五輪サッカー準々決勝。ニュージーランドに幸運にも延長PK勝ちした男子に対し、女子はスウェーデンに1-3で敗れ、五輪の舞台から姿を消した。女子の五輪は正真正銘の世界一決定戦。結果に特段、大きな意味を持たない男子とは違う。ベスト8という成績は、世界ランキングと同義語の、現在の実力を示す物差しになる。

 W杯で優勝したのは2011年。10年前の出来事になる。前回2016年リオ五輪は、アジア予選で敗退。今回は、開催国枠で出場した結果、ベスト8入りを果たしたが、これが右肩下がりから右肩上がりに転じる契機になるのか。

 メディアの反応は思いのほかよくない。批判的な論調が目立つが、一方で筆者は、基本的に選手のことは、悪く言いたくないと考えている。女子選手は男子選手に比べ、待遇面が悪すぎることが、一番の理由。社会的な地位が確立されているとは言い難い選手たちで占められている。満足な報酬を得ているわけでもない。

 我々メディアは、ファンあっての存在だ。ファンと選手の間に取り入って、媒介する役を担っている。メディア(媒体)と言われる所以だ。しかし日本に、女子サッカーのファンはあまりにも少ない。五輪やW杯の際に、テレビ観戦する程度の、にわかファンが大勢を占める。批評する権利があるのは、実際にスタジアムに足を運ぶファン、つまりお金を落としてくれるファンだ。メディアはその代弁者にはなれても、お茶の間観戦に限られるにわかファンの声を、拾うことはできないと考える。

 女子サッカーを取り巻く環境は、10年前もいまも変わらず悪い。その待遇で選手を続けていることに頭が下がる。五輪やW杯の時しか注目しないファン(及びメディア)から、批判される筋合いは本来ないのである。

 女子サッカーに限った話ではない。五輪に出場している7〜8割方の選手に言えることだ。批評されるべき選手はごく一部に過ぎない。矛先を向けるのであれば、選手という弱者ではなく、協会、連盟などの競技団体になる。現場で言うならば、それなりの報酬を得ている監督、コーチになる。日本の女子サッカーの場合はサッカー協会、あるいは高倉麻子監督になる。

 高倉監督は、東京五輪を最後に退任する方向で話が進んでいるとのことだが、本気で好成績を収めようとするなら、代表監督選びは慎重にした方がいい。監督次第、サッカーの内容次第で、差はいくらでも詰まると考えるからだ。

 準々決勝のスウェーデン戦。日本は1-3で敗れたが、スウェーデンを格上の強者と捉えるなら、大善戦と言えた。前半31分、主審が下したPK判定がVARで覆された挙げ句、後半23分にはVARの介入で、今度はスウェーデンにPKが与えられることになった。サッカーは結果に運が及ぼす割合が3割程度あるとされるが、この試合の最大の敗因は、VARで判定が2度覆るという運のなさにあるといっても過言ではない。

 1-1で迎えた前半31分。PKがそのまま行われ、日本の逆転弾となっていれば、勝利していたかもしれない。そんなタラレバ話をしたくなる、スウェーデン戦は1-3というスコア以上に競った内容の、惜しい試合だった。スウェーデンは実際、やりにくそうに戦っていた。3点目となったPKによるゴールがなければ、試合の行方はまったく分からなかった。

 評価の分かれ目は、それぞれの立ち位置になる。日本を強者とするならば、物足りない試合となるが、スウェーデンを強者とすれば、善戦した試合となる。弱者か、強者か。日本の女子サッカーを語る時、どちらの視点に立つかで見え方は大きく変わる。

 58%対42%。日本はスウェーデンにボール支配率で勝っていた。1-0で勝利したグループリーグ3戦目のチリ戦はともかく、1-1で引き分けた初戦のカナダ戦、0-1で敗れた2戦目のイギリス戦では、それぞれ41%対59%、42%対58%と大きく劣った。ボール支配率が、サッカーの善し悪しと密接に関係していることがよく分かる。

 ボールを保持する時間をいかに長くするか。女子の監督が最もこだわるべき点だと思う。そこさえ押さえておけば、日本の女子は現状の戦力でも、そこそこやれると思う。それほど悲観した話ではないと思う。

 決勝進出を果たしたスウェーデンに、善戦したという事実を忘れるべきではない。さらに言うなら、初戦に1-1で引き分けたカナダも、決勝進出を果たしている。決勝進出チームとの差は紙一重。やり方次第では十分に逆転可能だ。

 問題は支配率を上げるその術である。これは選手の力より、監督采配が占める割合が高い。カナダ、イギリスに、日本はなぜボール支配率で大きく下回ったのか。突き詰める必要がある。

 両ウイングというサイドアタッカーをどう活かすか。サイドバック(SB)と、いかにしてコンビネーションを発揮するか。サイドは相手のプレッシャーを片側からしか浴びないので、真ん中よりボールを奪われにくい特性がある。この2人が両サイドでパス回しに絡む時間が長いほど支配率は上がる。

 ポストプレーと言えば、トップの選手の仕事をイメージするが、ウイングもサイド、タッチライン際という「地の利」を活かし、ボールを保持することができれば、SBがそこに絡んでいく時間的余裕が生まれる。4-3-3を敷けば、インサイドハーフもそこに加わることができる。サイドで数的優位を築くことができれば、支配率は上がる。ボール保持は安定する。男子サッカーのスペインが、このスタイルを取る。

 これに、トップあるいはその下あたりで、ポスト役をこなせる選手、かつての永里優季選手のようなタイプがいると、前線の3箇所にタメを作る場所が生まれる。日本の女子は、このスタイルを目指すべきだと考える。

 日本の女子は、ボール支配をもっぱらパスワークに頼っていた。人から人へ繋ぐサッカーだ。場所は関係していなかった。不安定になる原因である。選手の問題ではなく、監督の問題であると言いたくなる所以だ。

 特に問題が目に付いたのは左サイドだ。4-4-2の左サイドハーフを担当した杉田妃和は、所属チーム(INAC神戸レオネッサ)で最近、左サイドでプレーしていたとのことだが、本来はセンターハーフ、インサイドハーフ、あるいは守備的MF系の選手だ。チームで一番の実力派選手を、なぜ真ん中付近で使わなかったのか。

 適性の低いポジションでプレーさせられていることは明白だった。その歪みが左サイドの攻撃を鈍らせていた。杉田は、居心地のよさを求めてだろう、真ん中に入り込む機会も多かったので、高い位置に進出し、左サイドを深くえぐるプレーは疎かになった。技術はありながら、サイドアタッカーとして、ボール保持に貢献することができなかった。

 第1戦のカナダ戦で、高倉監督が、杉田を先発から外したことも解せなかった。彼女の使い方を間違えたこともベスト8で終わった原因と考える。

 右、真ん中、左の高い位置でボールを収める意識が低いサッカーを、高倉監督率いる女子チームは露呈させた。サッカーゲームの進め方に詳しい助監督的な参謀を、高倉監督の傍らに置くことはできなかったのか。選手交代も5人枠を使い切った試合は1度もなし。日本は4試合戦ったので、延べ20人を交代できるはずだったが、15人に終わった。打てるはずの手を打たずに敗れた。ベンチワークの貧弱さが際立つ格好になった。

 女子サッカーの監督選びは、男子サッカーより慎重に行われるべきだと強く思う。男子より、監督の力が試合に影響する、女子サッカー。選手より、心配すべきは監督なのである。