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サッカーの競技性、歴代の日本代表と5バックとの関係。“それでも”なお、森保監督は継続するつもりか

杉山茂樹スポーツライター
(写真:なかしまだいすけ/アフロ)

 ドイツに4-1、トルコに4-2で勝利した日本代表。だが筆者は森保采配を持ち上げる気にはなれない。今回もドイツ戦の後半から披露した5バックで守りを固める守備的サッカーに賛同できかねるからだ。それはなぜか。

 ドイツは日本に1-4で敗れると試合後、ミックスゾーンである選手が日本をこう評した。「世界のトップ10に入れるくらいのレベルにある」と。敗者が日本を持ち上げたくなる気分はよく分かるし、日本がそれほどまでランクを上げてきていることも事実だろう。

 世界からサッカー後進国として扱われた時代は終わりを告げたと見る。

 日本が初めてW杯本大会に出場したのは1998年フランス大会だ。マレーシアのジョホールバルで行われたそのアジア地区プレーオフでイランを破り、悲願の初出場を決めたのはいまから26年前の話になる。当時の日本は2002年に日韓共催のW杯を控えていて「W杯本大会に出場したことのない国がW杯を開催した過去はない」というサッカーの世界史に苦しめられていた。

 アジア予選突破は世界が日本に課したミッションだった。日本は最後の最後で試験に合格。いま振り返れば、絶対に負けられない戦いとばかり、岡田武史監督が5バック同然の守備的サッカーを実践したのは致し方ないことに思える。

 2002年日韓共催W杯も日本は「開催国が最初のステージを突破できなかった過去はない」というサッカー史の呪縛に苛まれていた。グループリーグ突破が至上命令だった。トルシエ監督のサッカーが5バック同然の守備的になったことを、いまあまり責める気は起きない。

フィリップトルシエ(左)
フィリップトルシエ(左)写真:ロイター/アフロ

 フラット3と称されたその3バックはフラット5同然だった。2001年4月、スペインとのアウェー戦に臨んだトルシエは試合前、恥も外聞もなくフラット5を宣言。ひたすら守り倒す作戦に出た。

 全く噛み合わない試合を90分間見せられることになった。「日本はスペインまで守りを固める練習に来たのか」と、スペインの知人記者から痛烈な皮肉を浴びせられたものだ。結果は0-1。スペインに一方的に攻められながらも最少失点差で敗れると、トルシエは「あとは攻撃的精神を持って臨めば……」と、敗因を選手の精神論に転嫁した。自らの采配が招いた構造的な問題であるにもかかわらず、論点をスリ替える小ずるいやり方で自らの立場を守り、知識の浅い当時の日本人を丸め込もうとした。

 その術中にまんまと嵌まることになった日本のメディアを当時、筆者は嘆いたものだが、これも21年前の話だ。トルシエジャパンは2002年W杯でベスト16に進出。なんとか体裁を取り繕うことができた。しかし、2006年ドイツW杯では再びグループリーグ最下位に沈む。監督はジーコで、サッカーも5バックとプレスの掛かりにくいブラジル式4バックの併用だった。この頃の日本は様々な点で後進国然としていた。

 高い位置からボールと相手を追いかけるプレッシング及び攻撃的サッカーの概念が、日本に本格的に入ってきたのは2006年、イビチャ・オシムが代表監督に就任してからになる。オシムは事実上の5バックで守ろうとする守備的サッカーについて「監督の保身。それはチームではなく、自らを守るための戦術だ」と斬って捨てた。

 オシムも就任当初、3バックで何試合か戦っている。しかし岡田、トルシエ、ジーコさらには今日の森保一監督が採用する3バックとは、コンセプトを決定的に異にしていた。その差に気づくことができる人は当時、僅かしかいなかったが、いずれにしてもサッカーそのものは、オシムの監督就任を機に日本代表のサッカーは欧州のスタンダードに、グッと接近することになった。

イビチャオシム
イビチャオシム写真:YUTAKA/アフロスポーツ

 プレッシングは1980年代後半、イタリア人指導者、アリゴ・サッキによって提唱された戦術だ。「1974年W杯でオランダが披露したトータルフットボールの延長上にある考え方」とは、サッキ本人から聞かされた話になる。

 最終ラインを高く保ち、できるだけ高い位置でボールを奪い、相手の陣形が整わぬうちに攻めきろうとするサッカー。一言でいえばそうなる。選手たちは当初、相手にプレスを掛けられるとボールをあっさりと失った。ゲームの見映えはおのずと悪くなった。サッカーが汚くなる。サッカーを壊す気かとプレッシングを歓迎しない声が渦巻いた。

 しかしその頃、イタリアをはじめとする欧州に頻繁に通っていた筆者は、次第にサッカーの変化を実感することになった。訪れるたびに選手の技量が上達していることに気づかされた。パスはみるみる繋がるようになった。相手選手に四方を囲まれても簡単に奪われない、密集に強い中盤選手が欧州に増えていった。高い位置での撃ち合いが選手の技量上達を促し、試合そのものも必然的に面白くなった。サッカーの競技性は、攻撃的サッカー対攻撃的サッカーによってワンランク上昇した。

 プレッシングはノーベル賞級の発明だと言いたくなる。実際、欧州史ではトータルフットボールとプレッシングは、サッカー競技の普及、発展に貢献した2大発明だと称されている。トータルフットボールの生みの親、リナス・ミホルスに対してFIFAは実際、20世紀最高の監督という賞を贈っているほどだ。「トータルフットボールが出現する前と後でサッカーの概念は180度変化した」とはサッキの見解である。

