン人女性の中に様々な困難を抱えている人がいることを知った。
中でも彼女が衝撃を受けたのは、DVの被害に遭い苦しんでいる女性たちだった。
フィリピン人女性たちの中には日本人のパートナーと良好な関係を構築している人がいる一方で、DVを受けるなど傷ついた人たちがいたのだ。
ミンダナオ島で女性の支援を行ってきたアガリンさんは、女性たちを放っておくことができず、1998年に埼玉県にカフィンを立ち上げ、活動を開始したのだった。
当初はフィリピン人が多く暮らす川口市を中心に活動してきたが、後に同じ埼玉県の飯能市にも活動を広げた。川口市よりも都心から離れた飯能市は、在住する外国出身者はそう多くないものの、それゆえに外国出身者が孤立しがちになっていることが分かったためだ。
◆入間市にも活動広げる、「相談先がない」外国出身者
その上、カフィンはその後、活動を入間市にも広げた。入間市は川口市ほどではないが、一定のフィリピン人が住んでいるため、カフィンの活動のニーズがあったのだ。
入間市は埼玉県南西部に位置する市で、狭山茶の生産で知られるほか、市内には複数の工場が立地する。また、西部池袋線で池袋まで40分弱で行けるため、都心への通勤圏になっている。
入間市駅をおり、コンビニエンスストアや中華料理店などが並ぶ駅前のロータリーを通り過ぎ、歩いていくと、近くには団地やマンションが立ち並ぶのが目に入ってくる。団地の各部屋のベランダには洗濯物が干してあり、敷地内では小学生くらいの女の子たちが縄跳びをしているのが見える。
さらに進むと、県立高校が見えてくるほか、周囲にはファッションセンター「しまむら」の店舗や、地元名産の狭山茶を売る店などがロードサイドに立ち並ぶ。都市周辺の郊外のまちといったイメージが浮かんでくる。
一方、入間市による「平成27年度外国人市民意識調査報告書」によると、入間市は平成28年1月1日時点で総人口が14万9,593人で、このうち外国人市民は1,565人で、全体の約1%を示している。
大都市部に比べれば外国人の数も割合も小さいものの、市内の総人口が減少傾向にある中で、外国人市民の人口は増加しているという。
入間市に在住する外国人市民の国籍は50か国以上に上り、国籍別人口では中国が最多の530人、これにフィリピンが261人、韓国・朝鮮が153人、ベトナムが106人、ブラジルが92人、ペルーが86人、タイが61人と続いている。
ただし、外国人市民の中には、困ったことがあっても相談先がないケースがある。
先に挙げた「平成27年度外国人市民意識調査報告書」をみると、この調査での「仕事で困っていることは何ですか」「病気やけがで困っていることはありますか」「子育てで困っていることはありますか」という質問に対し、「相談するところがない」と回答している外国人市民が一定数存在していることが分かる。
そんな中で、入間市に暮らすフィリピン人女性を中心とする外国出身者にとってカフィンのような活動は重要なものとなってくるだろう。
◆時代とともに変わる支援のニーズ、「デカセギ」から生活者へ
では、カフィンではこれまで、具体的にはどのような支援を行ってきたのだろうか。
日本にはフィリピンからやってきた人たちが多数暮らす。
在日フィリピン人の多くは女性で、中でも、かつて「興行」の資格で来日し、エンターテイナーとして各地のパブなどで働いていた人たちが少なくない。
そうした女性たちは後に日本人男性と結婚し、日本を生活の拠点としていった。
そんな中で、カフィンへの相談は多様化している。
1998年にカフィンが立ち上がった当初は、DVや離婚などの相談が多かった。日本人男性のパートナーから暴力を受けた女性たちがカフィンにSOSを求めてきた。相談は埼玉県だけではなく、日本全国から舞い込んできた。
DVの被害者を救うためにアガリンさんはシェルターを設けて、女性たちを受け入れてきた。
DVの被害にあった女性たちはまず身の安全を確保するために、男性のもとから逃げる必要がある。
そして、とりわけ既婚女性たちは逃げてきた後に、離婚交渉をすることになる。ただし、関連する日本の法知識や難しい日本語の法律用語を知らないフィリピン人女性にとって離婚交渉のハードルは高い。そのためカフィンではこうした離婚の手続きや交渉を支援してきた。