 筆者は1974年当時、日本在住の中学生だったのでトータルフットボールにそこまで強烈な印象はない。シンパシーを抱くのは、その流れを汲むスタイルでバルセロナを欧州一に導いたヨハン・クライフのサッカーになる。

 そのバルセロナの練習場で筆者は何度かサッキの姿を目撃したものだ。トータルフットボールとプレッシングとを結びつける光景を目の当たりにしている。サッキに話を聞けば、バルセロナが展開する攻撃的サッカーに全面的に同意していた。

アリゴサッキ(左下)とACミラン
アリゴサッキ(左下)とACミラン写真:アフロ

 プレッシングはバルセロナ的な攻撃的サッカーと結びつきながら世界へ伝播していった。サッキは言う。「発想の基本はブラジル人選手の個人技をどう止めるかにあった」と。しかしプレッシングは、結果的に欧州人の個人技までをも上達させるという副産物を生んだ。

 ブラジル人選手の個人技に抱いた感激は、プレッシングの浸透とともに徐々に薄れていくことになった。「個人技の南米、組織の欧州」は、いまや古い区分だ。ブラジルもプレッシングなしに世界を勝ち抜けなくなっている。

 日本では繰り返すが、プレッシングの導入が大幅に遅れた。筆者の分析では8年遅れとなる。欧州との差は開くばかりとなった。代表監督が5バックになりやすい守備的サッカーを選択したからに他ならない。

 日韓共催W杯が開催された2002年を前後して、トルシエが採用したフラット3は日本の津々浦々に浸透。Jリーグのサッカーはもちろん、中学、高校の試合でもフラット3を普通に見ることができた。

 両チームが重心を後方に据えれば中盤にスペースが生まれる。設定の緩い試合になる。中盤選手には活躍しやすい環境が整うことになる。好選手が中盤に偏るのは当然だった。現在の日本をウイング天国だとすれば、当時の日本は中盤過多の中盤天国だった。そのサッカーは一見華やかに映ったが、サッカーそのもののレベルは停滞した。古典的なサッカーに陥った。

 サッキはさらにこう述べている。

「人間、守ると言えば本能的に構えようとする。ベクトルは後ろ向きになる。それを前方向に変えようとしたのがプレッシングだ。人間の本能に反する動きなので、習得するまでに時間は掛かる」と。しかし世の中にはプレッシングと言いながら、そのコンセプトを突き詰めようとせず、ある高さでブロックを組む消極的なサッカーが目立つ。最初からあるレベルで構えようとする。

伊東純也
伊東純也写真:なかしまだいすけ/アフロ

 森保ジャパンしかりである。それでも事足りないのか、ドイツ戦の後半では挙げ句、5バックに変えた。カタールW杯でもそうしたように、この変更はもはや常態化している。

 トルシエジャパン、岡田ジャパンなら分かる。世界のトップチームとまともに戦えば大敗しそうなかつてなら、少々格好悪い作戦に出ても、監督が自己保身に走っても、目を瞑ろうとするかもしれない。

 だが、いまとなってはそうはいかない。弱者の立ち位置から、世界のトップ10に入ろうかというレベルまで上達したわけだ。5バック同然の3バックが姑息な手段に見えて仕方がない。それを「賢く、したたかな戦い」(森保監督)と言って正当化させることに違和感を覚えずにはいられない。

 日本代表の監督として、サッカー競技の発展に貢献しようとする気概はないのだろうか。Jクラブの監督、たとえばサンフレッチェ広島の監督としてなら、そこまでの気概を持つ必要はない。しかし日本代表は全国の津々浦々まで影響を及ぼす波及効果がある。日本はとりわけ代表チーム中心主義に染まりやすい、中央主権色の強いお国柄だ。日本国中が森保的なサッカーに染まりかねない性質を持つ。トルシエが採用したフラット3が、地方の中学、高校生チームにまで瞬く間に波及した過去を忘れるわけにはいかない。

 サッカー協会の技術委員長は、森保サッカーの影響力についてどう考えているのだろうか。競技性の発展にブレーキを踏む可能性を疑わないのか。

 先のドイツ戦。日本が5バックに布陣を変更した瞬間、試合は途端につまらなくなった。ドイツが攻め立てる噛み合わせの悪い、エンタメ性の低い試合になった。結果的に勝利を収めた日本人に、その試合内容は苦にならなかったかもしれないが、好ゲームを期待した第3者にはそうは映らない。第3者とは世界のファンを指す。同じ意味で、池田監督率いる女子の代表にも苦言を呈したくなる。日本サッカーのあり方はこれでいいと協会は考えているのだろうか。

三笘薫
三笘薫写真:なかしまだいすけ/アフロ

 たとえば日本の切り札である三笘薫、あるいは伊東純也は、ウイング不在の3バックサッカーでは育たなかったはずだ。川崎フロンターレの監督が鬼木達ではなく、特に広島時代もっぱら3バックで戦った森保監督だったら、三笘はここまでブレークしただろうか。他人のアイディアをちゃっかり拝借する恰好になっている現状に罪悪感はないものか。「賢く、したたか」と胸を張られると、抵抗感はさらに増す。

 日本の代表監督は一国の規範となるサッカーを実践する必要がある。強国相手に高い位置でバチバチと撃ち合うことが、日本サッカーの普及発展、さらには世界のサッカーの普及発展に貢献する道ではないのか。日本のサッカーはいつでも攻撃的で面白いねと世界のファンから歓迎される、まさにアイドル的な世界の人気チームになって欲しいものである。日本がその可能性を秘めていることを森保監督は自覚すべきである。「賢く、したたか」は、自己保身と同義語に聞こえて仕方がない。

スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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