さらに離婚後、子どものいる女性たちはシングルマザーとして、この日本で子どもを育てることになる。
しかし、日本人でもシングルマザーは経済的に厳しい状況に置かれる中で、フィリピン人のシングルマザーはよい仕事に就くことが難しく、経済的な苦境に立たされてしまう。
同時に、日本という制度の異なる外国で子どもを育て、教育を受けさせるのも容易ではない。保育園の申請方法や、学校の手続き、子ども勉強などに、経済的課題を抱える外国出身の母親が1人で対処するのは生半可なことではないだろう。
そのため、カフィンにはこうしたシングルマザーから仕事や子育て、行政手続きに関する相談も来るようになった。
一方、「興行」ビザにより来日したフィリピン人女性が売春をさせられたり、人身取引の被害にあったりする事件が続き、アメリカ政府などからの批判が高まったことから、「興行」ビザの発給が厳格化された。
その後、カフィンには人身取引の被害に遭ったフィリピン人女性から助けを求める相談が入るようになった。そうした女性たちは人身取引され、日本で売春を強制された人たちだった。「興行」ビザによる来日が停止した一方で、今後はフィリピン人女性を人身取引により日本に連れてきて、売春させるというケースが出てきているのだ。
このためカフィンでは、警察と連携するなどし、人身取引の被害に遭った女性たちの支援を行っているという。
このような活動はアガリンさんが無償のボランティアとして中心的に活動しているのに加え、そのほかのフィリピン人女性とともに、日本人も支援にかかわることで成り立っている。フィリピン人女性にとどまらず、日本社会も巻き込む形で活動が続けられている。
◆女性共通の課題:家事労働と稼得を得る仕事、外国出身者特有の課題も
これまでのカフィンの活動をみていくと、日本人の女性が抱える課題との共通点に加え、外国出身者ゆえの課題とが浮かび上がってくる。
いくつかある日本人との共通点として重要なものは、特に家族を持つ女性たちが家事労働と稼得を得るための仕事の両方の負担を背負っていることがある。
アガリンさんは「入間市も飯能市でもフィリピン人女性の多くは来日後に日本人男性と結婚した人たちで、彼女たちは現在、家庭を持ちながら、地元のお弁当工場で働いている人が多い。女性たちはお弁当工場で働くなど外で就労して所得を得つつ、家のこともしており、仕事と家事の二重の義務を背負っている」と話す。
アガリンさんによると、フィリピン人女性の多くは就労しており、専業主婦は少ない。主婦業をしている人がいたとしても、それは産後の一定期間に限られていることが多く、大半のフィリピン人女性は家計を支えるために働いているという。
フィリピンから日本にやってきた女性たちの多くは、もともと家族を支えるために来日した人が多い。来日後は故郷の家族のために就労を続け、さらに日本人男性と結婚後も日本の家族とフィリピンの家族の両方を支えることが求められ、働き続ける人が多いようだ。
そうした暮らしの中で、DVや離婚の問題に直面する女性がいる上、大半の女性は家事労働と稼得を得るための仕事の両方の義務を追う。
また、3月5日に入間市で開かれた国際女性デーを祝うカフィンのイベントで司会を務めたメキシコ出身の女性は、「日本人の女性も働いている人が多く、外での仕事と家の仕事の二重の義務を負っているが、外国出身の女性はその上で、さらに日本語能力の問題があったり、日本の法律を知らなかったりするという問題を抱えている」と指摘する。
外国出身の女性たちは、言葉も法律も違う日本に来て、この土地で収入を得るための仕事をしながら、家事や育児など家庭内での仕事に追われる。そうした暮らしの中、言葉や法律関連の知識の不足から、困難にさらされることがでてくるのだ。
このように、フィリピン人女性をはじめ外国出身の女性たちは女性であることに加え、外国出身者ということで、不利な立場に置かれやすい。
だが、そうした課題がある中でも、カフィンに集う移住女性たちは、女性の地位が依然として低く、外国人への差別が残る日本で、なんとかして状況を改善させようとして取り組んでいる。 日本に暮らすマイノリティーの女性たちの課題と、彼女たちの取り組は、日本の社会とそこに暮らす私たちに女性の課題とそれへの取り組み方、そして状況を改善するためのヒントを提示している。(了)